170 「龍の起源」 荒川紘 紀伊國屋書店 「蛇」関連書に続いて、「龍」関連書を取り上げます。 「龍の起源」 荒川紘 紀伊國屋書店 表題どおり、龍の起源をたどって、中国やインドなどの東方、西方はバビロニアからエジプト、イスラエルにギリシア、そして我が国に戻って蛇信仰からはじめて縄文時代に見られる古ヨーロッパの農耕文化における豊穣のシンボルを見出す・・・。あ、念のため断っておくと、著者が挙げている縄文土器の例は、たしかに蛇の模様であるもので、抽象的な模様をすべて蛇のシンボルであるとしているわけではありませんよ。 言うまでもなく、龍と蛇の近縁性は明らかですよね。東西ともに最古の龍は蛇と結びつけられていました。対立するものと見なされたこともあれば、同一視されたこともあります。中国人は蛇の神ナーガを龍と見なし、ギリシア人は巨大な蛇をドラゴンと呼んでいました。 日本に龍のimegeが定着したのは、中国産の龍が稲作文化とともに流入したから。「魏志倭人伝」にも魏王から卑弥呼への下賜品の中に「絳地交龍(こうじこうりゅう)の錦」というものがありますが、これは深紅の地(絳地)に二匹の交合する龍が描かれた錦のこと。 さらに著者によればアマテラスもサルタヒコも蛇の神、銅剣は蛇のシンボルとしての性格を持ち、雨乞いの呪具であった、ということになります。同時に剣が男根象徴であることはは万国共通、すると蛇と男根もシンボリックに結びつけられることになる・・・。 おもしろく読めることはたしかなんですが、終盤に至って、現代のドラゴンを、「日本の高度成長の牽引役をになってきた自動車産業」だの、「全地球が『工場の惑星』となり」「全地球的に広まる工場の煤煙と自動車の排気ガスと無秩序な熱帯雨林の伐採」だのと言いだしているのにはがっかりしました。誰かさんじゃありませんけどね、「それはあなたの感想ですよね」。ここまで龍の起源をたどって、東方へ、西方へ、もちろん我が国の蛇信仰も含めて、時空を超えて論じてきた末に、このような短絡的な文明批判を読まされるとは・・・。この著者は自分がここまで書いてきたことの価値にまったく気がついていないのでしょうか。浅薄かつ陳腐なな文明批判がすべてを台無しにしています。 いや、じつは読んでいて、ちょっと嫌な予感はしていたんですよ。 ギリシアでは酒と陶酔の神として信仰されたが、がんらいは豊穣の神であった。 そして、もうひとつの理由は、蛇にたいする人間の先天的な感情にあると思う。 蛇は忌みきらわれてきた動物である。・・・とつぜん本物の蛇に出あえば肝をつぶす。 「がんらい」「たいする」「きらわれて」「とつぜん」など、漢字で書けばいいことばをなんでもかんでも平仮名で書くのは、黴臭い、時代遅れの「進歩的文化人」の悪癖なんですよ。ああ。やっぱりね、最後の最後で「お里が知れてしまった」という印象。結構いいことが書いてある本なのに、残念です。 「ドラゴン 反社会の怪獣」 ウーヴェ・シュテッフェン 村山雅人訳 青土社 この本では「竜」と表記されています。その竜は、人間の心に棲む、悪の破壊的な力の象徴である、というのが著者の主張。人間の内面世界に居住するものを外界の形姿に投影したものであると。デモーニッシュな無意識だから、この竜を退治してくれる英雄や指導者を期待する、それが神話やメルヘンに現れているわけですね。その姿は先史時代の両生類や爬虫類の形姿をとっている、「ドラッヘ」「ドラコーン」という語がもともと蛇を意味しているように、蛇類は竜の原型。しかし、先史時代の恐竜が竜のモデルであることは疑いない・・・と。 ここで誰だって疑問に思いますよね、人間がなぜ竜に、直面したことも闘ったこともないはずの恐竜のimageを重ねたかと―。