132 「美女と野獣」 "La Belle et la Bete" (1946年 仏) ジャン・コクトー




 
J・L・ド・ボーモンの原作、監督・脚本がジャン・コクトー、ジョルジュ・オーリックの音楽。出演はジャン・マレー、ジョゼット・デイ、ほか。



 「美女と野獣」といえば、童話や映画などさまざまなジャンルで採用されてきた物語ですね。小説の「美女と野獣」"La Belle et la Bete"は18世紀のフランスでヴィルヌーヴ夫人とボーモン夫人という女流作家が、およそ15年ほどの時を隔てて書きあげたもの。現在の絵本や映画で採用されているのは、ほとんどがボーモン夫人による物語です。

 物語は典型的な「異類婚姻譚」で、その起源はギリシア・ローマ神話に遡るもの。そこに17世紀広範囲フランスで流行した「妖精譚」の要素も加味されています。

 「美女と野獣」の基本的なstoryは、三人の娘を持つ裕福な商人が船の沈没で全財産を失い、財産を取り戻そうとする。ふたりの娘は高価な土産をねだるが、末娘のベルは一輪の薔薇の花を望む。商人の努力は徒労に終わるが、ふと立ち寄った魔法の城の庭園で一輪の薔薇を摘む。これが城の主である野獣の怒りをかい、自分の命か娘のひとりを差し出すように要求。末娘のベルは城に赴き、賓客としてもてなされ、次第に野獣に好意を抱くようになる。父親が病気になったときに、一度家に帰り、また城に戻ると、野獣は悲しみのあまり瀕死の状態になっていた。ベルが野獣への愛情を告白すると、野獣は王子の姿に戻り、ふたりはめでたく結ばれる・・・というもの。

 この物語の祖型は「アモールとプシュケー」物語ですね。紀元2世紀頃に古代ローマのアプレイウスがラテン語で書いた「黄金の驢馬」のなかの一挿話です。アモールは愛、プシュケーは魂・心という意味。ある国の末娘プシュケーがあまりに美しいので、嫉妬した美の女神ウェヌスが息子である愛の神であるクピードに、プシュケーが卑しい男と結ばれるようにせよと命じるが、クピードは誤って自分に矢を刺してしまう。クピードはプシュケーに姿を見せずにいたが、姉にそそのかされたプシュケーは蝋燭をかざしてクピードの姿を見てしまい、この背信に怒ったクピードは去き、プシュケーはクピードを探す試練の旅に出る・・・といったもので、最後はハッピーエンド。

 つまり、人間の娘と神・魔物の結婚の説話であり、世俗の愛が浄化されて天上の愛に至るという寓話です。ルネサンスからバロック時代に至るまで、絵画や彫刻、演劇やバレエ、オペラの題材としても広まったもので、これが18世紀に至って再話されたvariationのひとつが「美女と野獣」というわけです。

 また、魔法にかけられて動物になった人間が救済されて呪いが解けるという、「魔法からの救済と結婚」のモティーフは、グリム童話の「蛙の王様」ほか、ヨーロッパ各地の民間説話によく見られるもの。そもそもアプレイウスの「アモールとプシュケー」も、民間説話から想を得たとも言われています。そして再話である「美女と野獣」が生まれたのが17世紀から18世紀にかけてのフランス。王権を中心とした宮廷文化華やかなりしころ、古典的で雄壮なギリシア・ローマ神話はとくに好まれていたという背景があります。



 ヴィルヌーヴ夫人の「美女と野獣」は1740年の発表。枠物語で、アメリカ人の娘の女中がアメリカに向かう船上で乗船客に語るという設定でした。物語は細部が懇切丁寧、というか、やや冗長。商人の家族構成も息子が6人、娘が6人と多く、ベルが城で出会うのも醜い野獣と貴公子のふたり。妖精も登場します。つまり、ここに当時流行していた妖精譚を取り入れていたということです。

