142 ワーグナーの影響を受けた作曲家たち その2




 今回はフランスを中心に―。

 なにしろフランス象徴派はみんなワーグナーかぶれ。19世紀象徴派詩人のスタンスを決定したのはボードレール。ボードレールがこれはいいぞと言えば、ヴィリエ・ド・リラダンやマラルメにユイスマンスがなるほどと賛同して、次の世代であるジュール・ラフォルグやアンリ・ド・レニエ、ピエール・ルイス、ポール・ヴァレリーに伝えて引き継がれてゆく、という構図ですね。あ、象徴派じゃないけどプルーストも同様ですよ。

 美術評論はともかく、音楽評論家でもないボードレールが、なぜか1860年にワーグナーのオーケストラコンサートにベルリオーズやグノー、マイアベーアとともに列席しています。その時聴いたのは、「タンホイザー」序曲と行進曲、「ローエングリン」前奏曲と婚礼の音楽、それに「さまよえるオランダ人」序曲に「トリスタンとイゾルデ」前奏曲など。そして感激のあまり、この一面識もない作曲家に手紙を書いたのは有名な話。「私はこの音楽を知っているという気がしました」「この音楽は私の音楽だという気がしていた」・・・って、なんだかポオを読んだときの感激ぶりと似ていますね。ちなみにベルリオーズは「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲がまったく理解できなかったと言っています。ワーグナーの方はずいぶんベルリオーズから「いただいちゃって」いるのにね(笑)

 もっともボードレールの場合はあくまでオーケストラコンサートを聴いてのこと。じつはこれより前に、ワイマールでリストの指揮する「ローエングリン」の初演に接しているのがジェラール・ド・ネルヴァル。ドイツ語に堪能なネルヴァルは、台本は冗長としつつも、それをオペラ形式というより叙情的なドラマであると、なかなか卓抜な指摘をして、一方で音楽を大絶賛。

 フランスでのワーグナー・ブームとなると、やはり文学者への影響は見逃せないのでもう少し。とりわけ熱烈だったのはヴィリエ・ド・リラダン、カチュール・マンデス、それにテオフィル・ゴーチエの娘で、マンデスの妻となったジュディット・ゴーチエ。1869年には3人でルツェルンのワーグナー家に10日間ほど滞在しており、翌年にはサン=サーンスとデュパルクを伴って再訪したほど。ジュディットはその後マンデスと離婚して、一時期は老ワーグナーとちょっと危うい関係となっており、コジマをやきもきさせているんですよ。

 マラルメはバイロイト詣ではしていないんですが、やはりワーグナーへの関心は深かったようで、しかしその感情はかなり複雑だったようです。どうも台本まで書いてしまうワーグナーに対抗意識でも持っていたんじゃないかと疑いたくなるくらい。文学者がいちばん偉いと思っていたような節もあります。もっともマラルメは逆説が持ち味なので、その発言の真意をはかりかねるのも事実。ただし、そのワーグナー論は音楽論ではなく、かなり抽象的な文学論であるとは言わざるを得ないものです。

 そのマラルメの関連では、火曜会のメンバーだったアンドレ・ジッドがワーグナー・ブームとは距離を置いていた。オーケストラよりは四重奏、サンフォニイよりはソナタ・・・という態度は、フランス人には別にめずらしいものではありません。それはそれでいいんですが、それをワーグナーの音楽に対する「抗議」として表明するところが、やっぱりジッドもちょっと肩に力が入っているんだよなあ(笑)それだけ19世紀末のフランスでは、ワーグナー・ブームが音楽家より以上に文学者によって推進されていたということなんです。


Charles-Pierre Baudelaire

 思えば、E・T・A・ホフマンにしろ、ほかならぬボードレールの翻訳で注目されたエドガー・アラン・ポオ、加えてワーグナーにしても、これらフランスのロマン主義から象徴派、デカダン派に大きな影響を及ぼした3人の文学者や音楽家が、それぞれ本国よりもフランスで評価されたわけですよ。これはフランス人が世界に誇ってしかるべき審美観であり、19世紀末のパリがデカダンスのあらゆる世界観の最先端の空気を纏っていたということです。あらゆる世界観というのは、厭世主義的、幻想的、死と美、両性具有などといった人口楽園の麻薬的・麻酔的な陶酔の世界のこと。