これを著者は、紀元前二千年紀中期に起こった水星の地球接近の際の自然現象や災害が多くの民族の神話はメルヘン、伝説に表出したものであると・・・いやあ、このあたりで私もいやーな予感がしてきたんですけどね、その予感は的中してしまいました。これに続けて著者が傍証として引っ張り出してきたのが、エーリヒ・フォン・デニケンです(笑)わずか二十数ページ、ここで私は本を閉じました。 「神女 唐代文学における龍女と雨女」 エドワード・H・シェーファー 西脇常記訳 東海大学出版会 序文にあるとおり、女神の変容をたどってゆく本です。文学作品ではなく、ひとつのテーマがどのようにあらわれ、変化していったのか・・・。 中国の竜は雨をもたらし、西洋の火竜とは異なって、おだやかでしとやか。その姿は弓のように曲がりくねった虹の姿(これ大事)。空にかかる多彩な虹は美しい雨の女神の付属物ないしはそれ自体の現れ。肥沃をもたらすということは、女性の本質なんですよ。その外形も、インドの蛇女やヨーロッパの蛇身女怪(ラミア)たちと共通するもの。だから古代中国人にとっての水神は蛇女王とか龍夫人でなければならなかった。 著者はアメリカの東洋学研究者で、唐代文化研究の第一人者とされている人。欧米の中国学なので、そこはかとなくキリスト教歴史観がベースにあっての研究となっていることはやむを得ません。しかし、多くの場合、たとえば哲学とか文学という西欧型ジャンル別の研究が常識となって反省されていないわけで、この本もその「常識」からあまり逸脱していないのは弁護しようもない欠点です。 ただし、幅広い時代を俯瞰して、「神女」というテーマの流れを追ってゆくというのは、なかなか面白い。学術書、理論書ではないから、逆に読んでいて愉しめるということもあります。 (Parsifal) 龍について 龍(竜)、すなわち英語でdragon、ドイツ語ならDrache。さまざまな民族のimageのなかに登場する空想上の生物です。たいていは爬虫類に似た姿で思い描かれ、たとえば翼を持つ鰐や巨大な蛇としてimageされています。 この龍のimageと、実在した中世代の恐竜との関連を示唆する仮説がありますが、人類が出現したのは恐竜の絶滅後数千万年も経ってからのこと。言うまでもなく、人類と恐竜が共存したことはありません。ドイツの古生物学者E・ダケは、人間本来の記憶のさらに深層に恐竜の記憶が保持されているという仮説を提唱していますが、カール・グスタフ・ユングの「集合的無意識」を持ってきて、仮説を支える仮説を考えてみましたというだけのことで、ほとんど実りのない議論にしかなり得ません。これはParsifal君が「ドラゴン 反社会の怪獣」を読んで違和感を抱いたのも当然です。 龍はシンボルとしても重要です。多くの創世神話において、龍はたいてい猛威を振るう原初の生物として登場し、神々に退治される運命にあります。そして時代を下ると、半神や貴族の始祖が龍退治の役割を担うようになる。これは精神的優位に立つ人間による、凶暴な自然界の克服を意味します。 民話や伝説では、財宝を獲得したり囚われの姫を救い出したりする前に、果たすべき使命として、しばしば主人公に龍退治の試練が課せられます。この場合の龍は、人間が自らの力を制御して克服すべき野蛮な獣性をあらわすシンボルです。 キリスト教では、龍は大天使ミカエルによって打ち負かされ、地獄の泥沼に突き落とされる悪魔の首領ルシフェルをはじめとするあらゆる悪魔的な存在の化身です。このとき、龍は火の元素を結びつけられて、火を吐く姿で表現されることもしばしば。また、太古の混沌(カオス)を体現して、これに対抗する側は精神と肉体を制することが必要になる。以上は西洋型。 これが東洋になると対照的で、龍は東アジアでは幸運のシンボル。