151 「ベニスに死す」 "Morte a Venezia" (1971年 伊・仏・米) ルキノ・ヴィスコンティ




Hoffmann:あの物語はね、神、あるいは自然が作り出した美に対して、人間の努力のいかにむなしくはかないことかを示しているんじゃないかな・・・ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」”Morte a Venezia”(1971年 伊・仏・米)と同じなんだよ。

Kundry:トーマス・マン原作の小説を映画化したものですね、全編にわたってマーラーの音楽が流れてとても効果的な・・・じっさい主人公がマーラーに擬せられているような映画ですよね。

Hoffmann:主人公の作曲家アシェンバッハが美を創造しようとして、しかしどんなに苦闘しても望みはかなわず、自然がふと生み出した美ータジオ少年の純粋な美しさに憧れ、破滅してゆく・・・。

Parsifal:なるほど、サリエリも同じだね。己の労苦が報われることなく、永遠の美が、決して自分の手には届かぬことを知った芸術家の絶望だ。最終的に、タジオ少年に惹かれたアシェンバッハはコレラの蔓延するベニスにとどまり、自分に向けられているタジオの視線を幻視するうちに死んでしまうんだったね。

Hoffmann:アシェンバッハは美に殉じて死んでしまったけれど、サリエリのとった永遠の美の破壊―モーツァルト殺害という行為は、アシェンバッハの行為の陰画と言っていいんじゃないかな。サリエリの、モーツアルトに対する感情にも、どことなく同性愛的なものが感じ取れるよね。

 ―以上は「本を読む」でマックス・ピカートの「われわれ自身のなかのヒトラー」を取り上げたとき、"Diskussion"で、映画「アマデウス」からの連想で、ヴィスコンティの「ベニスに死す」について、お話しした箇所の引用です。



 今回はその、ルキノ・ヴィスコンティによる「ベニスに死す」"Morte a Venezia"(1971年 伊・仏・米)を取り上げます。クラシックを聴かない人でも、この映画を観た人は「音楽がよかった」なんて言いますよね。全篇に亘って流れるのはマーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」です。

 storyは―

 静養のためベニスを訪れた老作曲家グスタフ・フォン・アシェンバハは、ふと出会ったポーランド貴族の美少年タジオに理想の美を見い出す。以来、彼は視線の先にタジオの姿を求めるようになる。



 ある日、ベニスの街に消毒薬が撒かれる。誰も真実を語らないなか、疫病(コレラ)が流行していることをようやく聞きつけるが、それでも彼はベニスを去ることができない。

 白粉と口紅、白髪染めを施して若作りをし、死臭漂うベニスを彼はタジオの姿を追い求め歩き続ける。ついに彼は古井戸にもたれて座り込み、ひとり笑い声を上げる。翌日、彼は疲れきった身体を浜辺のデッキチェアに横たえ、波光がきらめく中、彼方を指差すタジオの姿を見つめながら死んでゆく。



 もうよく知られていることですが、ヴィスコンティは、主人公グスタフ・フォン・アシェンバハがトーマス・マンの原作では作家であるところ、作曲家に変更しています。原作にない、映画で独自に付け加えられたシーンには、子供の死の回想がありますが、これはマーラーの伝記的事実を取り入れており、弟子(おそらくモデルはシェーンベルク)との激論のシーンで、相手が「これが君の音楽だ」と言ってピアノで奏くのは、マーラーの交響曲第4番。おまけにアシェンバハを演じているダーク・ボガードは明らかにマーラーを意識した風貌とメイクでこれを演じている。つまり、明白にアシェンバハをマーラーに擬しているわけです。



 なので、この映画が公開されたことで、マーラーという作曲家のimageがこのアシェンバハのimageと重ね合わされて、マーラーの「美に殉じた作曲家」といった神話的imageを、多くに人に形成させたことは否定できないでしょう。世紀末という時代に滅びゆく近代ヨーロッパの美学というのは、まさにマーラーの音楽にふさわしく思われることも、そのiamge形成に一役買っている。

 ただし、マーラー自身は各地の劇場をはじめウィーンの宮廷歌劇場の総監督も務めた、実務家としての才覚も持ち合わせていた人。妥協を許さないその姿勢が各所で衝突を生んだことも事実ですが、その栄達のためには、ユダヤ教を捨ててカトリックに改宗することも厭わない現実主義者でもありました。とはいえ、やはり爛熟しきったロマン主義、世紀末において滅びゆく近代を代表するような、頽廃的な憂愁は、とりわけマーラーにふさわしいと思われるのも事実です。



