168 マーラー雑感




「交響曲は『世界のようなもの』でなければなりません。それは『すべて』を抱擁せねばなりません」

 これは形式の厳密性と、諸動機の内的統一性を尊重するシベリウスに、異議を唱えたマーラーのことばです。

 だからシベリウスの交響曲が次第に簡潔に、短くなっていったのに対して、マーラーの交響曲はますます長大になっていったんですよ。マーラーは、世界は決して目的的意思や有機的統合性や意味などによって創造・構成されてはいない、世界は盲目で、不条理で、混沌たるものであって、交響曲はそれをあるがままに描き出さなければならないという考えに取り憑かれていたのです。

 いま、「取り憑かれていた」なんて言ったのは、こうした確信は、揶揄の対象になり得るから。

「となりのドイツじゃ黄色いチョッキを着た男が、たった一度、接吻をしただけの女のために自殺する小説が流行っているそうだが、酔狂な男がいるもんだ」

 これはアナトール・フランスの「神々は渇く」からの引用です。もちろんここでゲーテの「若きウェルテルの悩み」を茶化しているわけですが、この、フランス人にしてみれば茶番としか映らぬ酔狂さがドイツ人のドイツ人たるところなのか、はたまたロマン主義というもののなせる技なのか・・・でもね、ドイツ人でもR・シュトラウスなどはマーラーについて、「救済って、 いったいなにから救われたいんだ?」と言っていますよね。

 ただし、やはりマーラーがユダヤ人であったことは忘れてはならないでしょう。なにもユダヤ的なものがあると言っているんじゃありませんよ。つまり、根無し草。ドイツにあっても、ウィーンにあっても、ドイツ人、ウィーン市民であるよりまえに、ユダヤ人であった、所謂「短い腕で生まれてきた」(同じことをするにも人並み以上の努力が必要、の意)ってやつですよ。それはやっぱり人生に影を落として、多情多感な人間が生々流転の人生を送ることとなって、それがその音楽の挫折と高揚のうねりにあらわれているのかも知れない。


Gustav Mahler

 マーラーの相反的な創作活動源とその音楽上の二重性について考えてみると、なにもかもがあからさまに中心から分裂していることに気付かされます。

 粗野であると同時に繊細
 洗練されながらけばけばしく泥臭い
 客観的かつ感傷的
 向こう見ずで内気
 確信に満ちていながら不安定
 修飾的でかつ対立的
 論理的でありながら混沌とした無秩序
 美しくかつグロテスク
 崇高と通俗
 おおらかで緻密
 テーゼとアンチテーゼ
 生命の歓喜と死への憧れ
 神がかり的で人間くさい
 巨視的に俯瞰しつつ細部・末端への神経症的なまでのこだわり

 ・・・こりゃいいや、いくらでも出てくる(笑)

 やっぱりユダヤ人だから? 違います。じつはこの二元的な対立こそがヨーロッパ精神なんですよ。ふつうならそのときどきでどちらかに片寄ったり、いずれか一方は見て見ぬふりをしたりすることで、実人生と折り合いを付けていくものなんですが、マーラーは、愚直にもこれに向き合って、あらゆるものを包含してしまおうとしたわけです。二項対立なんて当然のこととして、むしろ、これを統合してしまおうとしたところが、おそらく時代精神、世紀末芸術家の宿命だったんですよ。

 ロマン主義から世紀末へ。生へのあまりにも強い執着は、逆に死への強迫観念を呼び起こすことになる。シューベルトなら「冬の旅」「美しき水車小屋の娘」、マーラーなら「さすらう若人の歌」「少年の魔法の角笛」ですね。しかしマーラーはロマン主義者にして世紀末思潮のなかにいた人。ここでまた二項対立の統合への試みになるんです。死への強迫観念を克服するために、死と滅びに親しむことによって、死を恐れまいとしたんですよ。生と死を対立的なものとらえず、むしろ対立的なものを融合させるという、世紀転換期ならではの思考です。それを歌曲にするのに、同時代の詩人に求めず、リュッケルトの叙情詩を選んだところが、やっぱりドイツ・リートの伝統なんですね。もっとも、そこで終わらないのがやっぱり世紀末。その後、さらに壮大になって、「大地の歌」ではなんと中国詩にまで至るでしょ。

