169 「蛇女の伝説 『白蛇伝』を追って東へ西へ」 南條竹則 平凡社新書 Hoffmann君が映画「ケン・ラッセルの白蛇伝説」を取り上げたので、蛇関連の本を何冊か― 「蛇女の伝説 『白蛇伝』を追って東へ西へ」 南條竹則 平凡社新書 著者はアーサー・マッケンやチャールズ・ラム、アーネスト・ダウスンなどの翻訳で知られる英文学者。奇想小説「魔法探偵」は以前、Kundryさんが取りあげていましたね。 世の男たちを魅了する蛇女伝説の由来を探るというテーマ。 ひと言で「白蛇伝」といっても、これは中国では小説や劇など、あらゆる形で脚色されています。上田秋成の「雨月物語」のなかの一篇「蛇性の婬」も、馮夢竜の小説「白娘子永鎮雷峰塔」の舞台を日本に移した翻案なんですが、明末から清代にいたって劇化されたものは、かなり変化しています。つまり、白蛇の正確が善良で愛すべきものになっている。 ここで、多くの劇で下敷きにされたのは方成培本の「雷峰塔伝奇」のあらすじをごく簡単にたどってみると― 物語の主人公、白雲仙姑は蟠桃園に棲んでいた白蛇が桃を盗み食いして通力を得たもの。これが俗世に下った臨安の許宣という若者と結ばれようとして、白銀二錠を与えるが、これは役所の蔵から盗まれたもの。白氏が妖怪であることが判明するが、再び許宣の前に現れて弁解。ふたりは結婚する。 ところがある日、許宣は道士から「妖怪に憑かれている」と指摘されたり、白氏が酒に酔って正体を現してしまったりと、さまざまな出来事が発生するが、そのたびに許宣と白氏は仲直りする。最後は金山寺の名僧、法海によって、妖怪を捕らえる鉢で白氏は取り押さえられ雷峰塔の下に閉じ込められる。 後に、許宣と白氏の息子は科挙に受かり、その孝心と長年の懺悔によって、白氏は放免され、天に昇る・・・。 いかがでしょうか、なんだか聞いたことのある話だなと思った人もおられるのではないでしょうか。たとえば、漫画家の水木しげるも、貸本漫画時代に、舞台を日本の江戸時代した翻案ものを書いていますよ。そこでは、貧乏な絵師と白蛇の化身である可憐な娘の悲恋の物語となっています。 著者はこの中国「白蛇伝」に、詩人キーツの「レイミア」を比較して、さらに上田秋成「蛇性の婬」も含めて、蛇が変身して美女となり、若い男と恋に落ちるというパターンの世界の蛇女伝説を経巡り、果てはギリシア・インドへと文学面から旅を続けてゆきます。そしてたどり着いたのが、ギリシア神話に登場するラミアLamia。これが白娘子の化身ではないか。ラミアは古代リビュアの女性で、ゼウスと通じたためにヘラによって子供を失い、その苦悩のあまり他人の子を殺す女怪と化したもの。 ああ、やっぱり異類婚姻譚というより以上に、民俗学的「元型」が垣間見えてきますね。 「蛇と十字架 東西の風土と宗教」 安田喜憲 人文書院 これは著者が自ら明示しているとおり、蛇信仰に着目してアニミズムの面からアプローチする比較文化論。西洋と東洋では、善悪の面で蛇のイメージが大きく異なっており、西洋においては大地の象徴である蛇が、やがて邪悪な存在へと貶められていった過程を論じています。著者によれば蛇のイメージが悪化したのは、気候の乾燥化と寒冷化が原因であるとのこと。そうした時代に成立した一神教が蛇のイメージを決定づけたというわけです。個人的には、アニミズムがアニミズムでなくなっていった過程のように思えますね。「原始信仰」こそが「信仰」と呼べるものであって、システム化された宗教、たとえばキリスト教には、もはやアニミズムの要素は希薄なんではないでしょうか。 「蛇 日本の蛇信仰」 吉野裕子 講談社学術文庫 こちらは古代日本の蛇信仰を論じた本・・・というよりも古代日本のアニミズムを蛇信仰としてとらえることで、古代日本は蛇信仰のメッカであったと主張する本。いささか牽強付会と思わざると得ないところ、多々あり。たとえば、縄文人が蛇を縄文土器に頻繁に描いた理由を、脱皮が美しいから、当時毒蛇はもっとも恐れられたから、蛇や亀は男根に似ているから、としているのですが、「脱皮が美しい」というのはかなり個人的で、それこそ民族の内面に働きかけるほど「元型」的な普遍性が認められるのか、疑問です。そもそも縄文(縄目模様)が蛇を模しているという根拠がない。仮説はかまわないんですが、その仮説をもとにして推測・推察・憶測を展開されてしまうと、最後は「妄想」になってしまうのでは? 「竜蛇神と機織姫 文明を織りなす昔話の女たち」 篠田知和基 人文書院 こちらはフランスの代表的伝説メリュジーヌ伝説と日本の機織姫伝承群を、異類婚説話の原型とみて、ここから東西の竜蛇変身譚(神話、伝説、昔話、民話など)により、比較伝承学の視点から考察した本。メドゥーサに浦島太郎、桃太郎など、さまざまな昔話が象徴しているものから、そのつながりを発見して、元型的なパターンを浮かび上がらせてゆくもの。 「メリジェーヌ ― 蛇女=両性具有の神話」 ジャン・マルカル 中村栄子・末永京子訳 大修館書店 これまたメリュジーヌ伝説。日本の「鶴女房」伝説とも共通する物語構造は、古代世界各地の説話にもさまざまなvariationであらわれている。両性具有という異形性を手がかりにして、各地の説話に共通する心性を探ることで、西欧キリスト教世界の背後に、いまもその影を落としている古代ケルト以来各地の神話に至る民俗学的精神史を論じたもの。 