 ボーモン夫人のものは、1756年の発表で、出典は明記されていませんが、他人の著作物から拝借して自分流に書き直した・・・とは前書きに記されています。そもそもが教育用に刊行された子供向けの本であるので、書き出しは"Il y avait une fois・・・"「昔あるところに・・・」と、民話やお伽噺の定型をなぞった、やはり一種の枠物語の一挿話。数年後には英訳されて、ボーモン夫人は国際的な名声を確立しました。そしてフランスで絶対王政が崩れ去ると、貴族に変わって新興富裕層が台頭、その子女教育が求められるようになったことで、ボーモン夫人の物語は19世紀にかけて、さらなる人気を獲得していったわけです。

 ついでにふれておくと、「枠物語」というのは、口承文芸から文字文芸への移行を示しているわけですよ。民衆の間で語られてきた物語を、文字に書かれた書物として再話するときの、お約束の手法なんです。

 また、「美女と野獣」はヴィルヌーヴ夫人の段階で、オウムがアリアを歌ったり、詩を朗唱したりするんですよ。つまり、オペラや演劇の要素が、原作の段階で取り入れられている。おまけに、窓を開けるとそこはオペラ座、あるいはイタリア座、チュイルリー宮であるなんていう場面も。しかもベルは観劇が大好きだなんて書いてある。もう、この物語を舞台にかけてくれと言わんばかり。視覚的にも聴覚的にも訴えるものを持っていたわけです。思えば、ここに描かれている魔法や奇跡は、近代科学の機械仕掛けで実現可能な時代であったわけですから、妖精譚でありながらリアリズムの要素も加わっている。そのように読めるのです。



 このあたり、ボーモン夫人は全部削除しちゃっているんですが、それでは物語の軸足がどこに置かれているかというと、やっぱり子女に対して説諭すべき良識と美徳を際立たせる場面なんですね。あくまで愛の試練と心の浄化が中心となるテーマなんです。だから、妖精譚の要素は希薄になりがち。それでも最後は魔法、すなわち妖精の杖の一振りですべて解決。あくまで妖精譚なんですよ。あえていえば、大スペクタクルではないけれど、「驚異」の大団円を求めているところに、かろうじて舞台演劇・オペラ的な要素が残っている。教育用ということでやや抹香臭いところはあるものの、より洗練された構成であることはたしかで、これはこれで納得のできるハッピーエンドです。

 しかし、このジャン・コクトーの「美女と野獣」では、「オルフェ」"Orphee"(1949年 仏)と同様、トリック撮影を駆使することによって、ヴィルヌーヴ夫人版を思い起こさせるような、「驚異」を再び取り戻しています。もちろん、いまとなってはfilmの逆回しや合成といった初期のトリック撮影なんですが、いま観ても、その映画的な「驚異」「スペクタクル」はこのstoryにふさわしく、ひとつの「様式」として完成されていると言っていいでしょう。



 ところで、映画公開当時の批評では、ジャン・マレエによるアヴナン、野獣、野獣が人間に戻った時の王子という、一人三役が欠点として指摘されたようですね。おそらくそれに反論するためでしょう、ジャン・コクトーはジャン・マレエの一人三役について、次のように言っています―

 この一人三役は、いかに妖精の世界が素朴であるかということ、そしてなぜその世界が人間の登場人物たちに近づこうとすらしないのかということを示している。妖精たち(彼女らは私の映画の余白を動きまわっている)は、ベルが、彼女にふさわしくない青年アヴナンのとりこになるのに気づく。彼女らは、野獣がアヴナンの眼差しをしていたら、ベルは野獣を愛するだろうと思う。彼女らは、野獣を殺そうとするアヴナンに、野獣の醜さをあたえて罰しようと思う。彼女らは、野獣にはアヴナンの美しさと、加えて野獣の気高さをあたえ、そして美女(ベル)にはその二つの混ぜあわさった人物が夢に見た王子さまとなるようにして、埋めあわせをつけようと思う。素朴な妖精たち!