たとえば不死の飲料をもたらすなどとされていました。中国では龍は陰陽の「陽」であり、生殖、多産、活力などと結びつけられて、モティーフとして魔除けの意味で、さかんに装飾に用いられています。 龍は十二支の5番目の生物であり、また四方を司る「四神」にも「蒼龍」としてその名を連ねています。「蒼龍」は東を守る神で、日の出や春の雨と結びつけられるもの。ちなみに反対は「白虎」で、こちらは死のシンボル。 中国では古くから、龍は冬の間は地下で眠り、陰暦2月2日になると地上に姿をあらわし、最初の雨と雷をもたらすと考えられていました。このためこの日には各地で祭りが催されて、花火を上げるなどして盛大に祝われました。珠と戯れる2頭の龍を描いた「二龍戯珠」の図像は、大地を潤す雨を呼び寄せる吉祥図です。 我が国でも寺社の境内にある御手洗(みたらし)で、水の出口に青銅の龍があしらわれていますよね。これは龍が雨の神の化身と見なされていたことを示しています。 アフリカや新大陸では明確に龍として特定できるシンボルは見当たりませんが、古代メキシコの神話では、蛇や鰐が龍に似たシンボルとしての役割を果たしているようです。 (Klingsol) 引用文献・参考文献 「龍の起源」 荒川紘 紀伊國屋書店 「龍の起源」 荒川紘 角川ソフィア文庫 「ドラゴン 反社会の怪獣」 ウーヴェ・シュテフェン 村山雅人役 青土社 「神女 唐代文学における龍女と雨女」 エドワード・H・シェーファー 西脇常記訳 東海大学出版会 Diskussion Hoffmann:エーリヒ・フォン・デニケンとはね・・・(笑) Parsifal:やっぱりそこに反応したか(笑) Kundry:デニケンって、古代に宇宙人が地球に来訪していたという説を唱えた人でしたね。 Klingsol:「未来の記憶」とか「星への帰還」とか・・・主な主張は地球外生命体あるいは古代宇宙飛行士が地球を訪問し、初期人類文化に影響を及ぼしたとするものだ。たとえばエジプトのピラミッド、ストーンヘンジ、イースター島のモアイは当時の技術では製作不可能で、宇宙人の技術によるものだとしている。それに世界中の古代の芸術作品には宇宙飛行士や宇宙飛行物体が描写されていると―。旧約聖書も宇宙人とのコンタクトによってあらわされたものだということになっている。 Parsifal:若い頃、知り合った女の子に、「知ってますか? はるか昔、宇宙人が地球に来ているんですよ」って、真顔で言われたことがある。 Hoffmann:デニケンに言わせれば、ナスカの地上絵は宇宙人の飛行場だ(笑)そんなのが世界中で翻訳されてベストセラーになっているんだよ。いや、じつは何冊か、いまでも持っている。資料として(笑)もともと父親の本だったんだけどね。一度、「ここに書いてあることを信じているのか」と訊いたら、「こういう本は読みものだと思って読めばいいんだ」と言っていたな。 Klingsol:デニケンは1968年には詐欺罪で逮捕されて服役しているけど、いまも相変わらず「古代宇宙人来訪説」は支持者が少なからずいるんだよね。2003年にはスイスにテーマパーク(ミステリーパーク「ユングフラウ・パーク」"Jungfrau Park")まで作っている。一時閉園したけれど2009年に再開して、どうも夏の間だけ「営業」しているらしい。 Parsifal:だから、こうした「妄想」は、これはこれで研究対象になるんだよね。 Kundry:それはともかく、蛇に比べると龍に関する本はいまひとつ充実しているとは言い難いようですね。 Parsifal:まだ持っていない(読んでいない)だけかも知れないけど。 Hoffmann:なにか見つかったら教えてまた欲しいな。個人的にも一角獣と龍には興味がある。 |