112 「最後の人」 ”Der letzte Mann” (1924年 独) F・W・ムルナウ




 F・W・ムルナウの「最後の人」です。主演は「嘆きの天使」"Der Blaue Engel"(1930年 独)のエミール・ヤニングス。

 ベルリンの大ホテルのポーターが主人公。彼はこの仕事とその威厳を象徴するフロックコートに誇りを持っていましたが、支配人によって洗面所の清掃係にされてしまい、この哀れな老人は、家族からも近所の人々からも軽蔑される身となります。



 先日Kundryさんが取りあげた「ボルサリーノ」"Borsalino"(1970年 仏・伊)ではありませんが、まさしく服装が身分や権威を象徴するというモチーフです。その意味では視覚効果的に映画向きの題材ですね。だからというわけではありませんが、この映画では手紙と新聞記事を除いて文字の挿入がなく、すべてが映像でのみ表現されています。そこがサイレント時代に試みられた新しさ。その分カメラワークの役割が大きく、またそれが効果的であるとはいえ、やはりここで特筆すべきは主人公を演じるエミール・ヤニングスですね。



 一応衣装(制服)についてコメントしておくと、この時代、ドイツは極度のインフレに見舞われて、昨日は価値あるものが、今日になると無価値といったことがめずらしくなかった。たとえば証券なんかがそうですよね。そして、一流ホテルのポーターが洗面所の清掃係になるということは社会的な転落を意味するわけです。



 この物語では、最後に強引にハッピー・エンドとされますが、これはアメリカ映画の情動に則ったもの・・・の、皮肉じゃないでしょうか。いや、結構制作費がかかっているので、アメリカに売れないと困るわけですよ。ところが、ドイツではハッピー・エンドでなければならないなんて習慣はない。全体の統一感も損なわれてしまう。だから、ことさらに「とってつけたよう」にしたんじゃないでしょうか。

 この映画は「ホテル・ドアマン連合」から公開状をもって抗議されたそうです。曰く、ホテルのドアマンは3ないし4か国語を話す教養ある人間であり、その名誉ある地位を滑稽なものとした、侮辱だ―と。これに対してヤニングスは自ら返事を書いており、シェイクスピアはイギリスの宮廷貴族がファルスタッフに抗議しなかっただけまだ幸運でした、ゲーテはファウスト博士の件で幸いにもヴィッテンベルクの医学部の抗議を受けずにすみました・・・などと、なかなか機知に富んだ返事になっています。


(おまけ)



 これはおそらくメアシャム(海泡石)のパイプですね。これは使い始めは汚れやすく、いちどついた汚れはもう落ちないので、手袋をしたり布や皮で包んだりして使用するひとが多いんですが、こうして無造作に使われてこそ、愛用の道具と言えるんじゃないでしょうか。


(Hoffmann)


参考文献

 とくにありません。