081 「ゴシック」 "Gothic" (1986年 英) ケン・ラッセル




 映画「ゴシック」"Gothic"(1986年 英)です。監督は私の大好きなケン・ラッセル。メアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」とポリドリの「吸血鬼」を生んだ、いわゆる「ディオダティ荘の怪奇談義」の一夜を描いた作品です。



 キャストは以下のとおり―

ジョージ・ゴードン・バイロン:ガブリエル・バーン
パーシー・ビッシュ・シェリー:ジュリアン・サンズ
メアリー・シェリー:ナターシャ・リチャードソン
クレア・クレモント:ミリアム・シル
ドクター・ポリドリ:ティモシー・スポール
ラシュトン:デクスター・フレッチャー
旅行者:ケン・ラッセル(カメオ出演)

 いやあ、この映画をひと言ふた言であらわすのはなかなか難しい。ある解説は「ディオダティ荘の怪奇談義を舞台に繰り広げられるホラー作品」と言っている。うーん、ホラーなのかなあ・・・。細かいことを言えば、その状況に関する説明も、史実と違うのは大目に見るとしても、ディオダティ荘でディナー・パーティがもたれたとか(誤解を招く表現)、メアリーはシェリーに抱かれたい願望を持っていたとか(当たり前というかなんというか・・・)、シェリーはクレアに目をつけていたとか(既に「関係」していた可能性あり、だとすればメアリも知っていたはず)。このあたりはケン・ラッセルも史実から逸脱はしていないと思うんですけどね・・・どうも勘違いではないかと首をかしげる「解説」が少なくない。

 いや、これは後半をほとんどメアリの幻想のように描いているので、ちょっとわかりにくいのかもしれません。

 

 映画で描かれているままに、かつ深読みしすぎないように注意しつつ、storyを紹介すると―

 1816年の6月、スイスレマン湖畔のバイロン卿の別荘ディオダディ荘に詩人のパーシ・ビッシュ・シェリーとその愛人メアリ・ゴドウィン、彼女の義妹クレア・クレアモントが到着。その夜、バイロンの侍医であるポリドリとともに、怪奇小説を朗読し合い、バイロンは本物の幽霊を創造しようと言い出す。修道土の頭蓋骨を囲んで、5人が交霊術の儀式を行うと、雷鳴がとどろき、クレアは異常をきたして、メアリは幻想の世界に入ってゆく。メアリは自分たちが創造した(召喚した?)魔物から逃れられなくなったと悟り、また自分の子供やパーシーの未来の死を幻視する。幻想が終りを告げ、朝になる。メアリは「フランケンシュタイン」の物語を思いつく・・・。



 まあ、storyの説明は最小限にとどめて、後はご覧になってみて下さい。メアリの、自身の過去から未来に続くさまざま悪夢―出産、死産の子、ポリドリの自殺、バイロンとクレアの娘の死、パーシーの水死、バイロンの死の床などを走馬灯のように幻視するシーンはなかなか圧巻です・・・ではあんまりなので、パーシ・ビッシュ・シェリーとメアリ・ゴドウィン、彼女の義妹クレア・クレアモントのディオダティ荘訪問とその背景、その前後の出来事について、お話ししましょう。大丈夫、ケン・ラッセルはあざといまでにデフォルメして描いていますから、映画のネタバレにはなるよりも以上に、この映画を観るときの、とくにメアリの幻視のシーンでなにが起きているのか理解するための予備知識として、きっと役に立つと思いますよ。

 
 

 ディオダティ荘に集まった面々

 「ディオダティ荘の怪奇談義」についてはメアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」についてお話ししたときにも少しふれましたよね。多少繰り返しになるかもしれませんが、やはりお話はここからはじめましょう。

 1816年夏にスイスのディオダティ荘というレマン湖畔の別荘に数人の男女が集まりました。その年は"the year without a summer"と呼ばれる、世界的な異常気象に見舞われた年。前年1815年4月にインドネシアのタンボラ山の火山噴火によって、凍死者が出たり、作物が育たないため食糧不足も深刻。このような被害を引き起こした火山の噴火は紀元180年以来の最大規模。まずはそのような、異常に暗くて寒い夏であったことを念頭に置いて下さい。

 バイロンが借りていた別荘ディオダティ荘には、バイロンのほか、侍医のポリドリが滞在中。そこにやって来たのは詩人のパーシー・ビッシュ・シェリー、その愛人メアリ・ゴドウィン、メアリの義妹クレア・クレアモントです。