 言うまでもないことながら、マーラーが詩や小説を読むときは、自己との一体化に役立つかどうかがその取捨選択の判断基準ですからね。役立つものは徹底的に利用するというディレッタンティズムがあるんですよ、マーラーには。それが嫌らしく見えないのは、ひたすら生真面目で一途だから。マーラーが鼻持ちならない世間師だと考えていた(しかし作曲家としては高く評価していた)R・シュトラウスに言わせれば、「ものごとをなんでもかんでもくそ真面目に考えすぎる」んですよ。だいたい、「世界のようなもの」でなければならない交響曲を作曲するにあたって、そもそも聴衆の理解なんか無視してかからなければならないことも、自覚していたんです。だからディレッタント。「やがて私の時代が来る」、なぜそんなことを言ったのか? それは「いま」ではないことが分かっていたからです。

 とはいえ、二項対立のそれは、「統合」「融合」だったのか。どんなにかき混ぜたって水と油は溶け合わない。語呂合わせではありませんが、やはりマーラー自身が分裂気質なんですよ。自己中心的で強固な性格、情緒表出の激しさ、理想主義的で妥協を知らない絶対的な権威者として君臨し、過酷なまでの緊張と努力を要求する劇場監督。

 そう考えると、その音楽が、マーラーという分裂病者の内的体験の、執拗なまでの反復になるのも当然のことなんです。とくに自作のために一度は書いたが、その後取り消した「標題」。これがその音楽の描写的意図について多くの誤解を生み出してきたわけですが、やっぱり「ヒント」になっている。多くは主に文学から借用されたもので、それでなにをやろうとしたのかというと、視覚芸術たる絵画と競争しても到底勝負になりませんから、imageをかき立てようとしたわけです。

 その手段のひとつに数えられるのが、たとえば交響曲に声楽を押し込んで、あるいは楽器を舞台裏や後方に配置するといった方法です。これが交響曲に劇場的効果を持たせようとするマーラーの新機軸。形式的制約からの解放ですよ。だから、マーラーはオペラという人工的な形式に向かわなかったんです。オペラに関しては、指揮はしたが、作曲はしなかった、ということが重要なことなんです。


Gustav Mahler

 前島良雄「マーラーを識る 神話・伝説・俗説の呪縛を解く」(アルファベータブックス)という本があります。これはマーラーに関して、よく知られていることとして、毎度毎度言われていたこと、すなわち「通説」を検証して、その誤りを指摘した本です。目次を引いておけば、どのような「通説」が検証されているのか、概ね察しがつくはず―

はじめに
マーラーの交響曲において「標題」とは何か
交響曲第一番
 《巨人》と呼ぶのは誤りである
 第一番は初めから「交響曲」だった
 《ブルーミネ》はなぜ削除されたのか
 葬送行進曲の原曲は誰でも知っている
アルマの回想録の嘘
交響曲第二番
 第五楽章の歌詞はほとんどがマーラーの詩である
戦時下の日本中でマーラーが鳴り響いた日々
交響曲第三番
 タイトルはなぜ無視されるのか
 第一楽章はいつ作曲されたのか
 終楽章の表すもの
交響曲第四番
 謎が多い最初の構想
 最も不適切なタイトル
マーラーとバイロイト
交響曲第五番
 この曲こそ第一番である
 《結婚行進曲》から《葬送行進曲》へ
交響曲第六番
 《悲劇的》はタイトルではない
 スケルツォが先か、アンダンテが先か
交響曲第七番
 《夜の歌》と呼ぶのは、ただの間違いだ
 《夜の歌》と呼び始めたのは誰か
ヴァルターもクレンペラーも弟子ではない
交響曲第八番
 《千人の交響曲》と呼ばれることをマーラーは拒否した
《大地の歌》は交響曲か?
フルトヴェングラーはマーラーが苦手だったのか
交響曲第九番
 このうえもない幸福な日々の中で書かれた音楽
交響曲第十番
 どうして完成されなかったのか
あとがき
参考文献


 少しマーラーについて知っている人なら、これらの表題を見ただけで、著者がどんなことをどのように論じているのか、想像がつくはず。詳しい人なら、「そんなことはあたりまえだ」と思うかもしれない。でもね、マーラーに限りませんけどね、生半可な知識というか思い込みで「知っているつもり」になっていたり、「知ったかぶり」をする人って、結構いるんですよ。

