056 サー・トーマス・ビーチャムのレコードから





Sir Thomas Beecham, Bart.,C.H.

 第2代準男爵サー・トーマス・ビーチャム Sir Thomas Beecham, 2nd Baronet, CH。言うまでもなく、イギリスが生んだ名物男・・・ではなくて、名指揮者です。

 ビーチャム製薬(現:グラクソ・スミスクライン GSK plc)の御曹司として裕福な家庭に生まれて、ピアノを学んだり家に来た音楽家から各種楽器や作曲を学んだりはしたものの、音楽に関しては専門的教育は受けていません。

 それでもアマチュア・オーケストラの指揮者などしていたところ、1899年にハンス・リヒターの代役でハレ管弦楽団を指揮することになって、プロの指揮者に「なっちゃった」人。

 以後、有り余る財産を投じて巡業オペラ団を結成するわ、自前のオーケストラを創設するわ、ロイヤル・オペラ・ハウスを自腹で借り切って、自分の思うとおりのオペラ上演を行うわ・・・お金の使い方が立派ですね(笑)この「創設」はその後も繰り返され、ビーチャム・オペラ・カンパニー、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団もビーチャムが創設したもの。そうこうするちに国外での指揮活動も始め、ニューヨーク・フィルハーモニックやザルツブルク音楽祭(1931年)の指揮台に立ったのですからたいしたものです。

 第二次世界大戦中にはアメリカとオーストラリアで活動を行い、メトロポリタン歌劇場の常連となったのですが、ロンドン・フィルを手放す結果となり、それではと、戦後の1946年には新たにロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を創設。1960年にロイヤル・フィルの次期首席指揮者にルドルフ・ケンペを指名して、現役を事実上引退、翌1961年に死去しました。

 どうです? やっぱり「名物男」でしょう?(笑)

 加えてエピソード・メーカーとして最たるものでした。いくつか紹介しましょう。

 サー・トーマスが(ロンドン・フィルの演奏旅行中)ヒトラーに会ったとき(ヒトラーが会いに来たのである)、ドイツの独裁者は訊ねた。「私はお国で歓迎されるでしょうか?」「たいそう興味深い対象になりましょうな」とビーチャム。ヒトラーは言った、「ロンドンへ行ったとすれば、警護の面で警察にご迷惑をかけることになりますな」ビーチャムはこたえて、「お国よりロンドンの方が安全でしょうがね」

 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団のベルリン公演で、ヒトラーが熱心に拍手を送っているのを見たビーチャムは、オーケストラのほうへ振り返って「あのおいぼれ乞食は音楽が好きとみえる!」と言った。この言葉はラジオの電波でヨーロッパ各地に伝えられた。ビーチャムは、公演が全欧に中継放送されているのをほんとうに失念していたのだろうか?

 先日、ひとりのご婦人が私に訊きました「サー・トーマス、あの偉大なジョン・セバスチャンのもっとも非凡なところはなんだと思われますか?」そこで、私はもちろんこう答えました――彼が2人の妻と24人の子供を持ったことですよ、と。(バッハの名と子供の数が間違っているところがミソ)

 ある女性ファンから「息子に楽器を習わせたいのですが、どんな楽器が良いでしょうか?」と尋ねられたビーチャム。「バグパイプは習い終わったときも、習い始めたときとまったく同じ音が出るから、バグパイプを習いなさい」


Sir Thomas Beecham, Bart.,C.H.

 それでは、私の気に入っているビーチャムのレコードをいくつか紹介します。

 まずはディーリアス―

The Music of Delius Vol 1 The early Recordings (1027-1938.1948)
EMI SHB32(5LP)

The Music of Delius Vol 2 The PostWar Years 1946-1952
EMI SHB54(6LP)


 Vol 1は5LPセット、Vol 2は6LPセットで出ていたもの。収録曲は省略。Vol 1には本、Sir Thomas Beecham著 ”Frederick Delius”Severn House Publishers 付き。私が入手した箱に入っていた版は、マルc1975(textはマルc1959)。

 国内盤は東芝から「ディーリアスの音楽」EAC-60060~64で〈Vol 1〉のみ出て、〈Vol 2〉は出ませんでしたね。その代わり、国内盤ではビーチャムのディーリアスのstereo録音が2枚発売されていました。

ブリッグの定期市~イギリス狂詩曲
夜明け前の歌
マルシュ・カプリス
春初めてのカッコウを聞いて
河の上の夏の夜
そり乗り(冬の夜)
オペラ”フェニモアとゲルダ”~インテルメッツォ(間奏曲)
サー・トーマス・ビーチャム指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
東芝 EAC-80359