 1970年にアメリカの週刊誌「サタデー・レビュー」8月8日号にホリス・アルバートという映画評論家による記事が掲載されているのですが、この評論家はそのなかで、原作者であるトーマス・マンからして、この作品の主人公をimageする際にマーラーを念頭に置いていたことを証拠立てようと躍起になっているんですね。

 その記事に、ダーク・ボガードが語ってくれたという話が引用されています。要約すると―

 ヴィスコンティ自身がかつて次のような話を聞いたことがある。トーマス・マンは1911年にヴェネツィアから帰ってくる途中の列車のなかで51歳の男と同室になった。髪を染め、化粧をしたその男は絶望に打ちひしがれて涙を流し、自分はマーラーだと名乗った。自分はヴェネツィアで13歳の少年に恋をした、自分が恋したのは少年そのものではなく少年に代表される美であり、その少年は自分が失ってしまった美、純粋さ、無邪気さの象徴なのだと語った・・・ヴィスコンティが映画制作にあたって主人公を音楽家に変更したのは、マンから聞いたこのようなエピソードに動機付けられてのことである。

 ・・・と、このようにボガードは説明した、ということなんですよ。

 この記事は大反響を巻き起こして、トーマス・マンの未亡人カーチャが反論、事実無根と主張し、マーラーの娘アンア・ユスティーネも「厚かましい大嘘」として、ついにはヴィスコンティまでが、自分はそんな話はしていないし、映画の中でのボガードの扮装はマーラーともマンともなんら関わりがない、主人公を作曲家にしたのは映画というメディアの特性を考慮してのことであると証言することになりました。



 なんかもう、反論するのもばかばかしいくらい分かりきった話で、私はこれがアメリカの映画評論家の「でっち上げ」か、さもなければ、マーラーがアシェンバハのモデルである証拠を躍起になって見つけだそうとしている評論家を、ボガードが「からかってやろう」と思って、口から出任せを言ったのではないかと思っています。

 おかげでヴィスコンティまでが「全否定」をせざるを得ない騒ぎになってしまったわけですが、ヴィスコンティが「ベニスに死す」においてマーラーを念頭に置いていたことはまず間違いのないところでしょう。そもそも、トーマス・マンだって、小説「ベニスに死す」の作家アシェンバハとマーラーの関係を一部認める発言をしているんですから。

 私のこの短篇に着想に影響を与えたのは、1911年の初夏に耳にしたグスタフ・マーラーの訃報でした・・・外見の説明においてもマーラーの容貌を念頭において記述したのでした。(兵藤紀久夫訳)

 これはマンの小説の挿絵を描いた画家ウォルフガング・ボルンへの手紙です。ちなみにトーマス・マンはマーラーの第8交響曲の初演に列席して、その直後、マーラーと夕食を共にして、さらにマンがマーラーをお茶に招待していますからね。少なくとも2度、会っているんですよ。で、肝心のアシェンバハの風貌は次のように書かれています―

 グスタフ・フォン・アシェンバハは人並よりはやや背が低く、髪は褐色で髯はなかった。花車(きゃしゃ)といってもいいからだつきに比べて頭がやや大き目で、うしろへ掻き上げた頭髪は天辺で薄くなっていたが、こめかみのあたりでは非常に濃く、もうすっかり白髪になっていて、額は高く秀でて刀傷ででもあるかのような、深い皺ができている。縁なし眼鏡の金のブリッジは、品よく曲った短い鼻のつけねに食い込んでいた。大きな口は、よく締りなく見えもするが、また時によると突然細くなって引締る。頬はこけて、深い皺がある。形のいい顎はやわらかく左右に割れている。深刻な人生経験の数々が、いつも痛ましくかしげた頭の上を通り越していったらしく見える。普通ならばこういう顔かたちを作りあげるのは、困難で波瀾の多い生活なのだが、アシェンバハの場合にはそれが芸術であったのだ。(高橋義孝訳)

 ああ、たしかにマーラーを彷彿とさせますよね。ただし、ヴィスコンティがアシェンバハを音楽家とした改変は、トーマス・マンの「ファウスト博士」の主人公であるアドリアン・レーヴァキューンを重ね合わせようという意図もあったんじゃないでしょうか。物語自体の時代設定はともかく、ヴィスコンティは第一次世界大戦もナチスも知っていますからね。それにここに漂う世紀末的頽廃もまた、物語の背後に時間的な厚みを付け加えているんですよ。



