152 「顔のない殺人鬼」 "La Vergine di Norimberga" (1963年 伊) アントニオ・マルゲリーティ




 アントニオ・マルゲリーティ監督による「顔のない殺人鬼」"La Vergine di Norimberga"(1963年 伊)です。



 あらすじは―

 第二次世界大戦終結から十数年後のドイツはライン地方の古城が舞台。夫の所有する古城の一室で眠っている若妻は若い女性の悲鳴で目を覚ます。ここには中世の数々の拷問具の展示室があって、彼女はその展示品のひとつ、いわゆる「鉄の処女」のなかに両目をつぶされた女性の死体を見つけ、気を失う。

 この展示品は、夫の先祖が死刑執行人だったため。しかし日頃はやさしい夫といい、もと父親の部下だったという、顔に傷跡のある拷問展示室の管理人エーリヒ、女中のヒルダといい、だれもがなにかを隠している様子。やがて展示室にあった衣装をまとった死刑執行人が現れて・・・



 古城に女性ひとり、なにかを隠している夫、謎めいた執事に女中、さらには地下室に拷問具と、製作時から見れば「現代」である舞台設定に、ゴシック・ロマンスお約束の道具立てが満載の鈴なり状態。fetishなオブジェ志向もたいへん結構。これで雰囲気が悪いわけがない・・・って、ニコニコしてる私は病気が重いなあ(笑)

 ローマ市内の邸宅と併せてスタジオに組んだセットも使用しているということなんですが、広々としていてなかなか豪華。低予算かつ3週間というタイトなスケジュールで撮られたものとは思えません。なんでも、撮影時には複数のカメラを回して、編集時に使用するカットを選択したんだそうです。



 見どころは情け容赦のない拷問シーン。「鉄の処女」というのは、中が空洞の人型の棺桶のようなケースで、その蓋の内側に釘が植えられているもの。この映画のなかでは「ニュルンベルクの処女」と呼ばれていて、これがそのまま原題となっています。じっさい、「鉄の処女」といえば16世紀にニュルンベルクで作られたとされているものがとくに有名なんですよね。ただし、じっさいには当時こんなものは使われていなくて、後世の空想・伝説によって再現(?)された拷問具だという説もあります。ついでに言うと、「鉄の処女」という名称は看板に偽りありで、釘と蝶番以外はほとんど木製。



 これは攫ってきた女性の顔に鼠の入った籠を被せているところ。これも拷問具。作中では中国でよく知られた方法であると説明されています。いまの目で見ればたいしたスプラッターシーンじゃありませんが、若い女性の鼻が食いちぎられるんですから、思わず目を背けたくなる。これでわかるように、犠牲者が危害を加えられるのは徹底して顔(面)なんですよ。時代を考慮に入れれば、マルゲリーティも思い切った演出をしたものです。とはいえ、これはスプラッターというよりも、グラン=ギニョルの伝統にならったものなので、残酷趣味の先祖返りでもあるとも言えるわけです。

 しかしながら、そのような残酷趣味だけの映画だったら「カルト映画」で終わってしまうところ、やはり雰囲気がいいんですよ。じっさい、マルゲリーティも後のインタビューで「特殊効果なんか問題ではない」と言っています。



 これよりネタバレ―

 死刑執行人はじつは夫マックスの父親。かつて第二次大戦中にヒトラー暗殺を画策して捕らえられたうえ、外科手術によって顔面を髑髏の如くに改造され、発狂してしまった悲劇の将軍。

 このあたり、違和感を抱く人がいるかもしれません。怪人の正体は超自然ではないというのは、これはこれでかまわないのですが、結局戦争が、ナチスが悪いんだ、という話にしてしまってそれでいいのか・・・この悲劇の将軍自身も、もともとはナチスなんだし。ところがエーリヒについてのマックスの台詞は「戦争が彼を変えてしまった」だとか、どうも製作者(脚本家?)が戦争に対して被害者ぶっているような(安易な)立場とも受け取れるのがちょっと気になります。ま、その点は、私が「ウルサイ奴」だからだと思って下さい。



 ただ、超自然ではなくて、グラン=ギニョルの流れを受け継いだゴア描写は、その後のジャッロ映画の先駆けであるとは言えそうです。



 女中も殺害され、あわやメアリも「鉄の処女」のなかに・・・もはや我が子も判別できない狂気の父親。



 エーリヒ役はクリストファー・リィ。かつての主人に愚直なまでに忠実な男を演じて、脇を引き締めています。さすが。

 死刑執行人の衣装や残虐シーンなど、この映画をカラーで撮っただけの説得力があると思います。その色彩は渋めですけれど、Hammerあたりのカラーとは異なった、まるで色を塗り重ねたような「こってり感」がいかにもイタリア映画ふう。それと、カメラワークもよくて、これは次回取り上げる予定の「幽霊屋敷の蛇淫」よりも数段上。なにかが起こりそう・・・というスリルをうまく盛り上げていて、さらに闇と照明の使い方も巧みだと思います。

 惜しいのは音楽。オープニングでジャズが流れるのはかまわないんです。これは、冒頭のシーンがゴシック調ながら、マルゲリーティも「物語が現代であることを匂わせ」るためだとしている。そうでなくてもジャズを使うのは1960年代のヨーロッパの映画にはわりあいよくある例。たとえば「死刑台のエレベーター」"Ascenseur pour l'echafaud"(1957年 仏)もそうでしたよね。ところが、登場人物の動作とか物音とかに合わせて、いちいち音楽が鳴るんですよ。とにかくしつこいくらいドラマに寄り添っていて、説明的でくどい。はじめのうちは「古風でいいねー」なんて思っていたんですが、延々と繰り返されるとさすがに鬱陶しくなってくる。


(Hoffmann)



参考文献

 とくにありません。