144 「ザ・ウォード / 監禁病棟」 "The Ward" (2011年 米) ジョン・カーペンター




 storyは―

 1966年、放火した農家の前で茫然自失としているところを保護されたクリステンは、そのまま精神病院に監禁された。そこには同年代の少女4人、ゾーイ、サラ、アイリス、エミリーがいるが、クリステンは、さらに見えない人の気配を感じ不安を抱く。

 クリステンは担当医ストリンガーとの面接で、自分の仕業とされる放火と、名前以外、記憶を失っていることに気付く。さらにその夜、廊下を歩くおぞましい姿の女性を目撃する。やがてアイリスが、自分は病気が完治したので退院すると告げて姿を消す。続けてサラもまた姿を消す。病院で何かが起こっているのか。

 クリステンはエミリーと脱走を試みるが失敗、連れもどされ、エミリーも失う。これまでの疑問をゾーイに問いつめたところ、かつてアリスという少女がいて、皆で殺してしまったことを白状する。それでは、すべてはアリスの復讐なのか。

 クリステンは、再びゾーイと脱走を試み、院長室で自分のカルテを発見。院長から事実を告げられ、アリスの亡霊と格闘の末、3階の窓から落下する・・・。



 はい、前回の「アイデンティティー」"Identity"(2003年 米)に続いて、これも解離性同一性障害、多重人格ものです。少々変格ものといった趣の「アイデンティティー」とくらべると、正攻法。で、ありながらなかなかよくできています。"The Ward"というのは、「行政区画」という意味のほかに「病棟」「監房」、保護・管理する区域といたニュアンスを持ち、ここではそのまんま「監禁病棟」のこと。



 冒頭でクリステンが放火した農家は、アリスが過去に囚われて監禁・虐待されていた場所。そのときに辛い現実から逃れるために、アリスのなかにほかの人格が生まれた。救出されてからも、いくつもの人格が消えずに残っていて、共同してアリスの人格を抹殺してしまっていた、というわけです。病棟からひとりずつ消えていくのは、アリスの治療が進み交代人格が統合されていく過程・・・ということでいいんですよね。だから、クリステンたちの前にアリスの亡霊が現れるということは、本来の人格が甦ろうとしているということでもあるのですね、きっと。クリステンの人格は、ひとりずつ消えていくこと、アリスの亡霊(人格)が甦ってくること、そのいずれをも恐れて拒んでいる、というのも納得の展開です。4人が音楽に合わせて踊っている場面では、電気が消えると、チラっとアリスの亡霊が見えるんですが、そのように見れば、このシーンもなかなか意味深いものがあります。




 伏線は、冒頭クリステンが精神病棟に送られた際に、部屋の入口にある患者名のプレートを書き換えるところ。ブレスレット。それに、窓からこちらを見下ろしている夫婦(アリスの両親)。それをゾーイはこれまでにも見ているらしいこと。ほかには・・・2度3度観たんですが、あまり見当たらないなあ(私が気付かないだけかも)。看護婦長が連れてこられたとき、字幕に「今度はクリステンね」と出るんですが、台詞では「今度は」なんて言ってないぞ(笑)ストリンガー医師がクリステンたちと話す場面も、ストリンガー医師の態度は5人の相手と話しているようにしか見えない。もっとも、4人の少女がいる場面というのは、クリステンの心象風景だからあまり思わせぶりな描写もできなということかな。



 ラストシーン、アリスが退院を間近に控えた時、未だ残っていた交代人格のクリステンが現れる、というのは「キャリー」以来の、最後にドキッとさせる定石なんですが、鏡の中から交代人格が出てくるというのは納得ですね。ドアを開けたらそこにいるとか背後にいた、なんていうのとは異なって、鏡の中から出てこられると、単なる驚かせではなくなります。まだクリステンの人格が残っているんだ! という絶望感と落胆。もっとも、私ならアリスが鏡をのぞき込んだら、そこにクリステンが映っている・・・といったラストにしたいところですね。それじゃ、ショックが小さいかな?



 ヒロインに加えて、4人の少女もどことなく現代風ではなくて、1960年代の香りを漂わせています。精神病院というある種の密室・閉鎖空間もゴシック風の味わいを醸し出しており、一見冷酷そうな看護婦長、一見やさしそうでありながら裏の顔を持っていそうな医師、事務的なんだか底意地が悪いのか分からない職員たちが、観る者の不安をかき立てて、ここでなにが起こっているのか、なにが行われているのかと、目が離せなくなります。

 
 

 消えていった少女たちの殺害シーン、ひとつは目頭に金属の器具と突き立てられる・・・これはおそらくロボトミー手術のimageでしょう。もうひとつは電気ショックです。

 

 現在では電気けいれん療法と呼ばれる電気ショック療法の描写も効果的。この映画内では、職員たちによる「いまどき電気ショックか」という台詞があって、これはたしかに1966年という時代には当てはまります。簡単に説明しておくと、電気ショック療法が精神疾患に対して一般的に行われるようになったのは、1940年頃。その後一時期安易に行われるようになり、また治療以外の目的で、つまり懲罰的に行われたりすることもあって、社会問題化。薬物治療が主流となってきた時期からあまり行われなくなったのですが、時期的には1952年にクロルプロマジンが開発されて以降ですね。クロルプロマジン、覚えていますか? 1954年という舞台設定の「シャッター アイランド」"Shutter Island"(2010年 米)で、院長が主人公に投与していた薬として言及されていましたよね。この頃からさまざまな抗精神病薬や抗うつ薬、気分安定薬などが開発されたことによって、電気ショック療法が行われる頻度は次第に減少していきました。1950年代の後半には、筋弛緩薬を用いて筋のけいれんを起こさせない電気けいれん療法が開発され、これが現在の修正型電気けいれん療法につながるもの。もちろん、随時新たなガイドラインが作成・改定されています。

 この映画では筋弛緩剤などは使われていないようですが、これは主人公の幻想の光景だと思えば問題とはなりませんが、この時代に安易に電気ショック療法が多用されていたわけではないことには、ご留意下さい。

 ジョン・カーペンターの映画は以前、「マウス・オブ・マッドネス」"In the Mouth of Madness"(1994年 米)取り上げていますが、じつを言えばさほど好きな監督さんでもないんですよ。「遊星からの物体X」"The Thing"(1982年 米)などは、往年の古典、「遊星よりの物体X」"The Thing from Another World"(1951年 米)の方がいい。カーペンターでいいのは「パラダイム」"Prince of Darkness"(1987年 米)かな。

 でもね、この「ザ・ウォード / 監禁病棟」は、特撮もCGもほとんどない、特殊メイクだって、これはありますが、それに頼ってはいない。所謂「Jホラー」にありがちな、思わせぶりなシーンも見当たらないし、音で驚かせたりもしない。正直映画としてはB級かなとも思いますが、基本ができている人はあまり小細工をしないで正攻法で撮って、ちゃんとした面白い映画になるっていうことなんじゃないでしょうか。




(Hoffmann)



参考文献

 とくにありません。