 映画の最後近くで、アヴナンが野獣の容貌になると同時に、野獣が王子に姿を変えるあたり、私はオスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの画像」を思い出してしまいました・・・というか、じつは「ドリアン・グレイの画像」からこの映画を連想して、今回取り上げたんですよ(笑)



 なお、異類婚姻譚の隆盛は文芸復興期とロマン主義の時代に重なるわけですが、これはつまり、前者は宗教改革の時代でカトリックの基盤が揺らいだ時代、後者は科学の発達によるキリスト教会の弱体化と、古来の自然信仰の復権の時代であったため。そのような背景があったことを指摘しておきたいと思います。


(Kundry)




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 異類婚姻譚・獣姦について

 さて、「異類婚姻譚」と言えば聞こえはいいものの、そこで連想されるのはつまり「獣姦」です。「キング・コング」の物語だってそのimageを持っていますよね。いわんや「美女と野獣」においておや。

 キリスト教会は獣姦を厳しく禁止して、その罪深い行為を犯した者を火刑に処したわけですが、それではレダと白鳥の絵はどうなんですか? レダと白鳥というテーマは歴代の画家たちの創作意欲をかきたててきました。レダの「並外れた美しさ」というのは、これはたしかに画家なら一度は挑戦してみたくなりそうです。そのレダの生身の肌に、神である白鳥の羽毛が絡み合うimage・・・たしかに悪くない。もちろん、これは古代ギリシアの最高神ゼウスが鷲に追いかけられているふりをして、レダの膝の上に逃げ込むと、レダはマントで白鳥をかくまった。そしてゼウスとレダは交わりを持つ、という物語の情景。しかもこの結果、鳥でもない人間レダが二個の卵を産んだ・・・と。いや、そんなのはギリシア神話じゃないか、キリスト教とは無関係だよ、と思いますか。


パオロ・ヴェロネーゼ「レダと白鳥」1585年頃 フェッシュ美術館所蔵

 出エジプト記で神は次のように語っています。「すべてけものと寝る者は必ず刑に処せられる」と。しかし、キリスト教の神もゼウスと同じく、鳥に身をやつして降臨しています。この場合、鳥は鳥でも、鳩。「聖なる鳩」ですよ。マタイは神の霊が「鳩のように降ってくる」として、ルカは聖霊が「鳩のように目に見える姿でイエスの上に降ってきた」と記しています。これはいずれもイエスの洗礼の場面ですが、その後「聖なる鳩」は聖人や殉教者の生涯において重要な役割を果たしています。

 そしてもちろん、聖母マリアが身ごもるとのお告げを聞く受胎告知の場面にも登場しています。イエスは聖母マリアに宿り、聖霊によって身ごもったとされていますが、旧約聖書ではこれを「聖なる鳩」によるとしています。だとすると、イエスは処女と鳩の間に生まれた子供と考えられるわけで、なんのことはない、キリスト教のそもそもの発端は獣姦ということになってしまう。


左:シモーネ・マルティーニ「聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知」 1333年 ウフィツィ美術館収蔵
中:フラ・アンジェリコ「コルトーナの受胎告知」 1433年頃 司教区美術館収蔵
右:フィリッポ・リッピ「受胎告知」 1443年 アルテ・ピナコテーク収蔵 以上、すべて鳩が描き込まれています。


 「イエスは人の子ではない。御霊の霊力によって神のことば(ロゴス)が肉体となり、胎の実が成長したのだ」と、初期キリスト教徒に説いたのは聖アンブロシウス。苦しいですな(笑)1600年頃のマリア論者であるフランシスコ・スアレスは、「男児を産んでも、聖母マリアは処女のままで性的快感を知らなかった・・・聖霊がわけもなくそんなことを、すなわち下卑た情欲をかきたてたりするはずがない」とは考えたものの、確信できることといえばそれだけ。だから、それ以上のことは問題にするまでもない、と言って逃げている? とはいえ、いったい、どうやって妊娠したNO? と疑問を抱いたことが、本当に一度もなかったのでしょうか(笑)

 当時の教父は単純ですよ。母親の役割は赤ん坊の素材を提供するだけ。形と運動を与えるのは父親。これは元をたどればアリストテレスの見解に由来するもの。古代ローマの大プリニウスに至っては、人間には素材はさほど必要なく、一陣の風があれば事足りるとしていました。この説によると、ギリシア神話の北風ボレアスは繁殖力に富み、牝馬が風吹きすさぶ中、北の方角に尻を受けていれば、牡馬の力を借りずに子供を授かることができる、ということです。