 学生時代に耳にしたのは、「ブロムシュテットはじつは楽譜が読めなくて、演奏の開始時に第一ヴァイオリンが合図をして、後はそれに合わせて棒を振っているだけなんだ」とか「ワーグナーとヒトラーは親友だった」なんての(笑)単なるデタラメなら相手にする必要もないんですが、ちょっと「知っている人」の「知っているつもり」は少々面倒です。たとえばK村君の発言はこういうものでした。「バーンスタインやショルティはユダヤ人だからバイロイトには呼ばれない、なぜなら、マーラーも呼ばれなかった」・・・その後ショルティは1年だけバイロイトで「ニーベルングの指環」を指揮しているんですが、この発言はそれより前。さらに言えば、ユダヤ人であるクレンペラーも、1959年にはバイロイトに招かれている(前年の大火傷でキャンセル)、また1965年にはヴィーラント・ワーグナーからベートーヴェンの交響曲第9番の指揮を依頼されています(交渉の末頓挫)。また、バーンスタインもヴォルフガング・ワーグナーからバイロイト出演のオファーを受けています(バーンスタインがTV放映その他の条件を出したため実現せず)。

 反ユダヤ主義に関することについては、それこそこの本の「マーラーとバイロイト」あたりに目を通してもらいたいところ。もっとも、このような文章が書かれたということは、K村君のように考えている人が少なからずいるからでしょう。

 一応この本で検証されていることをまとめておくと、まずマーラーが1882年の第二回バイロイト音楽祭に行ったとされているのはかなり疑わしいこと。初めて行ったのは、1883年の第三回。以後、マーラーは生涯に514回、ワーグナーのオペラを指揮することになる。にもかかわらず、マーラーがバイロイトで指揮をしなかったのは、マーラーが「ユダヤ人であったから」指揮「できなかった」とするのは間違い。ワーグナーにの周辺にはユダヤ人の協力者・崇拝者がたくさんいて、ワーグナー存命中の1882年のバイロイトで「パルジファル」初演を指揮したヘルマン・レーヴィもユダヤ人。さまざまな形でワーグナー作品を精力的・献身的に演奏していたのもユダヤ人。ワーグナーや妻のコジマにはたしかに反ユダヤ感情があったと思われるが、バイロイト音楽祭実現のためには留保できるレベル、拒否はしていない。また、バイロイトに誰でも知っている大物指揮者が登場するのは1930年のトスカニーニ以降。マーラーのような、ウィーン宮廷歌劇場の現役の監督などといった、多忙で重要なポストに就いていた人物が夏休みを返上して「奉仕する」ところではなかった。1893年から翌年にかけて、マーラーはバイロイト(コジマ)からバイロイトで歌う予定の歌手の稽古を頼まれ、引き受けている。コジマとの関係の良好。ただし、1905年のジークフリート・ワーグナーのオペラ「楽しい兄弟」の上演を巡っての行き違いから、疎遠になったようではあるが、たしかなことはわからない・・・。

 「ウィーン宮廷歌劇場の現役の監督などといった、多忙で重要なポストに就いていた人物が夏休みを返上して『奉仕する』ところではなかった」というのは、まさにそのとおりでしょう。それでも、中川右介などは、「指揮者マーラー」(河出書房新社)のなかで、前島良雄の「マーラーを識る」を編集・制作した立場でこれを引用しつつも、次のように書いています―

 一方のマーラーとしては、バイロイトで指揮してくれないかとの話を期待していたのであろう。そしてコジマは夫の影響を受け、反ユダヤ主義者だった。彼女はマーラーの才能は認めつつも、夫が創設し、自分が守っている音楽祭にユダヤ系の指揮者を招聘することはできない。結局、マーラーはバイロイトでは指揮をすることはないのだ。

 ・・・それでも「地球は回る」ってか(笑)「マーラーとしては、バイロイトで指揮してくれないかとの話を期待していたのであろう」と推測する根拠は、マーラーの側(手紙など)にはなにもありません。これこそ見てきたかのような(当人たちに聞いてきたかのような)嘘。断片的な知識から証拠もないままに勝手な思い込みでimageを広げてしまのも、自分で考えているだけならいいんですが、こうして活字にしてしまうと、これを鵜呑みにしてしまう人がいて、半ば「常識化」してしまうことがあるんですよ。マーラーに関する誤解なんてたいがいそうして広まってしまったものなんですから、もう少し考えて書いてもらいたいもんですね。しかも中川右介は前島良雄の本を読んでも、自分の勝手な思い込みに凝り固まってしまっている。だいいち、バイロイトで指揮することがワーグナー指揮者として一流の証であるというimageを持つのも、これはかなりの「思い込み」です。

