154 「怪談かさねが渕」 (1957年) 中川信夫 その他の「累ヶ淵」ものいくつか




 言わずと知れた、三遊亭圓朝作の怪談「真景累ヶ淵」の映画化作品です。



 あらすじは―

 安永2年(1774年)の冬、上総羽生村。雪の降る中を旗本深見新左衛門の屋敷へ貸金返済の催促に向かった按摩の宗悦は、腹を立てた新左衛門に殺されてしまう。新左衛門は下男の勘三に命じて宗悦の死体を屋敷裏手の累が淵に捨てさせるが、その晩、勘三が守り刀のかわりにと死体に持たせた鎌を手に宗悦の亡霊が新左衛門のもとに現れ、狂乱した新左衛門は妻を殺し、自身は亡霊に累が淵に引きずり込まれて死ぬ。

 20年後、勘三が旧知である江戸・門前仲町の商家・羽生屋に預けた新左衛門の遺児・新吉は店の番頭となり、ゆくゆくは主人の娘お久と結婚するはずだったが、お久の三味線の師匠である豊志賀が間に割って入り、新吉を奪おうとする。豊志賀はじつは宗悦の一人娘お累の成長した姿だったが、新吉も豊志賀も互いの素性も因縁も知らず、深い仲になる。しかし、豊志賀が顔に怪我をして醜く変容、新吉の心は別の女性に移り、やがて、自分を捨てた新吉が親の仇の息子であると知った豊志賀は、新吉を呪って息絶える・・・。



 「累ヶ淵」は、「死霊解脱物語」と題した実録風の読本を享保16年(1731年)に「大角力藤戸源氏」に取り入れたのを皮切りに、上方でも寛延2年(1749年)に「下総國累譚」、そのほか人形浄瑠璃「草楓錦絹川」などで人気狂言のひとつになりました。安永7年(1778年)には初代桜田治助が伊達騒動にからめて「伊達競阿国戯場」(だてくらべおくにかぶき)を、また川中島決戦にからめて「越路花御江戸侠」(こしじのはなおえどのとりでき)を書いており、鶴屋南北は分かっている限りで7本の「累もの」を出しているということです。そのなかでも有名なのは「色彩間苅豆」(いろもようちょっとかりまめ)・・・いや、まだまだあるんですけどね、きりがないのでこのへんで。

 明治期以来映画化された「累もの」は、概ね南北の「色彩間苅豆」と三遊亭圓朝の口演「真景累ヶ淵」の前半、豊志賀と新吉の条に材を得たものであるようです。圓朝の人情噺は安政6年(1859年)の作と伝えられており、これについては先だってHoffmann君がお話ししてくれたとおり(こちら)。時期的には圓朝が道具入りの芝居噺から素噺に移った時期でもあり、心理描写にかなり重点を置いていて、これをベースにするのであれば、心理劇になる。すると、幽霊の実在は曖昧な演出になったとしても不思議はないところなんですが、私は未見ながら、「累ヶ淵」(大正13年)、「累ヶ淵」(昭和5年)あたりは、あくまでも律儀に(?)怪談ものとして映画化したものだそうです。そのほか、「狂戀の女師匠」(大正15年)は外題から登場人物の名前まで変えてあるものの、storyは豊志賀と新吉の条・・・これまたまだまだあるんですが、きりがありません。



 さて、大倉貢率いる新東宝の「怪談かさねが渕」(1957年)です。監督は中川信夫、主演は若杉嘉津子。当時の新東宝では夏興業の定番だった怪談映画のうちの1本。原作は三遊亭圓朝の「真景累ヶ淵」で、川内康範の脚本は発端部の「宗悦殺し」から「お久殺し」までを描いている。

 表題については、もともと「怪談累が渕」で、後に「怪談かさねが渕」と改題されたと解説している資料もありますが、正確には「怪談累が渕」がオリジナル版タイトルで、短縮版が「怪談かさねが渕」であるということのようです。オリジナル版は消失しており、短縮版のみ現存、なので現在入手可能なDVDも66分の短縮版なので「怪談かさねが渕」と表記されているというわけです。



