095 シェーンベルク 「グレの歌」 「グレの歌」"Gurre-Lieder"は、アルノルト・シェーンベルク初期の代表作です。シェーンベルク自身はカンタータとも世俗オラトリオとも称してはいませんが、オペラのようにも聴くことができますね。じっさい、オペラとして上演された例もあるようです。 歌詞は、デンマークの作家イェンス・ペーター・ヤコブセンの未完の小説「サボテンの花開く」"En Cactus springer ud"中の詩をローベルト・フランツ・アルノルトがドイツ語に翻訳したものに基づいたもので、一部シェーンベルクが手を入れています。このヤコブセンの詩は、実在のデンマーク国王ヴァルデマール(在位1157-1182年)をめぐる伝説にもとづいています。国王とその愛人トーヴェとの悲しくもグロテスクな物語で、内容は以下のとおり― 国王ヴァルデマールには嫉妬深くわがままな妃がいたが、これに嫌気がさしたヴァルデマールは、トーヴェという美しく気立ての良い女性を愛人とし、グレの地にある狩猟用の城郭で逢瀬を重ねる。 ところが、ほどなくこの不倫が妃の知るところとなり、トーヴェは妃によって毒殺されてしまう。神を呪ったヴァルデマール王はその天罰によって命を落とすが、魂は昇天することが許されず、兵士たちの幽霊を引き連れトーヴェの魂を求めて夜な夜なグレの地を徘徊することになる。 時は流れ夏の嵐に替わって実りの秋が到来。収穫の季節にふさわしく農夫も登場し、やがて道化師と語り手も登場して、幽霊たちの壮絶な合唱を交えながら、壮大な太陽の賛歌を歌い、二人の魂の救済の可能性を暗示する・・・。 この作品はもともとシェーンベルクが若い頃に一編の歌曲として書き、その後巨大化されたもので、いかにも後期ロマン派らしい作品です。ワグネリズムの影響、特に「神々の黄昏」や「さまよえるオランダ人」を髣髴とさせる筋書きなど、意外と親しみやすい要素に富んでいます。 オーケストレーションあたって、シェーンベルクが48段(53段とも)の五線紙を特注したというエピソードはよく知られるところで、その編成は、ティンパニ6、バスドラム、スネアドラム、ガラガラ、タム・タム、それにハープ4ほかを含む150人近い巨大なオーケストラに、5人の独唱者、3群の男声四部合唱、混声八部合唱を加えた300人近い声楽陣を要するという大規模なものですが、音楽もまたわりあい親しみやすいものになっています。 前回、マーラーの「嘆きの歌」を取り上げたときに、「個人的には、シェーンベルクの『グレの歌』のルーツというか、モデルになったのがこの作品ではないかと思っています」なんて言ってしまったので、ここでマーラーとシェーンベルクについて、少々お話ししておきます。 「ウィーンの世紀末」と言ったときには、その「世紀末」というのは物理的な年代のことではすまされません。爛熟を極めたロマン派様式、デカダンス、そこに芽生えつつある新しい文化の胎動といったものが19世紀末にほぼ重なるとして、その終端はどのあたりかというと、音楽に限って言えば、第一次大戦終了頃までと見ておけばいいでしょう。つまり1918年あたりまで。シェーンベルクが十二音技法を完成させたのが1921年、R・シュトラウスのオペラなら「サロメ」が1905年、「エレクトラ」が1909年で、以後は新古典主義の時代です。アルバン・ベルクはもう少し後で「ヴォツェック」が1925年、「ルル」が1937年。 いずれにせよ、マーラーとシェーンベルクはウィーンの世紀末を代表する芸術家の典型です。マーラーは後期ロマン派の代表、シェーンベルクは第二次ウィーン楽派の総師として新たな時代を預言する代表者。いずれも妻の不行跡で苦労した点でも共通していますね(笑)このふたりを結びつけたのがマーラーの妻アルマです。アルマはツェムリンスキーに作曲を学んでいましたが、シェーンベルクもまた同門です。マーラーとシェーンベルクが個人的に知り合ったのは1904年のこと。結構頻繁に会って、よく議論して、喧嘩別れして、また会う、という交際だったようです。ところが互いに尊敬しあっていたにもかかわらず、相手の音楽は理解できなかった、とされていますね。