 ワーグナーにはなかったもので、その後そこから生まれてきたのはサロメのようなファム・ファタール(宿命の女)。しばしば男を犠牲にする女とされる「パルジファル」のクンドリーにしても、正邪併せ持つ点ではデカダン的なれど、やはり男性の意のままになる受け身の女性。そのモデルとされるジュディット・ゴーチエは19世紀最大の魔術師とされるエリファス・レヴィに弟子入りした魔女志望者。そのジュディットとワーグナーの危うい恋愛感情を承知しつつ、時の過ぎるのを待っていたコジマもまた、男性の意のままになる隷属の女性。

 その他の女性登場人物については言うに及ばず。ついでに言っておくと、ワーグナーの歌劇、楽劇の登場人物はみんな抑圧された存在です。だから抑圧された人たち、すなわち19世紀末の市民社会の人たちの心に響いたわけですよ。有名人だけでも、ルートヴィヒII世とか、プルーストとかトーマス・マンといった同性愛者など。そのほか、近親相姦や両性具有崇拝、冷感症崇拝(ボードレール)などに染まったデカダンスの申し子たち。彼らの抑圧を、当人はあまり抑圧されていたとも思えないワーグナーが描いているところが面白い。多くの人々が意識下に押し込めてしまうようなものを白日の下にさらしてしまうことができるのは、当人が抑圧されていると感じていないから。ライトモティーフの技法で、登場人物が語らず、歌わずにいるとき、あるいは心にもないことを言っているときに、その内面の本心を、音楽で徹頭徹尾具体的に表現してしまう。無意識さえあからさまにしてしまう。しかも音楽だから、ショーペンハウアーじゃありませんが、聴く者に対して純粋な認識主観です。つまり、直接感性に訴えかけてくる。だから人によっては「悪趣味」で「大仰」だと言うし、ボードレールのように、その音楽のもたらすものを阿片の効果にたとえたりすることになるわけです。

 とはいえ、やっぱりワーグナーはロマン主義なんですよ。女性が隷属的であるところにそれがよくあらわれている。つまり、肉体と精神の二元論が建前。ところが世紀末フランスの象徴主義は、正邪・美醜の価値転換を果たした。悪徳を聖化して自己正当化を図っています。ワーグナーはかろうじて女装趣味があった程度で、性的な倒錯趣味はない。当人はいたってnormalなんですよ。その作品がabnormalな「抑圧された人々」を魅了した。それがフランス世紀末象徴主義におけるワーグナー・ブームなんです。

 閑話休題。

 作曲家でワーグナーの洗礼を受けた代表といえば、まずドビュッシー。バイロイト詣でをして、あるときピアノで「トリスタンとイゾルデ」全三幕を暗譜で奏くという賭けをして勝ってしまったほど。もっともドビュッシーはその後(おそらく)苦労してワーグナーの影響下から抜け出しました・・・いや、抜け出したつもりでいました(笑)たしかにワーグナーを超えるべく10年の歳月を費やした歌劇「ペレアスとメリザンド」の成果は立派なものですが、やっぱりワーグナーの影響ははっきりと残っています。たとえば、場面転換の音楽を聞きくらべてみてごらんなさい。未完のオペラ「ロドリーグとシメーヌ」ならばなおさら。「アッシャー家の崩壊」でもそうなんですが、ドビュッシーが、倒錯、頽廃、グロテスクなものを表現しようとすると、ワーグナーが顔を出してしまうんですね。そりゃあそうでしょう、従来のフランス音楽の語法で対応できるはずもない。

 サン=サーンス、グノーあたりはかなりワーグナーの技法に興味を惹かれたようなのですが、ワグネリアンにはなりきらなかった模様。ベルリオーズも当初は激賞していたのに、途中から沈黙してしまいました。これは、ワーグナーのライトモティーフよりも自分の固定楽想というアイデアの方が先行するからオリジナリティを認め難かったのか・・・案外と、オペラ座が「タンホイザー」の上演時に164回ものリハーサルを引き受けたとき、自分の「トロイアの人々」が上演の予定もなく待たされていたので、面白くなかったのかもしれません(笑)

 セザール・フランクの循環形式は、これは歴としたワーグナーの影響。もともとベルギー人ですからね、あまりフランスらしさを追求しようとか、追求しなければといった思いがなかったんでしょう。影響の受け方も自然体といった感じ。その門下生のデュパルク、ダンディ、ショーソンもまたワグネリアンです。デュパルクやダンディはバイロイト巡礼をしているし、ショーソンも含めて、その音楽はフランス的な簡潔さにワーグナーの和声と色彩が垣間見られます。じっさい、ダンディの歌劇「フェルヴァール」、ショーソンの歌劇「アーサー王」などは、「トリスタンに似ている」なんて評されています。さらに、マスネ、デュカス、フォーレも影響を受けた側。

