171 ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」のdiscから ナポレオンが皇帝に即位したとの報せを聞いたベートーヴェンは激怒して、「ボナパルト」と題された第三交響曲の表紙を破った・・・フェルディナント・リースによるこの証言を鵜呑みにしている人も、もうあまりいないと思いますが、かつてロマン・ロランなんかは、「ベートーヴェンの帝国は、ナポレオンのそれよりも長く続いたのだ」なんて言っています。 厳密に言えば、交響曲第3番「英雄」と呼ぶのも正しくはありません。1806年に出版された際の題名は、イタリア語で"Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire d'un grand'uomo"「英雄的交響曲、ある偉大な人物の思い出に捧ぐ」です。eroicaは英語にすればheroic、「英雄的な交響曲」なんですよ。ちなみに「偉大な人物」というのが誰を指すのか諸説あるところで、フリードリヒ王の甥にあたるプロイセン王子、ルイ・フェルディナントではないかとも言われています。 ま、この交響曲のおかげで変ホ長調は「英雄的な調」ということになり、R・シュトラウスも交響詩「英雄の生涯」を律儀に変ホ長調で書いています。ちなみにロマン・ロランはベートーヴェンの後にあらためて自分を英雄として提示する「不適な人物」を批判して、同時に自分の勝利に陶酔するドイツ思想をも批判しています。もっとも、ナポレオンだってヨーロッパで大暴れしたのにね。それに、R・シュトラウスの「英雄の生涯」は、あれはパロディでしょ。自作の引用なんて、ベートーヴェンだってモーツアルトだって、もちろんブルックナーやマーラーもやっている。ただ、ベートーヴェンが構築している展開部が、R・シュトラウスの場合は「リズムをおびた色彩の展開」(ドビュッシーの指摘)なんですよ。しかも、複雑なポリフォニック的音楽(英雄の敵とか)から、力強い英雄のテーマが浮かび上がってくるように、効果造りも怠りない。管弦楽法の妙技。だからひたすら純音楽的なアプローチで・・・といえば聞こえはいいものの、単なる絢爛豪華な音響としてオーケストラを鳴らすカラヤン、マゼール、ショルティといった指揮者たちが積極的に取り上げたんですよ。 左はJoseph Karl StielerによるLudwig van Beethovenの肖像画、右はJacques-Louis David作、"Bonaparte franchissant le Grand-Saint-Bernard" さて、所有しているdiscから― ドナルド・キーンの話に出てくるブルーノ・ワルター指揮のSP盤は、おそらくニューヨーク・フィルハーモニックとの1949年の録音と思われるが、私はこのレコードを持っていないので、今回、最初に聴いたのは、ワルター指揮、シンフォニー・オブ・ジ・エアの盤(日本コロムビア)。シンフォニー・オブ・ジ・エアとは旧NBC交響楽団のこと、これは1957年2月3日、トスカニーニ追悼公演のlive録音。私はトスカニーニ、NBC交響楽団の演奏は好まないが、ワルターが振ると、これがNBC交響楽団なのかとちょっと驚くくらい、柔軟なタッチになって、これは好ましい。 フルトヴェングラーの複数の録音は、どれがいちばんいいかなどといった格付け抜きに、どれもフルトヴェングラーの刻印で愉しめる。 そのほか、mono録音で聴いたのは以下の盤― ワインガルトナー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の1936年録音(Artisco) デ・サバータ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の1946年録音(DECCA) フリッツ・ブッシュ指揮 Niederoestrreichisches Tonkuenstler-Orchestra(RELIEF) メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(Telefunken) シューリヒト指揮 パリ音楽院管弦楽団(EMI) エーリヒ・クライバー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の1950年録音(DECCA) コンヴィチュニー指揮 シュターツカペレ・ドレスデン(ETERNA) クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団の1955年録音(Columbia) Artiscoのワインガルトナー盤は疑似stereo。このワインガルトナー以外はどれも個性的で、強烈な印象を残す。それでもエーリヒ・クライバー、それにコンヴィチュニーとクレンペラーは高度な次元でのスタンダードな演奏。コンヴィチュニーはその後ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とstereoで全集録音を行っているが、それに先立つ、この1955年のmono録音はさらにいい。クレンペラーもフィルハーモニア管弦楽団とstereoで全集録音を行っているが、そちらはレコード番号で言うとSAX2364、このmono盤は33CX1346で1955年録音、stereo録音の4年前。 バーンスタイン指揮 ニューヨーク・スタジアム交響楽団の1953年録音(AVM) オーケストラの実体はニューヨーク・フィルハーモニックとほぼ同じと言われている。意外にも楽想の描き方はきっちりと折り目正しく、やや強調気味でオーソドックスな楷書体の演奏。バーンスタインとしては後のニューヨーク・フィルハーモニックとのColumbia録音よりもスタンダード。 このほか、フリッチャイ指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(DG)も聴いたが、この1958年録音はstereoで残されており、たまたま私がmono盤を持っていたということ。 stereo録音では、今回聴き返したなかでは― ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の1959年録音(EMI) ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の1956年録音(Telefunken) この2枚をトップクラスとして挙げたい。