 こんな調子ですから、マーラーに関する俗説が、いまもって少なからぬ人たちに信じられているのも無理ありません。以前にも言いましたが、「大地の歌」の歌詞が誰のどの詩をもとにしているのか、CDの解説書なんかは、いまもって最新の研究が反映されず、何十年も前に言われていたことをそのまま繰り返しているばかりですからね。

 私も若い頃から上記のようなこと知っていたわけではありませんが、バイロイトで指揮することが一流の証であるとは考えていませんでしたね。これは、いまでもいるかもしれませんが、レコード録音をしている指揮者が一流であって、レコードの出ていない指揮者や演奏家は二流以下だと思っている人、結構いたんですよ。とくに、日本人は「有名人」に弱いというか、有名な演奏家ならそれだけで恐れ入ってしまう人がほとんどでしたからね。

 「知っているつもり」というのは、とくに趣味の領域では音楽に限らず、よく見られることです。ダンヒルと言えば煙草関連の製品の製造・販売が業務の柱だと思っている人、カール・ツァイスといえばカメラのレンズを作ってばかりいると思っている人は、むしろ煙草やカメラに詳しい人に多いんです。で、「自分は詳しい」という自覚があるから、「知っているつもり」で、結果的に「知ったかぶり」を撒き散らしている。ちょっとばかり知っている人というのが、危ないんですよ。よく言えば単純・素朴なんですけどね。困ってしまうのが、自分はプロよりもわかっていると、自信満々な人(口調でだいたいわかります・笑)これは自戒を込めて言っています。常に自己を疑う姿勢、自己批判の精神は必要なんです。

 もうひとつ、前島良雄の本を読んで気付かされたことは、「大地の歌」を交響曲に分類することのへの疑義です。これは以前から問題とされていたんですが、私は「マーラーが交響曲だと言っているのなら交響曲でいいんじゃないNO?」と思っていたんですが、第9番のジンクスを恐れて、番号をつけなかったというアルマの回想録の記述が、さまざまな傍証から疑わしく、しかもレコードのジャケットに「交響曲」と表記しているのがもっぱら1960年代以降の我が国でのみの現象となると、そもそもマーラーは「大地の歌」を交響曲とは考えていなかったと考える方が正しいように思えます。まあ、「大地の歌」については、いまもって「ハンス・ベトゥゲによって翻訳された中国の詩」なんて書かれていますからね(詳細はこちらをご参照ください)、一度定着してしまうと、なかなか修正されないものなんですよ。

 とはいえ、我々は交響曲とか歌曲とかいった看板を聴きたいのではないし、形式を聴きたいのでもない。いや、形式のことを言うのなら、交響曲第8番だって、交響曲と分類することになにか意味が? てなもんで、できあがった作品を聴きたいのですから、あまりジャンルの分類にこだわる必要もないかなと思っています。交響曲全集のセットに、「大地の歌」が収録されていなくても、「ない!」と憤慨するのは間違っているのかも・・・という程度の問題です。それでも「大地の歌」の場合、交響曲に分類されていると、CDショップの棚でも、webで検索するときでも、わりあい探しやすいというメリットがありますね(笑)

 それにしても・・・「大地の歌」は私のもっとも好む音楽なんですが、これを聴いているといろいろと考えさせられます。マーラーは、交響曲は世界のようであらねばならず、すべてのものを包括しなければならない、なんて言いながら、晩年の作品は私小説めいたものになっていきましたよね。とくに第9番、未完の10番、交響曲に数えるとすれば「大地の歌」もそう。「私小説」なんて言うと、私のあまり好きな小説ではないんですが、それでもこれらの音楽が、私も含めて多くの人々に共感を呼び起こすのは、その個人的な境遇から陥った苦悩や、あるいは内面的な思想を、「世界苦」Weltschmerzのような普遍的なものに昇華させているためなのか・・・はたまた、ショーペンハウアーの言うように、音楽がイデアの初段階で言うところの「意志それ自体の模写」であって、鑑賞する側が思想などというものを超えた純粋な認識主観となっているためなのか・・・。


「交響曲第8番」初演のリハーサル(1910年)

