048 「ねじの回転」 ヘンリー・ジェイムズ 蕗沢忠枝訳 新潮文庫




 「ねじの回転」”The Turn of the Screw”―この表題の由来は、旧来の怪談話を「ひとひねり」したもの、という意味にあります。

 もともとその文章が難解なことで知られる作者が、その「ひとひねり」のために、登場人物の行動を目に見えているものを意図的にボカして、曖昧・朦朧とさせているため、いよいよ読みづらく、難渋な文章になっています。おまけにヘンリー・ジェイムズはいわゆる「意識の流れ」の手法を用いた草分けとも言うべき存在です。これは長らく読書界には理解されず、後代の、ヘンリー・ジェイムズの影響を受けたジェイムズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフ、さらにマルセル・プルーストといった作家たちの作品が世に広まったおかげで、ようやく理解されるようになったものと言っていいでしょう。

 あらすじを簡単にたどっておきましょう―

 ある屋敷に宿泊した人々が、百物語のように一人ずつ怪談を語る。ある話は子供に幽霊が出たという話で、人々にとりわけ強い印象を残した。そこで、いたいけな子供に幽霊が出るという話がねじのひねりを一段利かせているのなら、子供ふたりに幽霊が出たという話をしようと、ある男が、妹の家庭教師であった女性の手記を読み始める。

 貧しい田舎牧師の末娘であったその女性(私)は、20歳のとき、家庭教師の仕事に応募する。雇い主はロンドン在住の独身男性。美男子で、「私」は雇い主に恋心を抱いたらしい。雇い主の甥のマイルズ、姪のフローラは早くに両親を亡くし、田舎の家に使用人らと暮らしており、このふたりの家庭教師をお願いしたいと言う。当初、別の若い女性が家庭教師としてついていたが、彼女が亡くなったため、マイルズは休みの日以外は寄宿学校に入っているという。条件は、雇い主には子供についての連絡を一切しない・手を煩わせないこと。「私」はその条件を承諾して田舎の家へ向かう。

 グロース夫人という使用人と、少女フローラが迎えてくれる。天使のような美貌とあどけなさを持つフローラ。寄宿学校からマイルズが夏休みのため戻ってくる。しかし、学校から手紙が届き、マイルズの素行が悪いため退学にしたと記されている。マイルズはそのことに関してなにも言わない。フローラと同じく天使のようにかわいい、聞き分けのいい男の子であった。

 しばらく楽しく過ごしていたものの、「私」はたびたび幽霊を目撃するようになる。男性の幽霊と、女性の幽霊。特徴をグロース夫人に語ったところ、以前屋敷で雇われていた使用人と亡くなった家庭教師の幽霊だとわかる。彼らはマイルズとフローラを悪の道に引き込もうとしているらしい。マイルズとフローラにも幽霊が見えているのに、見えていないふりをしているように思われる。幽霊と共謀して「私」を欺こうとしているのか・・・。



Henry James

 ごく普通の幽霊譚だと思って読みはじめれば、そんなに難解ではありません。ところが、どうも途中から物語は心理小説の様相を帯びてきて、嫌でも「これ、なにもかも主人公の妄想なのでは?」と気付かされる。気付かされると言うより、疑いを持たされる。中盤に至り、終わり近くなっても、疑いは晴れず、しかし幽霊は本物なのか、主人公の妄想なのか、黒白はっきりしないままに、読者は最後のページを読み終え、本を閉じることになります。

 もうひとつの解釈を示しておくと、すべては家庭教師の妄想、彼女の性的抑圧が生んだ幻想、というものです。これはヴィクトリア朝ですから、ことに女性の性に関しては抑圧的な時代です。まして過去の使用人と家庭教師はアブノーマルな関係にあったらしいことが匂わされています。さらに、子供というものは汚れなき純粋な存在であるという建前が絶対の時代です。おまけに階級の問題。使用人ピーター・クイントという、下層階級の人間(幽霊)に対する侮蔑と嫌悪、これは「私」を含む登場人物たちすべてが逃れることのできない嫌悪感であるはずです。

 本物の心霊現象、家庭教師の妄想、このふたつの解釈が代表ですね。じつは、グロース夫人黒幕説もあって、それだけさまざまな読み方ができる―すなわち曖昧・朦朧と書かれているということなんですね。

 つまり、ヘンリー・ジェイムズはこの小説のなかに、一切の手がかりを残してはいないのです。ですから、グロース夫人の陰謀だなどという憶測は滑稽でしかありません。謎は謎のまま、というのがこの小説の真実なのです。ふたりの幽霊が存在するとして、その目的はなにか―わからないのです。だから、読者はそこに底知れぬ邪悪さを感じ取るのです。もしも、幽霊がこれといった目的を示してしまったら、この小説はいっぺんに底の浅い軽薄な物語となってしまうでしょう。

