097 「ハヌッセン」 "Hanussen" (1988年 洪・西独) イシュトヴァン・サボー 「ハヌッセン」"Hanussen"(1988年 洪・西独)、イシュトヴァン・サボー監督、出演はクラウス・マリア・ブランダウアー、エルランド・ヨセフソン、カーロイ・エペリエシュほか。 あらすじは― 第1次大戦末期、頭部の負傷で陸軍病院に運び込まれたオーストリア軍曹クラウス・シュナイダーは、催眠療法の医師ベテルハイムと出会い、その潜在能力を認められる一方、医師の恋人ベティ女史と恋におちた。 終戦後シュナイダーは、ブダペストの自殺未遂者専用の病棟で従軍中の上司ノボトニー大佐と再会し、彼をマネージャーに、エリック・ヤン・ハヌッセンの芸名で、催眠術師としてステージに立つことになった。千里眼を売り物に一躍有名になったハヌッセンは、しかしカールスバートで詐欺罪で逮捕されてしまう。裁判で自らの能力を証明し勝利したハヌッセンは、逆に名声を高め、やがてベルリンに乗り込み、上流階級の仲間入りを果たす。 幼なじみのメーアーの恋人で、ハヌッセンを嫌うベルリン警察のチーフ、ヴォルドバッハがステージを妨害するためによこした部下を逆に懲らしめたり、ブルジョワの民主主義者ラディンガーを更生させたりした一連のハヌッセンの行動は、やがて時の支配者ヒトラーから危険人物と見なされるようになり、国会議事堂放火を予言したことがきっかけとなって、拉致され、ベルリン郊外の森で数人の突撃隊員によって射殺される・・・。 エリック・ヤン・ハヌッセンErik Jan Hanussenは1889年ウィーン生まれの、自ら預言者と名乗った手品師・占星術師です。本名はヘルマン・シュタインシュナイダーHermann Steinschneider。当人はデンマーク貴族と吹聴していましたが、両親ともユダヤ人で、チェコ系ユダヤ人だったと伝えられています。 預言者を名のりはじめたのは第一次大戦後。なんでも第一次世界大戦に出征したときには、仲間の兵士のためにその故郷の消息を透視して評判となり、復員後は当時有名な銀行強盗の犯人を透視してみせると称して、不正な手段で裁判所の書類を閲覧したことからズデーテンランドに追放されました。ここで彼の透視や予言に騙されたと称する人々に訴えられて裁判沙汰となるも、いや彼の能力は本物だという証人が数百人も現れて、一躍ジャーナリズムの寵児に。おかげでベルリンの一流寄席に招かれて、一晩2万マルクのギャラをとるスーパースターとなります。 ヒトラーとは1932年11月ドイツ国会選挙以前から交流を持っていたともいわれており、軍人上がりのヒトラーの演説に対し、ボディ・ランゲージを指導すると同時にヒトラーお抱えの預言者としても活躍したとされています。ユダヤ人でありながら早い時期からナチを支持し、ヒトラーにも紹介された彼の家は「オカルトの家」と称して、SAやSSの要人たちがさかんに出入りするようになり、その私生活たるや放埓を極め、巷間「ベルリンのラスプーチン」などと呼ばれるようになりました。 交霊会でのハヌッセン(中央)1928年頃 ハヌッセンとマンドラゴラ さて、H・H・エーヴェルスの「アルラウネ」を取り上げたときにお話ししたマンドラゴラ、別名アルラウネ。これを開運の護符としてヒトラーに献上したのが、じつはこのハヌッセンです。 マンドラゴラ伝説についておさらいしておくと、アルラウネとはマンドレイクMandrake、別名マンドラゴラMandragoraのドイツ名。マンドラゴラといえば古くから薬草として用いられ、魔術や錬金術でも利用されたもの。根茎が人型で引き抜くときに悲鳴を上げて、これをまともに聞いた人間は死んでしまうので、耳に栓をして犬に引き抜かせたという伝説がある。絞首刑になった受刑者から滴り落ちた精液から生まれたとする伝承もあり、これによると処刑場の絞首台の下に自生しているという・・・。 1932年ヒトラーは大統領選挙でヒンデンブルクに敗れたものの、6月の総選挙でナチは第一党になりました。しかしヒトラーは副首相としての入閣を拒否。12月にはシュトライヒャー内閣が成立して、こともあろうにナチ党左派のシュトラッサーがシュトライヒャーに接近。