 ついでにもうひとつ、これは前島良雄の本に書いてあることではないんですが、マーラーがユダヤ人なのでナチス時代にはドイツでは演奏されず、1960年代にマーラー・ルネサンスが起こったという言説がありますよね。いや、間違ってはいないんですよ。でもね、ナチス以前のワイマール共和国時代に、ハンス・プフィッツナーやラインホルト・ツィンマーマンなどをはじめとする、音楽の保守反動の展開があったことを忘れてはいけません。

 プフィッツナーは「新しい音楽的不能の美学―頽廃の兆候?」というエッセイで、ドイツ文化はユダヤ人の影響によって脅威にさらされているという論陣を張った。これは後にナチスの音楽美学の理論的支柱となって、大きな影響を与えています。ツィンマーマンは「音楽における国際主義の精神」という論文で、ドイツ音楽の国民的アイデンティティを破壊しようと企む国際主義的ユダヤ人の陰謀という構想を提示しています。そこで槍玉に挙げたのが、マーラーとシェーンベルク。シェーンベルクの無調に至っては、ヴェルサイユ条約の履行に努めたドイツ外相ヴァルター・ラーテナウの行動と同一視すべきものであると―。いやあ、ナチスが国民を騙したり洗脳したりしたんじゃなくて、国民がナチスを導いたのではないかと思えますね。このふたつの主張は、当時の音楽史家の著作にも影響を与えて、シェーンベルクは「音のカオス」を追求したという理由で非難され、マーラーについてはその人種的素姓に焦点を当てて、「真のドイツ精神」からまったく隔たったもので、ユダヤ主義とドイツ主義は本質的に相容れないものである・・・なんて論じられているんですよ。バッハ研究家のアルフレート・ホイスに至っては、1920年代の文化的・政治的状況を敵視して、「近年のドイツの作曲家に見られるユダヤ的影響」について論じている。お笑いぐさなことに、この人はロベルト・シューマンが創刊した「音楽雑誌」の編集長となって、反ユダヤ主義的立場を表明しつつ、同誌が「特定の集団や党派のために活動すべきではない」なんてホザいている。まさしく「おまいう」ですよね。

 ナチスの蛮行を否定するつもりはありませんが、なんでもかんでも悪いことはナチスのせいにしておけばいいというものではありません。それですませてばかりいると、本質を見誤りますよ。ナチスは突然現れたのではありません。それ以前に国民がお膳立てをして、民主主義の手続きによって選ぶことで成立したのです。民主主義で成立したということは、ナチズムがあの時代の国民の意志だったんです。


左:トーマス・マン、中央:マーラー(中)、右:クラウス・プリングスハイム(1910年のミ ュンヘンでの交響曲第8番初演時) クラウス・プリングスハイムはミュンヘンの名家の生まれで、作曲家・指揮者。1906年にはマーラーのもとでウィーン宮廷歌劇場の副指揮者となり、その後1931年(昭和6年)に上野の東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽部)に「外国人雇教師」として着任。同校のオーケストラを率いて、マーラーの交響曲第5、2、6、3、7番の公演を指揮している。プリングスハイムは1937年までの任期で日本を去ったが、山田一雄が「自分はマーラーの孫弟子」と言ったのは、この時期に同校で学んでいたから。

 アルマ・マーラーの「グスタフ・マーラー ― 回想と手紙」(酒田健一訳 白水社)は1973年に出ていて、学生時代に読み、感動的な手記だと思ってたところ、その後いろいろ研究が進んで(しまって)、いまではアルマ・マーラーがこの回想録を書くにあたって、自分に都合の悪いところは意図的に隠蔽したり事実に反する記述をしたりしたことも明らかにされています。どちらかといえばグスタフ・マーラーに肩入れしたい私としては、アルマは許せない存在であるとあえて言いたいんですね。ええ、そりゃあ妻としてみれば・・・なんてものわかりのいいことを言うなんてまっぴらですよ。いまではアルマは大嫌いなオンナです。

 この本の罪は重い。たとえば、前島良雄の本でも言及されていますが、ドビュッシーが反マーラー的な行動をとったなどのエピソードは、マーラーに関する本のみならず、ドビュッシー関連の文献にも紹介されてしまっているんですからね。いまやアルマ・マーラーが書き残していることなんか、あまり鵜呑みにしてはいけない・・・というより疑ってかかった方がいいということです。ついでに言っておくと、リヒャルト・シュトラウスもこの本を読んで、えらいショックを受けたみたいで、お気の毒です。