 ついでに言っておくと、まったくワーグナーの影響と無関係でいられた代表格は、エリック・サティとフランシス・プーランク。ラヴェルもその性向のベクトルはまったく別な方角を指しています。

 その他の国では、ドヴォルザークやスメタナがやはり一時期ワーグナーの洗礼を受けて、その後独自の様式を見出しており、それはリムスキー=コルサコフ、それに意外とプッチーニも同様かと思います。

 とはいえ、ワーグナーの影響とそれを乗り越えようとする試み、そしてその先になにが見出されたのかとなると、やはりドビュッシーが、既にひと区切り付けているのではないかなと思います。たとえば、ストラヴィンスキーなどは痛烈にワーグナーを切り捨てていますが、その発言はストラヴィンスキーのような大作曲家にしては紋切り型で陳腐、ドビュッシーの発言の焼き直しじゃないでしょうか。


Claude Achille Debussy、Antonin Leopold Dvorak

 さて、discに関しては、ドビュッシーの歌劇「アッシャー家の崩壊」と「ペレスとメリザンド」は既に取り上げています―

006 ドビュッシー 歌劇『アッシャー家の崩壊』」

019 ドビュッシー 歌劇『ペレアスとメリザンド』」

 歌劇「ロドリーグとシメーヌ」はケント・ナガノがリヨン歌劇場で録音したdiscがあります・・・というか、これしかないはず。

ドビュッシー(デニソフ補筆完成版):歌劇「ロドリーグとシメーヌ」
D.ブラウン、L.デイル、E.ジョスー、G.ラゴン、J-P.フシェール、J.ヴァン・ダム、
ケント・ナガノ指揮 リヨン歌劇場管弦楽団 同合唱団
1993.9.9-16, 1994.1.19-21, 1994.9.24
ERATO 4509-98508-2


 これはドビュッシーが初めて取り組んだオペラで、ヴォーカルスコアはほぼ完全に仕上げたものの、オーケストレーションに着手しないまま放棄してしまった作品。どうも自分が目指す音楽になりそうにないと判断したためらしい。1993年に新築されたリヨン歌劇場の杮落としのために、残存していた楽譜をもとに、ロシアの作曲家、ディソン・デニソフがオーケストレーション。

 11世紀のスペイン・カスティーリャ王国に実在した勇将ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバールを題材としたオペラで、「ペレアスとメリザンド」との親近性は明らか。「夜想曲」のatomosohereが漂い、ときにワーグナーの方へ行こうとして踏みとどまっているというか、迷っているような印象があります。


 ドヴォルザークでは歌劇「ルサルカ」と、ここでは交響曲第6番を挙げておきたいと思います―

ドヴォルザーク:歌劇「ルサルカ」
演出:ロバート・カーセン
R.フレミング、L.ディアドコヴァ、S.ラリン、F.ハヴラータ
ジェイムズ・コンロン指揮 パリ・オペラ座管弦楽団 同合唱団
2002.6.28, 7.1, 4 live
日本コロムビア COBO-5951~2 (2DVD)


 よく知られているとおり、ワーグナーの影響は顕著。森の精なんか、ラインの乙女ですよ。やっぱりね、悪魔や妖精、魔女などといったimageを描こうとすると、ワーグナーの語法がもってこいなんですね。




ドヴォルザーク:交響曲第6番
サー・チャールズ・グローヴズ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
1976頃?
英EMI ASD3169 (LP)


 録音年は分からないんですが、マルPは1976とあり。SQエンコード盤ですが、あまり悪影響はありません。

 私はこの作品が好きでしてね、このほかに以下のレコードを所有しています―

ノイマン指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 SUPRAPHON 11101833ZA (LP)
コシュラー指揮 スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団 日Victor VIC-21412 (LP)
ケルテス指揮 ロンドン交響楽団 英DECCA SXL6253 (LP)
クーベリック指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 DG 2530425 (LP)
ラインスドルフ指揮 ボストン交響楽団 米RCA LSC-3017 (LP)


 懐の深さではクーベリックとグローヴズが筆頭格。アクセルとギアを駆使して古典的造形に野性味ものぞかせるクーベリックと、あくまで気品を保つグローヴズ。


(Hoffmann)