”フロリダ”組曲
ダンス・ラプソディー第2番
丘を越えて遙かに~幻想序曲
サー・トーマス・ビーチャム指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
東芝 EAC-80360


 この2枚を買ったのは中学生の時だったか、高校生の時だったか・・・。毎日のように、繰り返し聴いたものです。いずれも、その後英プレス盤を入手しました。

Brigg Fair
A Song before Sunrise
Marche - Caprice
On Hearing the First Cuckoo in Spring
Summer night on the River
Sleigh Ride
Intermezzo from "Fennimore and Gerda"
Royal Philharmonic Orchestra
Sir Thomas Beecham,Bart.,C.H.

His Master's Voice(EMI) ASD357

Florida Suite
Dance Rhapsody No.2
Over the Hills and Far Away
Royal Philharmonic Orchestra
Sir Thomas Beecham,Bart.,C.H.

His Master's Voice(EMI) ASD329


 取り出して聴く機会の多い愛聴盤です。

 ついでに、というわけではありませんが、ビーチャムのディーリアス録音はCBSにも1枚あります。

海流
劇附随音楽「ハッサン」
Bruce Boyce(Baritone)、Leslie Fry(Baritone)、Arthur Leavins(Violin)、Frederick Riddle(Viola)
The B.B.C. Chorus
サー・トーマス・ビーチャム指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
英CBS 61224 (mono)


 ディーリアス以外で真っ先に取り上げたいのはこちら―

モーツアルト:ファゴット協奏曲、クラリネット協奏曲
ギディオン・ブルック(ファゴット)、ジャック・ブライマー(クラリネット)
サー・トーマス・ビーチャム指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
1958-1959.
His Master's Voice(EMI) ASD344 (stereo)


 ファゴット協奏曲が1958年、クラリネット協奏曲が1958-1959年の録音。良質なstereo録音です。愉悦感では随一。

 次に交響曲から―

モーツアルト:交響曲第41番、第38番
サー・トーマス・ビーチャム指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
1050.
仏Columbia FCX235 (mono)


 テンポは一定で軽快感も。フレーズの終わりで少し伸ばす傾向。

ハイドン:交響曲第93~104番
サー・トーマス・ビーチャム指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
1957-1959.
英EMI SLS846(7LP)


 録音は1957年~1959年。93番から98番まではオリジナルがmono録音で、このセットでは疑似stereo化されていますが、そんなにおかしな音にはなっていません。7枚目には100、101、104番と「後宮からの誘拐」のリハーサルが収録されています。

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
サー・トーマス・ビーチャム指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
1951-52.
英Columbia 33CX1062 (mono)

ビゼー:交響曲ハ長調
ラロ:交響曲ト短調
サー・トーマス・ビーチャム指揮 フランス国立放送管弦楽団
1959.
His Master's Voice(EMI) ALP1761 (mono)
His Master's Voice(EMI) ASD388 (stereo)
World Record Club SPE712 (stereo)


 ビゼーとラロのレコードはmono盤とstereo盤を持っていますが、stereo盤でもWRCの再発盤は音質がかなり高域寄り。これならmono盤の方が音質良好です。

 モーツアルトの協奏曲のところで「愉悦感」と言いましたが、ハイドンの交響曲、ベートーヴェンの「田園」、ビゼーの若書きの交響曲なども同様、それでいてただ屈託がないだけではなく、いかにも英国紳士風というか、上品なのがいいですね。

 さらにシベリウスの交響曲―

シベリウス:交響曲第2番
サー・トーマス・ビーチャム指揮 BBC交響楽団
1954.12.8.live
His Master's Voice(EMI) ALP1947 (mono)

シベリウス:交響曲第7番
同:「ペレアスとメリザンド」から8曲
同:交響詩「大洋の女神(波の乙女)」
サー・トーマス・ビーチャム指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
1955.11-12.
His Master's Voice(EMI) ASD468 (stereo)