Alma Mahlerと二人の娘

 それではこれよりdisc篇―

 やはり最初に挙げておきたいのは、交響曲第9番、レナード・バーンスタイン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による1979年のlive盤(DG)です。これは当時NHK-FMで放送されて、そのときにエアチェックしたtapeはいまも持っています。これがCD化されたのはバーンスタインの死後のことで、個人的には「大事件」でしたね。それまでには1965年ニューヨーク・フィルハーモニックとの1965年録音のレコード(CBS)、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との1985年のlive盤(DG)、それにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との1971年の映像(DG)も聴いており、さらに実演では、1985年のイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団との来日公演にも接していました。どれもすばらしいものなんですが、やはりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのliveは別格です。

 このコンサートは定期公演への招聘ではなく、ベルリン芸術週間の一環で、政治犯の人権擁護を訴える団体「アムネスティ・インターナショナル」が企画したもの。つまりカラヤンの承認を得る必要がなかったからこそ、実現したんですね。

 バーンスタインによれば、指揮台に立ったとき、オーケストラは非協力的で、リハーサル時間も短い上に妨害を受けたと語っているんですが、これは一方からの証言だけでは(ましてや自分を飾る傾向の強いバーンスタインでは)その真偽も協力的・非協力的の度合いも、判断できないこと。出来上がった演奏はかなりの熱気ながら、オーケストラには大きなミスもある。ただし、少々の混乱からはかえってその緊張感と熱狂のほどが伝わってきて、作品の再現芸術を毀損するようなものではない。終楽章では小節線も消え去り、演奏者も、聴いているこちら側も、現世を超越したかのような世界に足を踏み入れることになります。


Leonard Bernstein

 そのほか所有している交響曲全集盤は、LPではバーンスタインの新旧(DG、Columbia)、クーベリック(DG)、テンシュテット(EMI)、ハイティンク(PHILIPS)。マゼール(CBS)は8番だけが見つからない(LPでは出ていない?)。CDではバーンスタインの新旧はLPと同じもの、テンシュテットもLPと同じ、そのほかクーベリック(audite)、ギーレン(haenssler)、ジンマン(RCA)、ノイマン(コロムビア、SUPRAPHON原盤)、インバル(DENON)、ベルティーニ(EMI)、セーゲルスタム(CHANDOS)、若杉弘(fontec)、小澤征爾(PHILIPS)などいろいろ持っていますが、このなかではバースタインの2種と映像のDVD(DG)、クーベリックの2種を別格としておきたい。このふたりの指揮ならば何番がとくにいいと言わず、すべてが1st choiceとなるレベル。


Rafael Jeronym Kubelik

 「大地の歌」はブルーノ・ワルター指揮、ニューヨーク・フィルハーモニックのレコード(Columbia)が私としては愛惜措く能わざるものながら、これは以前取り上げているので省略。その他の「大地の歌」のdiscも含めて、以下のページをご参考にどうぞ―

 「011 マーラー 大地の歌 その1 歌詞について」

 「012 マーラー 大地の歌 その2 LP篇」

 「013 マーラー 大地の歌 その3 CD篇」

 ワルター、ニューヨーク・フィルハーモニック以外の「大地の歌」では、同じくワルター、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の1936年live(東芝GR盤)。ベイヌム(PHILIPS)、バーンスタイン、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団(CBS)。

 あとは番号順に思いつくまま挙げてゆくと―

 第1番はLPならジュリーニ指揮、シカゴ交響楽団(EMI)、若杉弘指揮、シュターツカペレ・ドレスデン(ETERNA)。CD(後者はSACD)では1893年ハンブルク稿のトーマス・ヘンゲルブロック指揮、北ドイツ放送交響楽団(Sony CLASSICAL)、ヤン・ヴィレム・デ・フリエント指揮、ネザーランド交響楽団(ヘット・オーステン管弦楽団)(CHALLENGE CLASSICS)が面白い。

 第2番はクレンペラー(EMI)。mono録音ながら1951年live(DECCA)も演奏はすばらしい。この録音に限らず、クレンペラーのマーラーlive録音はmono録音でも演奏はどれも見事なものばかり。それにテンシュテット、北ドイツ放送交響楽団のlive(MEMORIES)、たしか昔FMで放送された演奏。第1楽章はモゾモゾしているが、後半の高揚感が見事。地味ながらハンス・フォンク指揮、ハーグ・レジデンティ管弦楽団(同オーケストラの自主制作盤)。これは3番も出ていた。