 なお、冒頭の汽船の舳先に「エスメラルダ(号)」と記されていることにご注意を。エスメラルダとは、ヴィスコンティが付け加えた原作にないシーン、アシェンバハが娼館に赴いて、現れた娼婦の名前でもあるんですよ。そのシーンと交錯するのが、タジオがピアノで「エリーゼのために」を奏くシーン。娼婦もやはり「エリーゼのために」を奏いていたことから、いかにもアシェンバハがタジオのピアノによって呼び起こされた回想シーンと見えますが、ここでは娼婦とタジオ少年が同一視されているのです。アシェンバハが娼婦に金のみ与えて立ち去ったのにもかかわらず、タジオに対して同じ態度をとることができないのですよ。つまり、「欲望」のやり場がないのです。



 「化粧」。冒頭の老人、ホテルのテラスを流す音楽師。そしてアシェンバハ自身。共通するのは「笑い声」です。化粧をしたアシェンバハのしたことといえばタジオ少年の後をつけてゆくだけ。「見られるため」の化粧をした男にあるのは、覗視症的な「見る」という欲望だけなのです。タジオがときどきアシェンバハに送る視線は、これはアシェンバハの主観。もちろん、タジオはアシェンバハを見てなどいないのは言うまでもありません。



 そうして一方的に「見る」だけであったアシェンバハの白髪染めの染料が流れ落ち、白粉が剥がれてゆくとき、まさに死の直前、この老作曲家は、自分に向けられたタジオ少年の視線を幻視して、ここではじめてタジオに対して微笑み返す・・・。



 私は若い時分にある映画館ではじめてこの映画を観たとき、それから一週間、毎日通って、日によっては2回、観ました。もちろん、この映画がマーラーの真実を描いているとは思っていません。はじめに述べたとおり、これをもって作曲家マーラーを「美に殉じた作曲家」であるなどと理解するのも間違っていると思います・・・が、それでも、マーラーをモティーフにして展開したドラマだと思えば、ケン・ラッセルの「恋人たちの曲 / 悲愴」"The Music Lovers"(1970年 英)と同様に、ここにマーラーのような芸術家が追い求めたものの普遍的な「詩的真実」が描かれているような気がすることを、否定できません。その意味では、この映画はケン・ラッセルの「マーラー」"Mahler"(1974年 英)以上にマーラーの本質を突いているような気がするんですよ。

 ところで、私は「ベニスに死す」に関しては、トーマス・マンの原作よりも、このヴィスコンティによる映画の方を、圧倒的に好みます。トーマス・マンの小説を読むと、「語り手」の存在感がこれでもかとばかりに迫ってくる。その語りのすべてを、読者にぶつけてくるんですよ。おそらく西欧文学史上でも、作家が巨大な人格をもった「語り手」として読者の前に立ちはだかり、あたかも演壇に立ってに熱弁を振るっているかのような小説は、このトーマス・マンが最後のひとりなんじゃないでしょうか。作家の自己主張が強烈に迫りすぎるすぎる。だからかえって自然さよりも作為が鼻について、表現よりも効果造りと見えてしまうところがあります。じつを言えば、「トニオ・クレーゲル」でも、同様な印象を持ちます。私にはちょっと暑苦しい。

 これが20世紀文学、たとえばカフカになると、語りは最小限で、あとは読者の想像に任せるようになる。沈黙のうちに主張している。これだって「話術」のうちのひとつですよ。そうした手法に、一脈通じるところが、ヴィスコンティの映画にはあります。もちろん、映画にだって「みんな、そう思っていますよねっ」と、共感を押しつけてくるような押しつけがましい主張を持ったものもあります。しかし、さすがにヴィスコンティはそのような愚を犯してはいません。映像は何もかも包含しているようでいて、語らせているのは必要最小限。じつは観ている側が物語を組み立てているんですよ。


(Hoffmann)



参考文献

「トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す」 トーマス・マン 高橋義孝訳 新潮文庫




(追記)

 「マーラー」 "Mahler" (1974年 英) ケン・ラッセル (こちら

 マーラーとその作品のdiscについて、「マーラー雑感」 upしました。(こちら