 シベリウスの交響曲は、以前第7番のレコードを取り上げましたね。そのときのコメントをご覧下さい。

 もはや古いといえば古いシベリウス像なんですが、古拙といいたいぬくもりある味わいが捨て難いんですね。早いパッセージでも早いと感じさせない自然な流れ、呼吸はあくまで自然体で演出臭さを感じさせないのは直情傾向のビーチャムらしいところ。その呼吸に従って熱を帯びてゆくところなどは、やはり圧倒されてしまいます。そうしたスタイルのなかでの話になりますが、微細な表情の変化はバーンスタインの旧録音やアンソニー・コリンズのDECCA録音よりも上です。自信にあふれた迷いのなさはビーチャムならではの特徴ながら、コリンズから後のバルビローリに通じてゆく、シベリウス演奏における英国オーケストラの矜恃とさえ感じられます。これもかなり好きなレコードですね。

 第2番は良質なmono録音。いつになく厳しささえ感じさせる表情、音楽の大きくうねりつつ、熱を帯びていく様はまったく見事なものです。

ビゼー 歌劇「カルメン」
サー・トーマス・ビーチャム指揮 フランス国立放送管弦楽団
ロス・アンヘレス、ゲッダ、ブランクほか
1958-59.
英EMI SLS5021(3LP) (stereo)


 これも以前、取り上げていますね。そのときのコメントは―

 伝えられるエピソードから皮肉屋のimageが強いビーチャムですが、その指揮は直情傾向の熱血ぶり。自信に満ちあふれた指揮といった印象です。活気ある自発性。さらに、このdiscは歌手が揃っている点では随一といっていいもので、ロス・アンヘレスの悪女というより奔放な優雅さはカルメンとして決して場違いでない個性があり、ゲッダのホセも若々しくミカエラのミショーも自然な清純派を演じて魅力的。さらに、ブランクこそ「カルメン」録音史上ベストのエスカミーリォではないでしょうか。ことさらに大きく構えることなく、必要充分なキャラクターとして全体のスタイルのなかで存在感を示しているのは見事と言うほかなし。録音も良質。オリジナル盤も持っているんですが、左右のバランスがおかしいので、英プレスの再発盤で聴いています。

ヘンデル:オラトリオ「メサイア」 (サー・ユージン・グーセンス編曲版)
ジェニファー・ヴィヴィアン(ソプラノ)、モニカ・シンクレアー(メゾ・ソプラノ)、
ジョン・ヴィッカーズ(テノール)、ジョルジョ・トゥッツイ(バス)
ロイヤル・フィルハーモニー合唱団 (合唱指揮:ジョン・マッカーシー)
サー・トマス・ビーチャム指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
1959.
英RCA SER 4501/2/3/4(4LP)、日RCA RGC-1058~60(3LP)


 英RCA盤は〈SORIA SERIES〉、日RCA盤は〈RCA GRAND PRIX ”1000” CLASSICAL〉シリーズ。

 ビーチャムがポルノ所持で失脚したユージン・グーセンスに編曲版を依頼したこと、その編曲がホルン、トロンボーン、トライアングル、シンバル、ハープなど金管楽器と打楽器を加えた荘厳華麗なものであることはどなた様もご存知のとおり。もっとも、グーセンス版はそれほど豪華絢爛ではなく、ビーチャムがさらに手を加えているという説もありますが、スコアを見ていないのでたしかなことは分かりません。

 当時のRCAとデッカ間の事業提携を反映して、収録は名手ケネス・ウィルキンソンをはじめとするデッカ・スタッフによるもの。この英RCA盤を持っているひとは、たいがい「この盤でなければその良さは分からない」なんて言うんですが、そういう人は、たぶん「持てる我」を喧伝したいんでしょう。上記の国内廉価盤でもたいした違いはありません。むしろ国内盤の方が脂っ気がやや後退して鮮明かも。このRCAの廉価盤シリーズは見た目は安っぽいものの、当時としても結構な厚手盤が多く、どれも音質は悪くないんですよ。同じシリーズでフリッツ・ライナー、シカゴ交響楽団の録音を数枚持っていますが、米プレス盤はもとより、英盤、独盤とくらべても遜色ありません。

 
Sir Thomas Beecham, Bart.,C.H.


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 レコード(LP)を再生した装置について書いておきます。
 古いmono盤では、カートリッジは、ortofon CG 25 D、再発mono盤ではSHELTERのmonoカートリッジを使いました。スピーカーはSiemensのCoaxial、いわゆる「鉄仮面」をチャンネルあたり2基搭載した後面開放型Sachsen 202で聴いています。なお、私はmono盤でもスピーカーは2本で聴きます。stereo盤はorofonのSPU GTEなどを使い、HarbethのHL Monitor MkIIIで聴きました。
 また、EQカーヴはRIAAで疑問を感じたものは適宜ほかのカーヴを試し、結果はなるべく記載しておきました。



(Hoffmann)