 家庭教師の妄想説に至るのは、これは自然です。雇い主からは子供のことで自分を煩わせないように、一切連絡をしてこないようにと言われており、他の召使いたちや女中頭のグロース夫人には、幽霊が見えない―家庭教師は孤立しているのです。自分が見た幽霊は幻覚なのかもしれない、そうだとしても、幻覚でないとしても、自分ひとりで立ち向かわなければならないのです。しかも、その幽霊の邪悪さというものが、なにを目的としているのか、どんな種類の悪なのか、まったくわからない。多くの批評家・評論家はマイルズとフローラに同性愛を仕掛けていると読んでいるのですが、これも確証があるわけではありません。ヘンリー・ジェイムズはそこまでは書いていないのです。

 さらに言うと、この家庭教師の女性の性格設定も曖昧です。先に述べた性的抑圧も読み手の想像のほかはありません・・・というか、どのようにでも想像できるように、事象を淡々と、勝手な解釈や脚色なしに、報告するだけの存在とされているのです。

 なお、表題の「ねじ」に関して深読みする人が多いのですが、原題は”The Turn of the Screw”であって、ことばの重点は”Turn”の方にあるようです。冒頭にあるとおり、「ひとひねり」した幽霊譚、という以上の意味はないと思われます。


(Kundry)




引用文献・参考文献

「ねじの回転」 ヘンリー・ジェイムズ 蕗沢忠枝訳 新潮文庫
「ねじの回転」 ヘンリー・ジェイムズ 南條竹則・坂本あおい訳 創元推理文庫
 ※ 私が読んだのは上記2冊の翻訳。新潮文庫は現在小川高義の翻訳になっている模様。

「ねじの回転」 ヘンリー・ジェイムズ 小川高義訳 新潮文庫
「ねじの回転」 ヘンリー・ジェイムズ 土屋政雄訳 光文社古典新訳文庫
「ねじの回転・デイジー・ミラー」 ヘンリー・ジェイムズ 行方昭夫訳 岩波文庫
 ※ こちらの3冊は私は未読です。


Diskussion

Parsifal:まったく同感だね。無理に解釈したり意味付けたりする必要はない。

Hoffmann:陰謀論の心理と同じでね、ミステリの結末を読むように、すっきりしたいという人が多いんだよね。


Kundry:こういった、はっきりとオチをつけていない、どうとでも解釈できるような小説は好みではない、という人も少なくないようですね(笑)ひとの好みですからどうこう言うこともありませんが、ちょっともったいないですね。


Klingsol:それだと、20世紀の小説にはかなり読めなくなってしまいそうだ(笑)

Hoffmann:これが真性の幽霊譚だったとしても、この世のものでない相手が、我々生者の理解の範囲内で収まるような意図しか持っていないとしたら、その方が不思議だよね。以前話した、宇宙人が現代人に馴染みやすくて理解可能なメッセージを寄越すというのと同じ話で、善悪という概念から、その判断基準まで、はっきりしすぎていたら、それはもう「飼い慣らされた心霊現象」だよね。オカルト映画の悪魔だって、そういったところが底が浅く感じられる原因なんだ。

Kundry:だからヘンリー・ジェイムズはそういった軽薄なstoryに堕すことのないように、曖昧なままにしたのだと思うんですよ。

Klingsol:その意味では、人類の理解できる範囲内の価値観ではなく、まったく理解不能な「意思」―かどうかもわからないもの―を書いたのは、ヘンリー・ジェイムズ以後でも、「ソラリス」のスタニスワフ・レムくらいじゃないかな。

Hoffmann:ただ、個人的にはこの小説はそれほど好きではないんだ。ヘンリー・ジェイムズは長編の方がいいね。国書刊行会から出ていた作品集全8巻なんか、読み応えもあっていいよ。とくに「鳩の翼」と「黄金の盃」。短いものはあまり面白くない。「デイジー・ミラー」とか「国際エピソード」なんて、題材も描いている世界(社会)も、俗悪すぎる(笑)

Parsifal:Hoffmann君は長編好きだからね、長編だと許しちゃうんじゃないか(笑)

Kundry:今回私が読んだのは古い新潮文庫と比較的新しい創元推理文庫なんですが、現在出ている新潮文庫は新訳になっているようですね。

Hoffmann:創元推理文庫の南條竹則・坂本あおい訳の方がこなれているかも。ただ、女性の手記ということで、「・・・ます」「・・・ました」「・・・でした」という訳文になっているんだよね。長編小説としてはそれほど長くはないんだけど、ずっとこの調子だと、ちょっと疲れる。個人的には蕗沢忠枝訳の方が好きだ。

Parsifal:それぞれに、一長一短あるね。新潮文庫の新しい方は読んでいないけど、ほかにもいろいろな訳で出ているようだし、本屋さんで手に取って、好みで選べばいいんじゃないかな。

Kundry:それでは、あとはこの小説を原作とする映画について、お話をお願いいたします。モノクロ映画ですから・・・やはりHoffmannさんですね(笑)


(追記) 「回転」 ”The Innocents” (1961年 英) のページ、upしました(こちら