 夜ごとの文学談義が続くなか、ある晩バイロンがコールリッジの「クリスタベル」を朗読したところ、シェリーが恐怖のあまり叫び声を上げて部屋を飛び出した、という逸話も残っています。さらにみんなでドイツの恐怖小説集「ファンタズマゴリアーナ」のフランス語訳版を読み、バイロンは各人が恐怖小説を書いてみてはどうかと提案しました。この怪奇談義には、メアリによる1831年の、「フランケンシュタイン」の二度目の序文によれば「四人」が集っていたとあり、クレア・クレアモントはその場にいなかったものと思われます。もちろん、彼女がなにか後に残るものを書いたという記述もありません。

  

 シェリーはもともと社交界とは無縁の詩人です。対してバイロンは社交界の寵児で、なにをしても人々の関心を集める存在。しかし、スキャンダルにまみれて、前年に結婚したばかりの妻と別居して自己追放するかのように英国を去り大陸に渡ってきたところ。

 一方で、シェリーは妻ハリエットを残して、1814年にメアリ・ゴドウィンと駆け落ち。メアリに加えてクレアも連れて大陸へ向い、フランス、ルツェルンを経て一度は帰国していますが、1816年、再び3人で大陸へ渡り、バイロン卿を訪れます。なので、駆け落ちは1814年。バイロン卿を訪れたのは1816年。よく勘違いしている人がいるんですが、1816年にディオダティ荘に滞在したときは駆け落ちではありませんよ。このときメアリは生後3か月の男児ウィリアムを抱えていました。なお、メアリの子ウィリアムは2番目の子供で、最初の子は誕生10日後に死亡しています。

 クレア・クレアモントはこの春から関係のあったバイロンに会いたさに、先に到着して待っていたところ。このとき、クレアはバイロンの子を身籠もっていました。しかし、バイロンのクレアへの感情はとっくに冷めていたようです。

 バイロンと侍医ポリドリ、それにシェリー、メアリ、クレアのふたつのグループはスイスで合流、最初はホテルに滞在しています。当時、ホテルに滞在するときは、詳細な身元を書かなければならず、反権威主義のシェリーとバイロンのこと、これに反発して、バイロンは年齢を「100歳」と書き、またシェリーは、これは別な宿でのことですが、「民主主義者、人類愛者、無神論者、目的地は地獄」などと書いたとか。私も機会があったら真似してみようかな(笑)

 パーシー・ビッシュ・シェリーについてお話しておくと、彼は妹の学友ハリエットと19歳で結婚、21歳で父親となっていましたが、そのうちにコーネリアという女性と恋仲になり、さらに1814年にはメアリ・ゴドウィンを愛していると宣言して、ハリエットに、メアリと3人で暮らすことを提案しています。ちなみにシェリーの正妻ハリエットはこの年の12月に自殺、メアリとシェリーは正式に結婚します。一方、バイロンは異母姉や後の首相夫人キャロライン・ラムとのスキャンダルがあり、こちらも女性遍歴では有名人ですが、シェリーも負けてはいませんな(笑)もっとも、バイロンはスキャンダルばかりでなく、既に詩人としても有名でしたが、5歳年下のシェリーは未だ新進。しかしこのふたりはすぐに親しくなって、文学や哲学について語り合うようになりました。

 

 ポリドリについて

 さて、もうひとりの重要な人物、ジョン・ポリドリJohn William Polidoriについてお話ししておきましょう。ポリドリの両親はイタリア系イギリス人で、彼の妹は後にロゼッティ家に嫁ぎ、その子どもたちは詩人Dante Gabriel RossettiとChristina Rossetti。つまり彼らはポリドリの甥と姪にあたります。ポリドリは8人兄弟の長子で、両親の期待を一身に担って、エディンバラ大学医学部を優秀な成績で卒業したばかりの、当時21歳。イングランドの制度では26歳になるまで正式な医師になれないため、バイロンの個人的な侍医として大陸に同行していたところでした。もちろん、バイロンに対する個人的な興味があり、また、出版社からはバイロンの行状についての日記を付けるという名目で500ポンド受け取っていました。このことをバイロンが知っていたのかどうかは、研究者によって意見が分かれるところですが、おそらく知っていたものと思われます。参考までにポリドリの日記についてお話ししておくと、後世の評価はたいへん低いもの。たいして文才もなく、しかもバイロンについて書くように依頼されていたにもかかわらず、書いてあるのは自分のことばかり。どうも目立ちたがりというか、自分の文名を上げることばかり考えていた、承認欲求の強い見栄っ張りだったようです。



 ディオダティ荘の怪奇談義の末、メアリが「フランケンシュタイン」を、ポリドリが「吸血鬼」を書いたのはよく知られているとおりです。この「吸血鬼」はポリドリ自身が出版にこぎ着けていますが、なぜかバイロンのあずかり知らぬところで、バイロン名義で発表されてしまいます。