これと同等と言えるのが― クリュイタンス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の1958年録音(EMI) シューリヒト指揮 フランス国立管弦楽団の1963年5月14日live(Altus) クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団の1959年録音(EMI) コンヴィチュニー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の1960年頃録音(ETERNA) ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の1965年録音(DECCA) フェレンチク指揮 ハンガリー国立管弦楽団も1971年録音(Hungaroton) モントゥー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との1957年録音(DECCA) モントゥー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との1962年録音(PHILIPS) クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団(BR) クリュイタンス、クレンペラー、コンヴィチュニー、シュミット=イッセルシュテット、クリュイタンスは全集録音があり、万人向けでは? フェレンチクはこのグループの中でも上位の座。モントゥーの2種は、第1楽章クライマックスのトランペットが、ひとつは原譜より一音先まで、もうひとつはさらに1音、つまり主題1回目を吹かせている。オーケストラもロケーションも異なるながら、PHILIPSとDECCAの録音の違いも大きく、どちらかといえばアムステルダム盤を聴くことが多い(2枚持っている)。クーベリック盤はBR=Bayerischer Rundfunkの自主製作盤。録音年は記載がないのでわからないが、1960年代後期か。 ラインスドルフ指揮 ボストン交響楽団の1962年録音(RCA) 若杉弘指揮 ケルン放送交響楽団の1977年録音(WDR) バルビローリ指揮 BBC交響楽団の1967年録音(PYE) テンシュテット指揮 北ドイツ放送交響楽団の1979年live(NDR) ラインスドルフ盤は残響豊かな録音はいいが、私が持っている仏RCA盤は、ややカン高く歪みっぽいのが難点、これはCDで聴いた方がいいかもしれない。ラインスドルフの「英雄」は、1978年にバーンスタインの代役でニューヨーク・フィルハーモニックと来日した際に聴いた曲目でもあり、懐かしい。CDも含めると3種ある若杉弘の「英雄」は、ケルン放送交響楽団との1977年録音を第一に選ぶ。このふたつはオーソドックス。バルビローリはやや特異な演奏ながら、いかにも血の通った、手作り感のある好演。テンシュテットもオーケストラの自主製作盤。後のロンドン・フィルハーモニー管弦楽団とのセッション録音(EMI)よりもこちら。現在はCDでも入手可能なはず。これも個性派。 全集録音からはさらに― ワルター指揮 コロムビア交響楽団の1958年録音(Columbia) セル指揮 クリーヴランド管弦楽団の1957年録音(EPIC) ヨッフム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(PHILIPS) ヨッフム指揮 ロンドン交響楽団(Electrola) ヨーゼフ・クリップス指揮 ロンドン交響楽団(ARTIPHON) ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(PHILIPS) ワルターのstaticな演奏もこれはこれで好き。セルもかなり綿密な設計で見事。ヨッフムは2回目と3回目の全集録音。年齢を経てからの方がいいが、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の響きも魅力的。クリップスの3番はやや明るめの響きがこれはこれで心地よく、ハイティンクの第1回全集録音も捨て難い。 このほかLPでは、Altusから出たウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のlive録音の聴きくらべが愉しい― ムーティ指揮 1992年6月21日live ジュリーニ指揮 1994年5月17日live テンシュテット指揮 1982年8月29日live 以上の3種。テンシュテットがその後このオーケストラに招かれなかったのも理解できるが、このparanoiacと形容したくなるような演奏はたいへん興味深い。引き締まったムーティと響きを膨らませるジュリーニのコントラストも面白い。ムーティ指揮、フィラデルフィア管弦楽団(Electrola)、ジュリーニ指揮、ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団(DG)を挙げなかったのは、これがあるから。ちなみに、ジュリーニとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の響きは、セッション録音によるDG盤とはかなり異なる。 迷いながらも挙げなかったのは、mono録音ではカラヤンのフィルハーモニア管弦楽団との録音(Columbia)、パウル・ヴァン・ケンペン(PHILIPS)。stereo録音ではベームのベルリンとウィーンの2種(DG)、ケーゲル(Capriccio)、クーベリック(DG)、ケンペのミュンヘン録音(Electrola)、ブロムシュテット1回目(ETERNA)、バーンスタインの2種(Columbia、DG)。ただし、迷ったということはそれなりの美点を認めているということ。これらの演奏がダメだというわけではありませんぞ(笑)少しだけコメントしておくと、ケンペ盤はこの時期にEMI(Electrola)に多かったSQエンコード盤であるため、響き(位相)が混濁気味なのが惜しい。バーンスタインのニューヨーク・フィルハーモニックとの全集は作品によってムラがあるが、3番はいい方。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのDG録音は平面的な録音によってかなり損をしている。 迷わず取り上げなかったのは・・・その盤が好きな人もいるかも知れないし、言わぬが花か(笑) CDでは― ベーム指揮 バイエルン放送交響楽団の1978年live(audite) クーベリック指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の1971年live(ORFEO) このふたつが最右翼。シューリヒトのlive録音にも複数(Altus、ORFEO、Testament)、いいものがあるが、上記のLPになっているORTFとの1963年liveで代表させる。 現代的な洗練された響きでは― ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団(DHM) カンブルラン指揮 南西ドイツ放送交響楽団(SWR) ギーレン指揮 南西ドイツ放送交響楽団(haenssler) ケント・ナガノ指揮 モントリオール交響楽団(ANALEKTA) このほか、古いところで― シェルヘン指揮 ルガーノ放送管弦楽団(PLATZ) 演奏中のシェルヘンの叫び声(かけ声?)が盛大に入っていて、その破天荒ぶりも捨て難い。 古楽(ピリオド楽器)では― ブリュッヘン指揮 18世紀オーケストラの2回目(GLOSSA) サヴァール指揮 ル・コンセール・ド・ナシオン(ALIA VOX) このふたつが好き。 (Hoffmann) |