両性具有に関しては、そもそもあらゆる神話伝説に普遍的にあらわれているものなので、蛇が特別というわけではありません。しかし、メリジェーヌが体現している両性具有性が、男性支配・父権制によって、現実に「欠けている」のは常に男性の側であるということ、女性こそが全体性において優位にあることを再認識させられます。以前お話しした映画「エイリアン」に関しても、この本が参考になります。 「蛇儀礼」 アビ・ヴァールブルク 三島憲一訳 岩波文庫 ドイツの美術史家、アビ・ヴァールブルクが1923年に行った講演の記録。まず、じっさいにフィールドワークを行ったプエブロ=インディアンの文化に見られる、蛇というシンボルが意味する世界観・宗教観を論じて、次に西洋文明にもさまざま同様のシンボルが息づいていたことを説き、最後に、そうしたシンボル体系を破壊してしまった現代文明への警鐘で終わる。プエブロ=インディアンが水不足に悩まされて、「雷」の象徴である蛇を崇めたというのは、やっぱりここで「蛇」は「竜」に近づいているということ。蛇の両義性についても言及されている。 いささか西洋中心主義であると見えるのは時代を考えればやむを得ない。むしろ、ナチス以前の古代ギリシア・キリスト教を源泉とする「普遍的」合理性と進歩主義的価値観が「現代」、つまりその時代に危機感を感じているということが重要。むしろ、西欧の歴史における「象徴」に、異教性・野蛮性との類縁関係を指摘したことが注目に値するのでは。宗教や文化といった背景を考慮に入れることなしに芸術をとらえる態度を敵視していた点も当時の感覚では斬新であったはず。古いけれど、無視できない基本図書か。 (Parsifal) 引用文献・参考文献 「蛇女の伝説 『白蛇伝』を追って東へ西へ」 南條竹則 平凡社新書 「蛇と十字架 東西の風土と宗教」 安田喜憲 人文書院 「蛇 日本の蛇信仰」 吉野裕子 講談社学術文庫 「竜蛇神と機織姫 文明を織りなす昔話の女たち」 篠田知和基 人文書院 「メリジェーヌ ― 蛇女=両性具有の神話」 ジャン・マルカル 中村栄子・末永京子訳 大修館書店 「蛇儀礼」 アビ・ヴァールブルク 三島憲一訳 岩波文庫 Diskussion Klingsol:そもそも蛇というのは、古代の多くの文化圏では冥府や死者の国のシンボルだ。これは地中に潜むという生態と、脱皮によって若返る力を持っているとされたことによる。四肢がないのに自由に動き回り、鳥のように卵から孵化する、種によっては毒牙を持っている・・・といったところからも、生と死が象徴的に示されているととらえられたんだろうな。 これが聖書では悪魔の化身となっているけれど、一方でモーセが旗竿の先に掲げた「青銅の蛇」は、これを仰ぎ見れば毒蛇(炎の蛇)に噛まれた傷も治るというものなんだけど、これによって当時、すなわち紀元前13世紀頃に、ユダヤ人にとって蛇が信仰の対象であったことが推定できるわけだ。後にキリスト教徒には、十字架にかけられたイエスの予型とも見なされている。 ミケランジェロがシスティナ礼拝堂に描いたモーセと青銅の蛇のエピソード Parsifal:ユダヤの伝説ではエヴァをそそのかした蛇の名前がサマエルだ。サマエルというのはルシフェルに該当する。 Hoffmann:Parsifal君が話した「砂時計の書」のときにウロボロスが出てきたよね。あの、「自らの尾を噛む蛇」は「永劫回帰」を円環的な時間の流れとして表現するシンボルで、一般には永遠の象徴とされることもある。 Klingsol;毒牙を持つということで、ネガティヴなシンボルとなることが多いのも事実だけど、古い神話では概ねポジティヴな役割を担っているんだよ。家に居着く蛇なんかは祖先の霊魂からの祝福とされていた。 Kundry:祖先の霊魂・・・ということは、やっぱり冥府と結びつけられていたんですね。 Hoffmann:たしか、インドの神話では、上半身が人間、下半身が蛇という彫像が寺院の門番をしているよね。あれは宝の番人という意味があったんじゃなかったかな。 Klingsol:ナーガだね、あれは幸運をもたらす精霊だ。 蛇神ナーガ~ヒンドゥー彫刻 Naga in India Klingsol:それと、鳥と蛇が組み合わされている紋章がよくあるよね。あれは天と地を結ぶ存在ということで、つまり二元原理を一身のうちに体現していたわけだ。 メキシコの国章 Parsifal:今回のテーマで肝心の中国では、十二支の6番目、一般的には「蛇心」なんて狡猾さの意味で使われるけど、説話や民話の中では、恩を忘れない動物なんだよね。 Kundry:蛇の脱皮した皮が富をもたらすお守りであることはいまでもよく知られていますよね。 Parsifal:我が国では嵐の神スサノオが八岐大蛇を格闘の末倒して、その尾の中からひと振りの聖剣を得て、またクシナダヒメを救い出して妻としている。 速須佐之男命と八岐大蛇を描いた浮世絵 楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)画 Hoffmann:ギリシア神話のヘラクレスのヒュドラ退治にそっくりだ。あっちは頭がひとつ多いけど(笑)スサノオはペルセウスであり、聖ゲオルギウスだったんだ。 Kundry:聖剣に花嫁・・・ワーグナーの楽劇「ジークフリート」ですね。 Parsifal:ああ、どんどん「元型」が明らかになってゆくなあ(笑)「エイリアン」と同様、やっぱり、「元型」は両性具有なんだよ。 |