 ちなみに先に述べたバイロンとのスキャンダルを起こした人妻キャロライン・ラムは、バイロンのことが忘れられず、1816年に「グレナーヴォン」"Glenarvon"という小説を出版して、そこには夫や自分も登場させて、バイロンを吸血鬼と思しき人物として描いています。どうも、ポリドリは「吸血鬼」の執筆にあたって、バイロンの「断章」を利用しつつ、この「グレナーヴォン」のstoryも織り込んでバイロンを悪者に仕立てようとしたらしいのですね。ポリドリの小説に登場する吸血鬼ルスヴン卿は、男女を問わず魅了する色白の美形の貴族で、あからさまにバイロンを思わせるんですよ。

 いずれにせよ、いくらポリドリが背伸びして見せてもバイロンには相手にされず、バイロンと意気投合して親しくなっていくシェリーに嫉妬していました。結局このスイスの旅を持ってポリドリはお役御免に。これを恨んだポリドリにしてみれば突然の解雇だったのかもしれませんが、バイロンは帰国費用や数か月分の慰謝料を支払っているばかりか、その後、ポリドリがイタリアで事件に巻きこまれたときも、バイロンが助けています。どうも、父親の庇護の下から出られないまま破滅するような精神的に幼い人物だったようですね。帰国から数年後に、若くして自殺しています。

 なお、このポリドリの「吸血鬼」をもとにして作曲された歌劇がマルシュナーの「吸血鬼」です。小説の発表が1819年、演劇になったのが翌年、オペラの初演が1828年ですから、当時としてはほとんど「間髪入れず」というタイミングです。それだけ大評判になったということです。



 メアリとバイロンについて

 クレア・クレアモントはメアリの父の再婚相手の娘です。彼女もシェリーとはつかず離れずの恋人関係でしたが、バイロンとは彼が大陸に渡る前に巧妙に近づいて愛人となっていました。おもしろいことに、クレアはバイロンをメアリに紹介したばかりか、バイロンの関心をメアリに向けさせようと画策もしているんですね。

 メアリがバイロンと初めて会ったのは、バイロンがスキャンダルで世間から注目され、また槍玉に挙げられていた時期です。メアリは初めて会うまではスキャンダルで有名なバイロンのこと、よほど理不尽な人物であろうと想像していたのですが、会ってみて好感を持ち、クレアに大陸での連絡先を聞いておくように頼んでいます。じっさいにメアリはバイロンに興味を抱いたようで、スイス滞在中には原稿の清書を引き受けており、彼の詩を読むのを楽しみにしていたようです。

 一方、バイロンの側はメアリの才能は認めつつも、心惹かれる相手とまではいかなかった模様です。とはいえ、夫パーシーを亡くした後も、終生メアリに対して思いやりを示しています。メアリにとっては、浜辺で夫を荼毘に付すときに寄り添ってくれていた、夫の良き友でありました(ただしメアリは火葬に参列していないという説あり、後述)。またその後も濃淡はありながら、バイロンの死までこの関係は続いています。

 メアリとバイロンの間に恋愛感情、あるいはそれに近いものがあったのかどうかは、研究者によって見解が割れているところです。また、メアリはそうした心情についてはほとんど書き残していないため、その内面については推測の域を出ません。それでも、後にバイロンの伝記作家に、スイス滞在を「生涯でいちばん楽しかった」と語っています。



 バイロンは1824年4月19日、マラリアに罹患してギリシアのミソロンギで死亡しました。この知らせはひと月遅れでイングランドに届き、メアリはバイロンの遺骸と面会を果たしたごく限られた友人のひとりとなります。

 クレアの方は、一時期バイロンの愛人であり、バイロンの子であるアレグラを出産していますが、もともとバイロンはジュネーヴに来る前からクレアを拒絶しており、その感情はすっかり冷めたものでした。それでも自分によく似た、利発なアレグラのことは彼なりに愛していたようで、しばらくの間一緒に暮らしてもいました。ところが、ヴァニャカバロの修道院に預けられた後、チフスに感染して死亡。その後は、クレアとの関係も、まったくネガティヴなものとなったようです。

 ちなみにパーシー・シェリーが海難事故で溺死したのはその数か月後。メアリの周囲には次々と死が訪れ、これを精神的・経済的に支えたのがバイロンであったのです。ただの皮肉屋・世捨て人ではありません、なかなか男気のある人物だったのですよ。

 