アルマがマーラーとの結婚前に、シェーンベルクに対して、近々演奏されるマーラーの交響曲第4番を聴きに行くかと訊ねたときの返事は、「第1番でなにもできなかったマーラーが、第4番になったからといってなにができるというんです?」というもの。もっともシェーンベルクは後年、「ようやくマーラーを理解したのはずっと後になって、彼の交響曲のスタイルが私に影響を及ぼさなくなってからだった」と書いているので、自分のスタイルを確立しようという時期には、その影響力の大きい音楽に、かえって反発していたのかもしれません。ドビュッシーがワーグナーを批判しつつ、その「ペレアスとメリザンド」に「パルジファル」の色濃い影響が認められるように、シェーンベルク初期の作品である「グレの歌」にも、マーラーの影響が見て取れます。 シェーンベルクの無調音楽というのは、これは単なる音楽技法上の問題ではありません。調性を否定するということは、ひとつの支配音を中心として、合理的に組み立てられ、認定された音の階層システムを否定することなのです。つまり音のヒエラルキーの否定。社会において確立された階層制度の否定です。 当時のオーストリアは近代化が他の列強諸国より遅れていました。産業革命なんてようやく19世紀の終わりごろから。鉄道架設、これに伴う都市改造、大企業の設立。高度成長の時代に、ブルックナーやマーラーの交響曲が大規模に、肥大化するのも当然です。一方で、旧来の貴族階級は没落、新興ブルジョワが台頭して労働争議が多発、そうなると資本の多くを握っていたのがユダヤ人なので、反ユダヤ主義勢力が拡大する・・・。 こうした不安の時代、自己の存立に危機感を生じたとき、人は自己の内部に沈潜するか、逆に自我を拡大・肥大化させて自己の存立を確かなものにしようとするか、どちらかです。ましてやユダヤ系であるシェーンベルクのこと、その無調音楽は、旧秩序に反抗して新しい芸術を生み出そうとする自我の拡大なのです。おまけにフロイトの影響もあって、「芸術は無意識的なものに属している」ものであって、「後に獲得された」ものではなく、「自己」を、「生まれつきの本能的なもの」を表現すべきだと、手紙の中で書いています。 世紀末の爛熟と頽廃、その渦中にあって、絶対音楽と標題音楽を、交響曲と歌曲を、古典主義とロマン主義を融合させて伝統的な音楽形態に終止符を打ったのがマーラー、伝統的な音楽を否定することからはじめたのがシェーンベルク、しかしシェーンベルクもそこに至るまでは、マーラーと同様、ひたすら自我を拡大させていたのです。そして自我を極限まで肥大化させた結果はどうなるか。もう、わかりますよね。自我はそれ自身が滅びる・崩壊するのです。奇しくも世紀末とともに―。その後のシェーンベルクは、マーラーやクリムトを思わせるような豊麗な装飾性から、緊縮と造形美の探求へと傾いてゆくことになります。 それにしても、マーラーはシェーンベルクやその弟子たちの革新をついに理解できなかったにもかかわらず、彼らを応援していたのですから、そのcapacityの大きさは、この作曲家がじつに尊敬すべき人物であったことを物語っていますね。 Arnold Schoenberg(左) Gustav Mahler(右) それでは所有しているdiscを、LP、CD別に― LP篇 ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団 バイエルン放送合唱団 ヘルベルト・シャハトシュナイダー(テノール:ヴァルデマール) インゲ・ボルク(ソプラノ:トーヴェ) ヘルタ・テッパー(メゾ・ソプラノ:山鳩) キート・エンゲン(バリトン:農夫) ローレンツ・フェーエンベルガー(テノール:道化クラウス) ハンス・ヘルベルト・フィードラー(語り) ミュンヘン、コングレスザール、1965.3.9-12. live DG 138 984/85(2LP) クーベリックのDG時代の録音で傑作と言えば、この「グレの歌」とプフィッツナーの「パレストリーナ」ではないか(ヒンデミットの「画家マティス」は独Electrolaなので)。どちらかというとロマン主義に傾いたシェーンベルク演奏。 