168 「戦場のエロイカ・シンフォニー 私が体験した日米戦」 ドナルド・キーン 小池政行(聞き手) (藤原書店) 2019年に亡くなられたドナルド・キーンDonald Keeneはアメリカ合衆国出身の日本文学・日本学者。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災を機に日本国籍を取得し日本に永住する意思を表明して、翌2012年(平成24年)3月8日に帰化が認められ、正式に日本人となっっています。 Donald Keene 私はこの人の音楽エッセイが子供の頃から大好きでしてね。昭和52年に音楽之友社から出た「ドナルド・キーンの音盤風姿花伝」などは何度も何度も、繰り返し読んだものです。とくに、氏が若き日に親しんだ往年のメトロポリタン歌劇場に出演していた伝説的な大歌手の名前はあらかた覚えてしまって、その歌声を想像したりしたものです。山崎浩太郎も「クラシック ヒストリカル108」(アルファベータ)のなかで、図書館で借りてきたドナルド・キーンの「ついさきの歌声は」(中矢一義訳、中央公論社)を読んで、「その愛情と熱意に満ちた文章にあおられて、伝説的なワーグナー歌手であるキルステン・フラグスタートの歌などは、ぜひ聴いてみようという気になっていた」、また当時メルヒオールに関して「驚いたのは、日本語の資料というのがD・キーンの文章以外、ほぼ皆無だったことである」と書いています。 メトロポリタン歌劇場は1975年に来日しているんですが、その公演について、雑誌や新聞の批評はいずれも芳しいものではなく、なかには「アメリカにはオペラはなかった」などと結論付けている人も。莫迦なこと言っちゃいけない。ましてや、当時オペラハウスのひとつも持っていなかった国の人間が(笑) 日本の評論家というのは歴史的に左翼系がほとんどで、ロシアとか東独などの旧共産圏の演奏家はベタ褒め、資本主義の国アメリカの演奏家なんて、てんで認めていなかったんですよ。メトロポリタン歌劇場以外でも、これもドナルド・キーンの本に書かれているんですが、ショルティとシカゴ交響楽団のレコードを評して、ショルティはシカゴ交響楽団がヨーロッパ的な音色になるのを待っていた云々・・・というのがあって、それならこれまでシカゴ交響楽団に君臨していたクーセヴィツキーやフリッツ・ライナーはなにをしていたんだ、という話です。ほかにも、トロント交響楽団について、アメリカのオーケストラと違ってあたたかい音がする、といった発言もあり、総じてアメリカは一段低いもの、劣ったものであるという暗黙の前提があるんですね。アメリカはヨーロッパに比べると特に文化的な歴史が浅いという先入観もあったんでしょう。それは日本だって同じなのに、なぜか日本は別格だと思っていた節もある。評論家だけじゃない、NHK交響楽団の理事だって、韓国人のヴァイオリニストに関して、「神聖なドイツ音楽をニンニク臭くするヴァイオリニストとは共演しない」なんて発言をしていました。ドイツ音楽が神聖かどうか知りませんが、日本人は特別な資格を持っていて、決して糠味噌臭くはしないということでしょうか。それなら私も言わせてもらいますよ、「クラシック音楽を官僚的なサラリーマン集団のオーケストラでは絶対に聴きたくない」―と。 それはともかく、私が愛読していた「ドナルド・キーンの音盤風姿花伝」はもともとこの表題で1975から1976年にかけて「レコード芸術」誌に掲載されたもの。ドナルド・キーンはその後1979年にも同誌にエッセイを連載したんですが、こちらはその他いくつかの単発のエッセイとともに「音楽の出会いとよろこび」という表題でやはり音楽之友社から刊行されました。その後2冊とも―「ドナルド・キーンの音盤風姿花伝」は「わたしの好きなレコード」と改題されて―中公文庫に入っています。 さて、2019年2月に亡くなられて、その直後4月には「ドナルド・キーンのオペラへようこそ! われらが人生の歓び」(文藝春秋)という本が刊行されている氏のこと。ここはオペラの話といきたいところはやまやまなんですが、今回はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」に関するエピソードを―。 戦争中、わたしはホノルルで、日本人捕虜たちと語り合うという、このうえなく愉しい時間を数多く持つことができた。わたしは、二、三の捕虜と友人になったが、あるときそのひとりが、クラシック音楽が恋しいといったので、その人物の愛聴盤だという《英雄》のレコードとポータブル蓄音器を捕虜収容所キャンプに運んでいくことにした。ホノルルのレコード店で日本の歌謡曲のレコードも数枚買って携えていった。その夜キャンプで利用できる最大の部屋、シャワー室に日本人捕虜たちを集めて、レコード・コンサートが開かれた。