 1816年は文学史上、忘れることのできない、たいへん重要な時なのです。

 ケン・ラッセルの映画は、ある程度ディオダティ荘の怪奇談義や登場する人物の履歴やエピソードなどを了解事項としているところがあります。そのうえで、事実に即したところと脚色された部分を見分けることができれば、より愉しめることは確かでしょう。人間模様に関しては、ここまで話したことでおおよそ理解できるはず。少しばかり補足しておくと、メアリがシェリーと親密になってゆくバイロンに嫉妬し、男色家であったらしいポリドリがシェリーを妬んでいたのは映画に描かれているとおり。しかし、さらに映画での描写は露骨ではありませんが、メアリはポリドリのことを俗物として軽蔑し、ポリドリの側はメアリのことを才気煥発であることを鼻にかけた小生意気な女として憎んでいたようです。また、クレアがバイロンとシェリーの双方に性的な関係を迫っていたというのは、これは微妙で、そのような噂があったのは事実なれど、じっさいに性関係があったとする研究者となかったとする研究者と、意見が分かれています。ポリドリが頭が骸骨になった女性の話を書くと言っているのも事実どおり。これの執筆が頓挫して、最終的に書かれたのが「吸血鬼」です。パーシー・シェリーが、乳首が目になった女を思い浮かべるのも事実。

 事実とは違うかな、と思ったのは、5人が一緒に食事をしているところ。じっさいはバイロンはひとりで夕食をとることを好んでいたそうです。また、メアリの幻視のシーンで、シェリーが浜辺で火葬されたのは事実ですが、当時の習慣ではメアリはその場に参列していなかったはず。ついでに(「ついで」では失礼だが)ポリドリは美男であったはず。この映画では、交霊術以降は事実を離れた展開、ただしメアリの幻視するものはその後の事実に基づいている、と思っていればいいでしょう。



 でもね、表面上は史実と異なっているところがあっても、ケン・ラッセルの映画には、実在した人物を借りた荒唐無稽なフィクションとは言い切れない、「詩的真実」とでも呼びたいような、深いところで「本質」を突いているところがあるんですね。それは「恋人たちの曲/悲愴」"The Music Lovers"(1969年 英)でも、「マーラー」"Mahler"(1974年 英)でも同様です。そこがケン・ラッセルの偉大なところ。


Ken Russell "In Search of the English Folksong"(1997)から―


(おまけ)

 さて、ディオダティ荘の怪奇談義を描き、これを発端としてやはりフランケンシュタインをモチーフとするstoryを紡いだ映画がもうひとつあります。



 スペインのゴンザロ・スアレスによる「幻の城/バイロンとシェリー」"Rowing with the Wind"(1988年 英・西・諾)です。ケン・ラッセルの狂乱、あざといまでに登場人物の内面を赤裸々に描き出す手法とは異なって、なんとも静謐感漂う、幻想的な美しさが印象的。出演はリジー・マキナニー、ヴァレンタイン・ペルカ、エリザベス・ハーレイ、そしてバイロン役にヒュー・グラント。

 

 ディオダディ荘の怪奇談義が生んだメアリの「フランケシュタイン」、その想像力の産物であるはずの怪物がひとり歩きしはじめて、メアリの愛する者たちに次々と死をもたらす(だれかの死に際して姿を現す)という物語。バイロンの主治医ポリドリ、パーシー・シェリーの正妻ハリエツト、メアリーの異父姉ファニーの相次ぐ自殺。さらにメアリとシェリーの一人息子ウィリアムも水死。バイロンとクレアの娘アレグラも死に、シェリーも水死、バイロンもまたギリシア独立戦争に身を投じて、やがて熱病で死ぬ運命です。ここではその怪物が明確に姿を現して、台詞まで喋ります。恐怖は人間が作り出したものなのか、それとも人間が現れる前から存在して、たとえ人間が滅んでも残るものなのか・・・。

 

 ところが、どうもメアリの伝記的事実に寄り添っていて、それはそれで間違ってはいないんですが、いま一歩、想像力を羽ばたかせて欲しいところです。ケン・ラッセルの「ゴシック」ではガブリエル・バーンが毒々しいバイロンを演じていたこともあって、ちょっとヒュー・グラントは分が悪いんですね。どう見ても育ちのよさそうな好青年で、あまりに皮肉を飛ばしそうな世捨て人タイプには見えません(笑)つまり、ケン・ラッセル作品に出演しているアクの強い面々とくらべると、登場人物(俳優・女優)がそれなりの常識人、すなわち俗物と見えてしまうのが残念なところ。映像はなかなか美しいんですけどね。


(おまけのおまけ)



 このチェスの駒は形状はごく一般的なものと見えますが、立派なものですね。ボードもかなり大きい。


(Hoffmann)



参考文献

 とくにありません。