 17世紀になると、卵子を活性化するのは精液そのものではなくて、精液の「におい」であるとされていました。女性が妊娠するのに物質的媒体は必要なく、子供は子宮にポンと現れると。それが本当だったら、聖なる鳩もたいした苦労はなく、聖母マリアの胎内にイエスを宿らせることができたということなんでしょう。それにしても、生物学とか病理学というのは、歴史上、だいたい一度はこんな珍妙な説で「遠回り」をするんですよね。

 キリスト教徒で獣姦起源説を提唱する人など思いもよりませんが、しかしローマを創設したロムルスとレムスは狼の乳で育ち、イヌイットは白人を女性と犬の交配種とみなしていたんですよ。デンマークの王室は熊をその祖と唱える説に対してなんら悪びれることなく、イギリスの旧家にも、熊や犬に起源があることを誇らし気に語っている例があります。獣姦って、ホントにタブーNANO?

 ましてや、聖母マリアを懐妊させたのは「聖なる鳩」だとすれば、その鳩は同時に神ですからね、神の子羊とうたわれるイエスがこれを恥じる必要など毛頭なかったんですよ。人間と動物の子であり、神と人間の子でもあるという両義性。この両義性というものは、じつはほかの宗教でもめずらしいものではありません。

 いずれにせよ、古代ギリシア・ローマほど獣姦を扱った文化はなく、たさらに獣姦は青銅器時代の遺跡にも見ることができるし、アメリア・インディアンでも同様。ヨーロッパだって判例集ではおなじみの事件だったんですよ。それを異端や魔術に結び付けたのはキリスト教なんです。そうして異端審問所の魔女狩りや異端者の火刑がさかんだったころに、教会の壁を飾っていたのが一角獣を膝に処女(ときどき裸)の絵。この、いかにも性器の象徴と見える、屹立した角を持つ一角獣がじつはイエス・キリストで、処女は聖母マリアをあらわしているのです。教会側は神の愛で一角獣を従わせたなんて言っていますが、いや、ほとんどの人は、少なくとも無意識領域では、別な好奇心をもってこの絵を眺めていたに違いないと思うんですけどね(笑)


左:ドメニコ・ザンピエーリ「処女と一角獣」 フレスコ画、1604(1605)?年 ファルネーゼ宮
右:ギュスターヴ・モロー「一角獣」1885年 ギュスターヴ・モロー美術館所蔵 どちらもクラシックのレコード・ジャケットでお馴染みの絵です。


 さて、ここでちょっと動物から離れてみましょう。

 たとえば黒人。何世紀もの間、黒人は白人から動物でも人間でもない、いまで言う類人猿か、ともすればそれ以下の存在として扱われてきました。イギりス人船長ダニエル・ビークマンは1712年の航海日誌に、黒人よりもオランウータンの方がまだしもだと書いています。当時、プランテーションで働く黒人は家畜同様の動産と考えられ、パラグアイの最高裁判所が「共和国のほかの住民同様、インディアンも人間である」と公式に判決を下したのは1957年のこと。まだ100年も経っていません。同じころ、南アフリカでは白人と異人種との性交を禁じています。アメリカではそんな禁令を出すまでもない。1951年の20都市での調査では、黒人が自分と同じ美容院に通うのさえ「我慢できない」とする白人が70%に達しています。「白人女性は黒人男性に用心せよ」とは第三代アメリカ大統領トマス・ジェファソンの弁。

 西ヨーロッパでのユダヤ人への風当たりの強さは黒人に対するそれ以上でした。理由は、黒人がほとんどいなかったから。黒人やインディアンはアムステルダムのブラウ・ヤン動物園で入園料を払えば見ることができました。スリナムの原住民は1883年にアムステルダムでの万国博覧会で、ブッシュマンはアムステルダム国立美術館の裏にあった小屋で見世物にされ、ベルリンではロシアの遊牧民の、パリではセネガル人の、見世物興行が評判を呼んでいます。