Otto Klemperer、Klaus Hermann Wilhelm Tennstedt

 第3番はいいdiscが多くて、ハンス・フォンクのほか、全集録音のなかから、バーンスタインの新旧(DG、Columbia)、クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団(DG)、ベルティーニ指揮、ケルン放送交響楽団(EMI)、テンシュテット指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(EMI)。テンシュテットは市販されたレコードはすべて聴いているが、さほど好きな指揮者でもなく、しかしマーラーだけが突出してすぐれている。CDでlive録音もいろいろ出ているものの、セッション録音の全集も価値を失っていない。CDでも、同じくテンシュテット、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の1986年10月5日のlive録音(ica)、バルビローリ指揮、ハレ管弦楽団の1969年5月3日のlive(BBC Music)、カール・シューリヒト指揮、シュトゥットガルト放送交響楽団(archiphon)。もう少し新しいところでは、エサ=ペッカ・サロネン指揮、ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団(Sony CLASSICAL)、ケント・ナガノ指揮、ベルリン・ドイツ交響楽団(TELDEC)、アルミン・ジョルダン指揮、スイス・ロマンド管弦楽団(Virgin CLASSICS)がときどき聴きたくなる。この3人は音響を聴かせるような演奏ではなく、とても音楽的なので。

 第4番ではベイヌム指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(DECCA)、クレンペラー(Columbia)がトップクラスで、次いでケーゲル(ETERNA)。このほか、録音の良さでハイティンク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の新旧(いずれもPHILIPS)も捨て難い。終楽章の歌に関しては、テンシュテット(EMI)のルチア・ポップと、バーンスタイン旧録音(CBS)のグリストが忘れ難い。誰の指揮とは言わないが、キャスリーン・バトル、キリ・テ・カナワなどは論外と言いたい(笑)おもしろいことに、その「論外」の歌が収録されたdiscは、指揮までが見事に「論外」になっている。また、近衛秀麿指揮、新交響楽団による1930年録音の復刻盤(DENON)は、資料的価値を超えた存在ながら、愛聴盤に数えるには至らない。そのほか、CDではカイルベルト指揮、ケルン放送交響楽団(Weitblick)も好き。

 第5番ではバルビローリ(EMI)、テンシュテットのセッション録音(EMI)、それに意外と面白いのがマゼール指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(CBS)。これが全集第一作だったが、若干作為的なところが鼻につくものの、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音色に支えられたものか、なかなか新鮮。ギュンター・ヘルビヒ指揮、ベルリン交響楽団(ETERNA)は音質良好、落ち着いた重厚さが魅力ながら、粘らないので表情がやや淡白になるのが、やや物足りないところ。

 第5番の第4楽章アダージェット単独録音で、メンゲルベルク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(東芝GR盤)、ワルター指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(東芝GR盤ほか)も忘れ難い。ワルターはSP盤も持っていて、ときどき蓄音機で聴いている。

 第6番も第3番と同様、いいdiscが多くて・・・というか、私が3番と6番が好きだからそう感じるのかも知れない。LPではバルビローリ(EMI)のほか、全集録音からテンシュテット指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(EMI)。CDでも同じくテンシュテットのニューヨーク・フィルハーモニックを振った1986年10月23日のlive(MEMORIES)が白熱的。さらにハイティンク指揮、フランス国立放送管弦楽団の2001年10月24、27日のlive(naive)。これがハイティンクによるマーラーのベストではないか。そのほか、キリル・コンドラシン指揮、シュトゥットガルト南西ドイツ放送交響楽団の1981年1月13-15日のlive録音(SWR)と、井上道義指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団による、ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールにおける1988年5月3-4日のlive(ポニーキャニオン)を挙げておきたい。ちなみに井上盤は当時LPとCD同時発売でLPを入手。続く第4、5番はCDのみの発売だった(ので、6番の印象がもっともよい・笑)。

 第7番は、LPではクレンペラー(EMI)、CDではコンドラシン指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の1979年11月29日live(tahra)。ギーレンがテンシュテットの代役でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を振ったlive(Testament)も都会的で洗練された響きがいい。