ピエール・ブーレーズ指揮 BBC交響楽団 BBCシンガーズ BBCコーラル・ソサエティ ゴールドスミス・コーラル ロンドン・フィルハーモニック男声合唱団 ジェス・トーマス(テノール:ヴァルデマール) マリタ・ネイピアー(ソプラノ:トーヴェ) イヴォンヌ・ミントン(メゾ・ソプラノ:山鳩) ジークムント・ニムスゲルン(バリトン:農夫) ケネス・ボーウェン(テノール:道化クラウス) ギュンター・ライヒ(語り) ロンドン、ウェストハム・セントラル・ミッション、1974.10-12. 日CBS Sony SOCO112-113(2LP) ブーレーズがマーラーの「嘆きの歌」を録音したのが1969年(第2部、第3部)及び1970年(第1部)。そうしたら、やっぱり次は「グレの歌」に行く着くのが自然な流れ?(笑) CBS時代のブーレーズは、その後のマーラーやブルックナーなどを録音したDG時代とくらべて、「辛口時代」「とんがっていた頃」なんて言われるが、それは作品次第。「嘆きの歌」や「グレの歌」は客観的で、管弦楽が厚塗りにならない見通しの良さが信条ながら、表現そのものは案外といかにもな後期ロマン主義。 小澤征爾指揮 ボストン交響楽団 タングルウッド音楽祭合唱団 ジェシー・ノーマン(ソプラノ:トーヴェ) タティアナ・トロヤノス(メゾ・ソプラノ:山鳩) ジェイムズ・マクラッケン(テノール:ヴァルデマール) キム・スコウン(テノール:道化クラウス) デイヴィッド・アーノルド(バリトン:農夫) ヴェルナー・クレンペラー(語り) ボストン、シンフォニー・ホール、1979.3.30-4.3. live 蘭PHILIPS 6769 038(2LP) やや単調ながら、まとまりはいい。 ヘルベルト・ケーゲル指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 ライプツィヒ放送交響楽団員 ベルリン放送合唱団 ライプツィヒ放送合唱団 プラハ男声合唱団 エーファ=マリア・ブントシュー(ソプラノ:トーヴェ) ローズマリー・ラング(アルト:山鳩) マンフレート・ユング(テノール:ヴァルデマール) ヴォルフ・アッペル(テノール:道化クラウス) ウルリク・コルト(バス:農夫) ゲルト・ヴェストファル(語り) ドレスデン、ルカ教会、1986.8.5. 東独ETERNA 7 29 111-112(2LP) これはブーレーズ以上にクール。透明度高いので、管弦楽のテクスチュアが明瞭。合唱団優秀。 CD篇 ミヒャエル・ギーレン指揮 SWR南西ドイツ放送交響楽団 バイエルン放送合唱団 MDRライプツィヒ放送合唱団 メラニー・ディーナー(ソプラノ:トーヴェ) イヴォンヌ・ナエフ(アルト:山鳩) ロバート・ディーン・スミス(テノール:ヴァルデマール) ゲルハルト・ジーゲル(テノール:道化クラウス) ラルフ・ルーカス(バス:農夫) アンドレアス・シュミット(バリトン:語り) フライブルク、コンツェルトハウス、2006.10.28-31. live haenssler 93.198(2SACD) 現代的、都会的な「グレの歌」。客観的な演奏としてはかなりのレベル。 エサ=ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 フィルハーモニア・ヴォイセズ バーミンガム市交響合唱団 スティグ・アンデルセン(テノール:ヴァルデマール) ソイレ・イソコスキ(ソプラノ:トーヴェ) モニカ・グロープ(メゾ・ソプラノ:山鳩) ラルフ・ルーカス(バス・バリトン:農夫) アンドレアス・コンラート(テノール:道化クラウス) バルバラ・スコヴァ(語り) ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール、2009.2.28. live signum SIGCD173(2SACD) これもいかにも現代的。ところどころで熱を帯びるが、コントロールは行きとどいている。ややすまして演奏しているような素っ気なさを感じるところも。しかし、liveでこれだけの演奏になってしまうのはたいしたもの。 (おまけ) NHK交響楽団、第1264回定期演奏会での「グレの歌」。指揮は若杉弘。 (Hoffmann) |