 どこまでが人間で、どこからが動物なのか。異人種、とりわけ有色人種との性交は獣姦と同様のものと見なされていたんですよ。

 その証拠に、19世紀に入ると、毛むくじゃらの獣が女性を追いかけ回すというテーマが文学にあらわれることになります。ポオの「モルグ街の殺人」(1841年)が嚆矢。ただし性描写は控え目。でもあのオランウータンが黒人を象徴していることは間違いないでしょう。後にこのオランウータンをゴリラに変えて、「キング・コング」の物語が生まれています。野生のリビドーをあらわすのにはゴリラの方がふさわしかろうと考えたのだと思われますが、マウンテンゴリラの発見は1901年ですからね。だからポオの時代はオランウータンだったわけです。

 黒人が精力絶倫ってimageがあるじゃないですか。あれは、そうした白人種の偏見、すなわち黒人(有色人種)を人間と見なさず、動物と見立てた偏見が生んだ妄想なんですよ。だから文学や映画にあらわれた、人間と性的関係を結ぶ(結ぼうとする)類人猿は、決まって野蛮なケダモノという役回りになっているんです。

 これを、欲情や感情の爆発を制御できない肉体に閉じ込められた、愛を求めてやまない心を持つキャラクターとしたのが「美女と野獣」の物語です。より正確に言えば、そのようなテーマを作り出した。謂わば、ここで獣はminorityとしての側面を強調された、人間の動物化なのです。つまり、白人種の偏見の逆をいったわけです。

 なぜか。ダーウィンが進化論の中で、猿を人間の祖先としたからです。当時大半の人々はこれを認めたくなかった。人間として、動物界にかかわるなんてマッピラだった。だから聞く耳を持たない相手を納得させるためには、事実を認めさせるために、人間を動物に近づけるしかなかったんですよ。ぐっと時代を下っても、デズモンド・モリスは1960年代に「裸のサル」で、外見のみならず行動の点でも、ヒトはサルの血を受け継いでいると主張しています。「人間は猿である」と。一方、同じころジューン・グドールは動物を人間化していました。社会に溶け込んだ野生のチンパンジーの行動を研究して、センセーションを巻き起こしています。

 しかしコクトーはともかく、原作者であるヴィルヌーヴ夫人もボーモン夫人も、それよりはるか以前の時代、18世紀ですからね。非日常のstoryを紡ぐことにためらいはなかった。しかし、これが、もしも摩天楼聳え立つキング・コングの時代だったら、この野獣は人間の娘を誘拐(幽閉)した廉で射殺されていたことでしょう。かなわぬ愛を不幸な結末に至らせないためには、魔法に頼るしかないのです。そこが「美女と野獣」の物語を、レダと白鳥とか一角獣と処女といったものと同等の芸術分野にとどまらせることとなった要因なのです。

 あと、2、3付け加えておきましょう―

 異類婚に関しては、子を成さない場合や、死産・流産・障碍などで悩み苦しんだ時に、「配偶者が異類と不貞をした」「配偶者が異類であった」などと責任転嫁や現実逃避をしたものが語り伝えられたのだとする説があります。つまり自分を納得させるための方便ですね。

 しかし近年、我々人類そのものが異類婚による交雑の果てに生まれた種ではないか、との説が提唱されています。ホモサピエンスのDNAにはネアンデルタール人の要素が約2%含まれており、ということは我々の祖先がネアンデルタール人と交雑関係にあったことを示していると。また、人間の細胞内にあり、母親由来で遺伝するミトコンドリアは、我々の先祖の原始的な生物が、別の生物、すなわちバクテリアを細胞内に共生させて受け継いできたものです。従って、異類婚と異形の子の物語は、異類婚の末裔である我々自身の物語であった、ということになるんですよ。


(Hoffmann)



参考文献

「映画について」ジャン・コクトー 梁木靖弘訳 フィルムアート社

「西洋文学にみる異類婚姻譚」 山内淳監修 小鳥遊書房

「愛しのペット 獣姦の博物誌」 ミダス・デッケルス 伴野良輔監修 堀千恵子訳 工作舎