 第8番は、LPではギーレンのフランクフルトでの1981年8月28日のlive(CBS)。録音は万全ではないものの、この作品で完璧な録音を望んでも無理筋。CDでは全集録音のなかから、明快系のセーゲルスタムか。なお、discにはなっていないが、小澤征爾が1979年6月11日、サン・ドニ大聖堂でフランス国立管弦楽団を振った公演がかつてFMで放送されたことがあり、当時エアチェックしたカセットtapeはいまも所有、忘れ難い印象を残している。参考までに、オーケストラはフランス国立管弦楽団及びフランス放送新管弦楽団、合唱団はフランス放送合唱団、パリ児童合唱団のほか、ロンドン・フィル合唱団とされていた。その後ボストン交響楽団とのセッション録音(PHILIPS)が発売されたときは大いに期待したが、その演奏は混濁しきった録音により、著しく損なわれている。

 第9番では上記バーンスタイン、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のlive(DG)のほか、バルビローリ指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(EMI)、ブルーノ・ワルター指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の1938年live(東芝GR盤、Electrola)。CDでは若杉弘指揮、ケルン放送交響楽団との1983年6月11日、東京文化会館における来日公演のlive(Altus)、これは私も当日会場で聴いていたもの。全集に収録されているベルティーニ指揮、ケルン放送交響楽団のサントリー・ホールにおける1991年2月20日のlive(EMI)も当日会場で聴き、その緊張感の途切れないことに驚いた記憶がある。日本のオーケストラによる9番なら、小澤征爾、サイトウ・キネン・オーケストラや若杉弘、東京都交響楽団、飯守泰次郎、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団よりも、山田一雄、新日本フィルハーモニー管弦楽団1986年live(fontec)を第一に挙げておきたい。

 第10番はジョージ・セル指揮、クリーヴランド管弦楽団(CBS)、これはアダージョだけではなくプルガトリオも収録されているところがミソ。アダージョだけならテンシュテット、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団のセッション録音(EMI)とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのザルツブルクlive(Altus)を聴きくらべるとたいへん面白い。EMIのセッション録音はどうも彫りが浅くて、その分軽量級に聴こえてしまっていることが分かる。全曲録音なら、全集録音からSACDで、ジンマン指揮、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団(RCA)、これはクリントン・A・カーペンター補筆完成版の厚みのある響きが魅力的。

 きりがないので、あとはどうしても挙げておきたいものを―

 LPでは、ノイマン指揮ならチェコ・フィルハーモニー管弦楽団とのSUPRAPHON録音よりも、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との第5、6、7、9番(ETRENA)を。ノイマンは基本的に客観的なので、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団ではオーケストラの弱さが目立ってしまうが、ゲヴァントハウス管弦楽団だと響きの厚みと温もりで補われるといった印象。

 CDでは、ハンス・ロスバウトの1、4、5、6、7、9番と「大地の歌」(SWR CLASSIC)が客観的でドライなタッチながら、ダイナミクスの変化で表情をつけてゆく面白さがあり、これもまたマーラーの一側面。オーケストラは南西ドイツ放送交響楽団とケルン放送交響楽団、録音年はさまざまで音質もまちまち。

 「嘆きの歌」なら、CDでギーレン盤(ORFEO)かケント・ナガノ盤(ERATO)。若杉弘が東京都交響楽団を振った演奏会もよかったが、CDになっていない。「嘆きの歌」については、以下を参照下さい―

 「094 マーラー カンタータ『嘆きの歌』」

 その他の歌曲等は今回省略。


Vaclav Neumann、Hans Rosbaud


(Hoffmann)



参考文献・引用文献

「グスタフ・マーラー ― 回想と手紙」 アルマ・マーラー 酒田健一訳 白水社
 ※ 同書はかつて音楽之友社からも出ていましたが、あちらは英訳本からの重訳です。

「マーラーを識る 神話・伝説・俗説の呪縛を解く」 前島良雄 (アルファベータブックス)

「第三帝国の音楽」 エリック・リーヴィー 望田幸男監訳 田野大輔・中岡俊介訳 名古屋大学出版会




(参考)

 映画を観る150 「マーラー」 "Mahler" (1974年 英) ケン・ラッセル(こちら

 映画を観る151 「ベニスに死す」 "Morte a Venezia" (1971年 伊・仏・米) ルキノ・ヴィスコンティ(こちら