 主演女優の若杉嘉津子は、はじめ若林須美子の名前で大映「虹男」(1949年)に出演、その才能が開化したのは1953年に新東宝に移籍してから。その2年後に若杉嘉津子と名前を改めてからは、清純なヒロイン、貞淑な人妻と妖婦役のいずれをも演じ分けた人。ちょっとした仕草ひとつとっても、緊張感を持続させ、その後の展開を効果的に見せる芝居となっており、目が離せません。単なる悋気ではなくて、内面が移り変わっていく過程を見せてくれるんですよ。これが、さらに2年後の「東海道四谷怪談」のお岩さんの名演技につながってゆくのです。

 いやあ、この映画は若杉嘉津子はもちろんのこと、その他の脇役に至るまで隙のない完成度を誇る名作です。短縮版ですが、前後でつじつまが合わなくなったり、説明不足と感じさせたりする箇所はありません。

 丹波哲郎が原作にない浪人者を演じて、累、新吉、お久を翻弄するんですが、これもなかなか効果的。私は丹波哲郎という俳優は必ずしも好きではないのですが、なにせ新吉が優柔不断、いかにもな優男ですから、脚本の川内康範も、監督の中川信夫も、この役どころが必要と判断したのでしょう。「東海道四谷怪談」で言えば直助ですよ。



 最後、残された者たちが因果因縁に翻弄された死者を供養しておさまりを付けるのは中川信夫らしい結末です。これ、豊志賀にしても、新吉にしても、根っからの悪人などではなかったという終わらせ方なんですよ。ああ、だから丹波哲郎の悪役、やや大げさに言えばメフィストフェレスの役どころが必要だったんだなと気付かされます。





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 もう1本―

 「怪談累が淵」 (1960年)



 こちらは1960年の大映映画。安田公義監督、犬塚稔の脚本、出演は中田康子、北上弥太朗、浦路陽子、中村鴈治郎(二代目)ほか。

 殺陣のシーンが長いせいか、いかにもな時代劇と見える。豊志賀と新五郎の因縁話を、むしろ悲恋ととらえたstory。ややsentimentalに傾く。


 
以下はTVMから。どれも上記映画と同じく、「宗悦殺し」から「お久殺し」までを描いたもの―

 「怪談累ヶ淵」 (1971年 TVM)



 中川信夫監督による、もうひとつの「怪談累ヶ淵」。1971年に日本テレビ系列で放送された「怪奇十三夜」シリーズの第1話。脚本は宮川一郎、出演は横内正、木村俊恵、執行佐智子、中谷一郎、内藤武敏ほか。

 基本的には「怪談かさねが渕」(1957年)とあまり変わらず。役者の演技指導もほとんど同じだったのでは。豊志賀は怪我ではなく病気で顔面が腫れる。TVM映画並の予算をかけられないのはやむを得ない。原作から持ってきたと思われる台詞も。


 「累ヶ淵」 (1972年 TVM)



 これは1972年にテレビ朝日系で放送された「怪談」シリーズの第6話。監督は窪川健三、脚本が宮川一郎、出演は加賀ちかこ、石山律、御影京子、伊吹吾郎ほか。

 上記中川信夫のTVM版と同じ、宮川一郎による脚本。大きな改変は伊吹吾郎演じる浪人、新吾郎。映画の丹波哲郎と同じ役どころなれど、ここでは最後、因果因縁に関わってくる・・・ちょっと唐突かつ強引ではないか。豊志賀と新吉の因縁だけで十分、というかこれがボケてしまったような気がする。豊志賀の顔面はあくまで腫れ。故にあまり大げさに醜いメイクはしていない。ただし腕の腫れがかなりひどく、新吉がこれに気付くシーンは怪奇味が著しい。あ、それから、新吉も大概な奴です(笑)


 「怪談 累ヶ淵」 (1979年 TVM)



 こちらは1979年に東京12チャンネルで放送された「日本名作怪談劇場」の第1話。監督は監督は倉田準二、脚本が安田公義で、出演は片桐夕子、菅貫太郎、植木絵津子、林与一ほか。

 エロティックな要素を投入しようというコンセプトだった模様。失礼なことを言うつもりではなく、片桐夕子の豊志賀は白塗りでの死の場面、死んでからの亡霊が見事。


(Klingsol)




参考文献

 とくにありません。