043 「審判」 ”The Trial” (1963年 仏・伊・西独) オーソン・ウェルズ オーソン・ウェルズ監督の「審判」”The Trial”(1963年 仏・伊・西独)です。ご存知カフカの同名の小説が原作ですね。 アンソニー・パーキンス演じる主人公ヨーゼフ・Kはある朝突然罪状も知らされることなく逮捕されます。そして就業時間後に審理を受けることを義務づけられ、彼は叔父に頼んで弁護士に弁護を依頼するのですが・・・。 ヨーゼフ・Kを演じたアンソニー・パーキンスは、ヒッチコックの「サイコ」”Psycho”(1960年 米)に出演したのが良かったのか悪かったのか・・・この役にはよく似合っています(どこがどう似合っているのかを語ると、カフカの原作の話になってしまうので、ここでは省略します)。また、ビュルストナー嬢を演じたジャンヌ・モロー、レニを演じたロミー・シュナイダー、ヒルダを演じたエルザ・マルティネリといった豪華女優陣がそれぞれにたいへん印象的かつ魅力的です。 ジャンヌ・モローは出番が少なくてはじめのほうだけ、残念。このひと持ち前の「不満顔」もたいへんよろしい。ロミー・シュナイダーの、屈託がないのか、腹に一物あるのかわからんような、さらにeroticな笑顔もまた魅力的です。おまけに、私のfetishismをかき立てるシーンも(笑) 監督自身も弁護士役及びナレーションでご出演。 歪んだ空間の視覚化―たとえば、銀行の扉を出て廊下を往くとそこは既に裁判所などという歪曲は、ドライなタッチで描かれていることとも相俟って、ひじょうに先鋭的かつ効果的です。なんとも印象的なシーンに事欠かない映画なんですよ。 ところが、(ここにはupしませんが)無数の机が並び、無言で背を向けてタイプを打つ行員たちとか、巨大なコンピュータなどがあらわしている映像がなんとも・・・そういうのはチャプリンの「モダン・タイムス」が既にやっていることだし、カフカの読み解きとしてはいささか陳腐ではないでしょうか。試みにwebで検索してみると、「カフカの不条理文学を映画化」とはよく書かれていますね。でも、上記のような管理社会とか、主人公の「不条理な」審理の成り行きは、本当にそのとおり原作に書かれていると思いますか? 検索して気がついたのは、主人公が無実なのに逮捕されたと思っている人が多いんですね。無実かどうかなんて、原作には書いてなし、映画でもはっきり無実とは描かれていません。注意深い人は、「身に覚えのない罪で」とか「なんの罪か分からない」と書いている・・・こちらが正しい。そう、まずはあるがままに受け止めてみましょう。カフカが管理社会とか官僚制だとかいったものに対する批判を書いたのか、ちょっと私には疑わしく感じられます。 もちろん、原作に忠実ではないと非難しているわけではありません。ただ、ちょっと中途半端。いっそ、カフカの原作を換骨奪胎しちゃえばよかったんじゃないか、妙に原作に忠実なので、かえってこの監督ならではのimaginationが行き場を失ってしまったような気がするのです。ちょっとヴィスコンティの「異邦人」―カミュの未亡人の要望でとにかく原作を忠実に追わなければならなかったために、退屈な凡作となった作品―を思い出してしまうんですね。全般にわたって比較的原作に忠実なので、主人公の処刑がナイフによる刺殺ではなくてダイナマイトの爆発というのも、このクライマックスをすっかり浮いたものにしてしまっているような気がします。遠慮なく言わせてもらうと、なんだ、わかってないなあ・・・という印象です。 もちろん、オーソン・ウェルズならではの、歴とした文体―スタイルを持った映画だとは思います。いろいろ気にはなりますが、映像には引き込まれてしまうことを告白します。ちなみに上左の「眼」のシーンはフリッツ・ラングの「メトロポリス」(1927年 独)を思い起こさせますね。 そうそう、検索していて、この映画を「ブラック・コメディ」とか、「ダークでエロチックなコメディ」、「悪夢」と評しておられる方も・・・そのとおりだと思います、まったく同感です。 コメディと考えると、ラストのダイナマイトも、なんだか「爆発オチ」のように見えてきてしまいますね(笑) ※ 蛇足ながら、この映画を取り上げたくなったのは、「本を読む075 『オルレアンのうわさ』」からオーソン・ウェルズのある作品を連想したためなんですが、おわかりになりますかな?(笑) (Hoffmann) 参考文献 とくにありません。 (追記) 続けて映画「Kafka 迷宮の悪夢」(1991年 米)をupしました。(こちら) (追記 その2) 原作小説「審判」 フランツ・カフカ をupしました。(こちら) (追記 その3) アイネムの歌劇「審判」と「老婦人の訪問」 upしました。(こちら) |