このときヒトラーが助言を求めたのが占星術師ハヌッセンでした。ハヌッセンは総統の運は必ず開けるが、未だいくつかの障害があるとして、自らマンドラゴラの入手する役目を買って出ました。 ヒトラーの生まれた町ブラウナウで首尾よくマンドラゴラを手に入れたハヌッセンは、1933年の元旦、オーバーザルツブルクの山荘にヒトラーを訪ね、次のような詩を添えて、マンドラゴラを献上しました。 目標への道はなおふさがれ 正しき助力者たちはいまだ現れず されど三日ののちに―三つの国より 銀行を通してすべて変わるべし! やがてこの月の終わりの一日前に 汝は汝の目標と転機に立つ! いかなる鷹も汝を襲うことあたわず 白蟻は汝に向かいて蝕み進む 朽ち果てたるものは大地に崩れ落ちん はやその梁は軋みつつあり そしてこの予言のとおり、三日後の1月4日にケルンの銀行家シュレーダーの邸宅でパーペンとヒトラーの秘密会談がもたれ、シュトライヒャー内閣が倒れ、1月30日にはヒトラーはドイツ帝国宰相の座につくこととなったのです。 さて、彼の「オカルトの家」の一室ではしばしば交霊会が行われ、大きな円卓の周りに座り下から照らされるガラスに掌を置いた招待客にハヌッセンが預言を伝えて、人気を集めていたのですが、1933年2月26日には、次のような予言をしました―。 「明日、きっと重大な事件が起こる・・・大きな建物・・・ドームが見える・・・だが教会ではない・・・おお、火事だ、火事だ・・・なんと恐ろしい光景・・・窓という窓から火が噴き出している・・・」 翌日の夜9時、国会議事堂から出火。この事件を機に社会民主党弾圧、ユダヤ人排斥に拍車がかかることになりました。「この事件を機に」というよりも、「この事件を口実に」とした方が実情に合っていて、当然、この放火事件をSAの計画的犯罪とする説が、当時から現在に至るまで根強く唱えられています。 この事件をズバリ予言したハヌッセンに対しても、彼が事前になんらかの手段でSAの極秘作戦を知っていたのではないかとの嫌疑がかけられました。また、たとえ本物だったとしても、いや本物であればこそ、ハヌッセンは第三帝国にとって危険な存在となってしまったのです。ましてやユダヤ人。そして3月24日、彼の住まいを訪れたふたりの男が彼を車に乗せていずこかへ連れ去り、二週間後にベルリン近郊の森の中で射殺されたハヌッセンの死体が発見されたのでした。 ハヌッセンがヒトラーに献上したマンドラゴラは、たしかに所有者に大盛運をもたらしたわけですが、一説によると、その木の根はナチ式敬礼をしている人間そっくりで、「がに股」に見えるところが宣伝相ゲッベルスにそっくりだとゲーリングが大笑いしたとか。日頃から肉体的コンプレックスを抱いていたゲッベルスはこれを恨み、さすがに帝国ナンバー2のゲーリングには手を出せず、腹心にハヌッセンを殺させたのであろうとも言われています。また、彼がユダヤ人と知って激昂したヒトラーの命令で射殺されたという説もありますが、いずれも推測の域を出ません。 ハヌッセンがヒトラーに献上したマンドラゴラ(アルラウネ)に関してはまだ続きがあって、1945年、瓦礫と化したベルリンのある家の地下室から発見されています。その首にあたる部分に結び付けられていた銀のカプセルが開けられたのは1953年。中には羊皮紙が入っていて、ハヌッセンの手で、このアルラウネを持っている者は「星をつかみ、その名を蒼穹に記すであろう」だが「十二年のサイクルが過ぎると、その事業は煙と炎の中に滅びるであろう」と書かれていました。ヒトラーが千年続くとしていた第三帝国は、たしかに予言どおり、12年で煙と炎の中に滅んだことは皆様も御承知のとおりです。 なお、イシュトヴァン・サボー監督による映画「ハヌッセン」は、このハヌッセンの数奇な人生を描いた力作です。華々しい成功を収めながら、歴史の流れの中ではちっぽけな虫けらに過ぎない主人公が、最終的にはあっけなく押しつぶされてしまうのがたいへん印象的です。その点では、山田風太郎の「忍法帖」ものにも共通する世界観がありますね。 (Hoffmann) 参考文献 とくにありません。 |