わたしが手当たりしだいに選んで買ったものにもかかわらず、その五、六枚の歌謡曲のレコードは、日本人捕虜たちのさまざまな記憶を刺激した様子だった。次に、わたしが、これからクラシックの長い曲をかけるから、その種の音楽に関心のない人は出て行くようにと伝えると、二、三人退室する者もあったが、ほとんどがその場に残っていた。このときの《英雄》の演奏は、わたしには決して忘れることのできないものになっている。 《英雄交響曲》からあれだけの深い感銘を受けたことは、後にも先にもない経験だった。ブルーノ・ワルター指揮の演奏そのものがすぐれていたためばかりではない。音楽はすべての国境を、戦争の悲惨な状況をさえ、超越するという、古くからいわれていることばが真理であることを、初めて理解できたからでもあった。 捕虜のひとりだった故堀川潭氏はのちに、そのときの出来事を描いた『ベートーヴェンの第三』と題した短篇小説を発表したが、偶然の一致というべきか、このわたしも同じ題名の短篇を書いていたのである。ただ、私の作品は活字にはならなかった。わたしの物語は、音楽の発揮する思いもよらぬ力に焦点をあてたものであったが、堀川氏の作品は、おもに、なぜわたしが的の捕虜にこの曲を聴かせたのかという点に興味の的が絞られている。音楽に聴きほれている捕虜の不意をつこうという腹なのだろうか。それとも、ナポレオンへの献辞を引き裂いたベートーヴェンになぞらえて、独裁者に対する憎しみを伝えようとしているのだろうか。だが、その堀川氏も、わたしが音楽に耳を傾けているのを見つめているうちに、ついに、わたしに他意のないことを悟る。氏は、わたしに、家族と祖国から遠く隔てられて、淋しい思いを味わっている一団の人々に楽しみをあたえようというつもりしかなかったことを理解してくれたのだ。 今日、ベートーヴェンの作品ではどの曲が好きかと問われた場合、わたしはいつも《英雄》と答えているが、おそらく、それは《英雄》が実際ベートーヴェンの交響曲のうち一番すぐれた作品であるというためばかりでない。疑いなく、その戦争中の体験が、《英雄》を聴くときのわたしの姿勢に影響を及ぼしているためでもある。(中矢一義訳) 以上は「音楽の出会いとよろこび」に収録された「音楽と記憶」と題されたエッセイからの引用。 なお、この体験は「ドナルド・キーン自伝」(角地幸男訳、中公文庫)でも語られており、そこでは該当の捕虜の名前が「高橋潭」となっていますが、これは堀川潭、高橋潭のふたつの筆名を使っていたから。ちなみに本名は高橋義樹。 そして、その「活字にはならなかった」ドナルド・キーンの短篇小説を読める本が、2011年に出た「戦場のエロイカ・シンフォニー 私が体験した日米戦」(藤原書店)です。これが、上記のとおり別な本から引用して、取り上げるのがこちらの本である理由。この本は小池政行が聞き手となって、同氏が自らの戦争体験、当時、そしていま日本と日本人について感じたこと・感じていることを語ったもの。その巻末に短篇「エロイカ・シンフォニー」が収録されています。一読するとエッセイのように思えますが、作者のあとがきによれば、細部には創作も混じっており、「私はこの出来事を厳然たる文学的経験に仕立てようと、あやふやな部分を繕ったのは疑いない」としています。 子供の頃、そのエッセイで、書いたが「活字にはならなかった」とされていた作品を、エッセイが書かれてから30年以上、作品が書かれてからは、おそらく半世紀以上の時を経て、こうして読むことができるようになったのは、うれしいですね。 (Hoffmann) 引用文献・参考文献 「戦場のエロイカ・シンフォニー 私が体験した日米戦」 ドナルド・キーン 小池政行(聞き手) 藤原書店 「わたしの好きなレコード」 ドナルド・キーン 中矢一義訳 中公文庫 「音楽の出会いとよろこび」 ドナルド・キーン 中矢一義訳 中公文庫 「ドナルド・キーン自伝」 ドナルド・キーン 角地幸男訳訳 中公文庫 「ドナルド・キーンのオペラへようこそ! われらが人生の歓び」 ドナルド・キーン 文藝春秋 「クラシック ヒストリカル108」 山崎浩太郎 アルファベータ Diskussion Kundry:たしか、Hoffmannさんはこの方のエッセイを読んで、プーランクの歌劇「カルメル会修道女の対話」のレコードを入手されたんでしたね。 Hoffmann:そう。イタリア・オペラはあまり聴かないけれど、たとえばマリア・カラスを聴くと、ついドナルド・キーンの賛辞を思い出してしまうね。 Parsifal:日本の文化と日本人をこれほどまでに愛してくれたのは、やっぱりうれしいな。 Klingsol:ほとんどの日本人よりも日本の文化について詳しい人だったよね。 (参考) 音楽を聴く 171 ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」のdiscから upしました。(こちら) |