106 ロマン主義時代以降の宗教音楽について ロマン主義以降の宗教音楽について考えてみます。本当は「カトリック文学」についてメモをとっていたところ、話が広がってしまって、テーマが逸れてしまったので、「ロマン主義以降の宗教音楽について あるいは宗教嫌いの宗教音楽鑑賞」と題して語ってみます。この機に、自称「宗教嫌い」がヘーキで宗教音楽を聴いている矛盾について、あらためて考えてみました。とくにロマン主義以降の「宗教音楽」についての、「私見」というか、もう、ほとんど妄想の域ですが、どうか広い心でお聞き下さい。 普遍的宗教を―というよりも、特定の宗教を普遍的宗教として、ひとりの人間が受け入れるとはどういうことか、あるいは、受け入れるか否かということはひとつの問題になるのか。論理的に考えれば、地球上のすべての人間は、どこかの国籍に属しているが、これは「たまたま属している」に過ぎない。なので、純粋に論理的に考える限り、これはそもそも問題の立て方に疑問がある。 しかし、6世紀における仏教渡来に際しての物部氏の態度や、16世紀キリシタン伝来時の為政者の反応は、単純なものながら、魂の問題として考えてみると、純粋に論理的に考えてすむことではなさそうに思える。 大戦後、若い作家たちは競うようにしてドストエフスキーを読み、その影響下に身を置いた。しかし、そうした作家たちのなかに、だれもロシア正教に改宗したという人はいない。現代でも、ドストエフスキーに私淑する人は少なからずあろうが、私淑するあまりにギリシア正教に帰依したという話は聞いたことがない。 これを単に文学的影響の話だから、という話ですませていいのかどうか。文学的な影響や文学的な崇拝は、そのドストエフスキーの文学の根底にあるギリシア正教とは無関係なものだと言ってすませてしまって、つまり無視してしまっていいのか。 Фёдор Mихaйлович Достоeвский たとえば遠藤周作や矢代静一、高橋たか子といった人たちはカトリック者として小説を書いている。そして「一般の」読者を獲得している。なかでも遠藤周作などは、一日本人として、罪、自殺、殉教などの神学的難問をテーマに取り上げている。そしてこれを日本的風土の上で解き明かそうとしている。日本的心性にカトリック神学を適合させようとする試みは、おそらく教会側からすれば危険な行為であるはず。そんなことは遠藤周作自身も分かっていたはずなのに、その危険も辞さずに、その追求を続けていた。 では教会の側からではなく、カトリックでない側の日本人から見たら、この遠藤周作の文学的試みはどう映るか。たとえば「沈黙」は日本の小説なのか・・・この小説のテーマが、カトリック神学のなかで、そこに書かれているような解決が承認されるものなのか、という疑問とともに、非カトリックである日本人側からも、この解決を日本人が承認できるのか、という疑問が呈されるはずではないのか。 つまり、遠藤周作は護教的文学者ではない。神学を小説に仕立てて説教しているのではもちろんなく、信仰を獲得したからといって、万事めでたしとはいかず、かえって精神的苦悩は深まっている、それが遠藤周作の文学を形成しているということではないか。これは、その著作に神学的な色彩が強くうかがわれるフランスのカトリック文学者、ジョルジュ・ベルナノスの「悪魔の陽のもとに」でも同じこと。 宗教と文学に関しては、19世紀のヨーロッパ文学と芸術の、キリスト教との関わり方が参考になるかもしれない。 キリスト教の立場に立てば、誰でも知っているアダムとイヴの追放の話があって、神の世界と人間の世界という、ふたつの異質な世界・領域があるという前提が明確に存在する。神の世界は超越的・超経験的な世界であって、人間の世界は経験的な世界。聖と俗、と言ってもいいかもしれない。もっともそれだと単純な対立構造になってしまうので、ここでは、見える世界と見えない世界としてみる。 文学も芸術たるもの、見える世界から見えない世界へと道を通じてゆくものである、という考えがある。まさしくロマン主義がいい例。 しかし宗教芸術だと、その見える部分も宗教的な題材になる。 いったん二元論に立ってみると、近代は聖と俗の、聖がだんだん後退して世界の世俗化が進んでいった時代。18世紀の啓蒙思想然り、18世紀あたりから20世紀にかけて頻発した政治的な革命も、近代の世俗化の象徴と言える。 近代においては、キリスト教の信仰も無傷ではいられなかった。信仰の内部にもこうした世俗化は反映されて、たとえば理神論なども世俗化の兆しであって、宗教改革においておや、聖なる領域が後退しつつあった。もっとも、これには、カトリシズムはあまりにヒエラルキーが確立された、権力体制として完成されてしまっていたという事情もあった(だから、逆にフランチェスコ会のような、清貧で集団生活する人たちが現れた)。 フランス革命の後、カトリックはどうなったか。19世紀に復興運動もあったが、1842年にミシュレが言論の自由を巡ってイエズス会と激しい論戦を繰り広げ、以後のフランス知識人は反教権主義に傾いていった。キェルケゴールなどは、公然と人間の自己疎外を批判して、キリスト教の欺瞞を暴き、教会の堕落を攻撃した。もちろん、これをもって反キリストということではなくて、そこには宗教改革のルターと同じ、真のキリスト者になるためには人間どうあるべきか、という発想があった。とはいえ、現実の教会を批判したことは事実で、当然これは反宗教の立場にも影響を与えた。 世俗化を進めた要因として大きいのは、産業革命とか、科学上の発見とかいったもの。産業革命とは、単純化してしまうと、いろいろな角度から従来の価値観を覆したということ。より重要なのは、科学上の発見。これは教会の伝統的な宇宙観や人間観と真っ向からぶつかるものだった。教会も必死になって反論したが、近代科学の側から、どうしても否定できない事実を突きつけられてしまった。つまり科学的実証主義的な知性からの批判には抗しきれなかった。その立場から鋭いところを突いてきたのが、フランスの宗教史家、エルネスト・ルナンが1862年から1883年にかけて出した論文をまとめた「キリスト教起源史」。 それ以上に、社会主義的な思想からの批判もあった。これは科学的なものとそうでないものとあって、またもともとはカトリック内部の人間、たとえばラムネーからの宗教批判もあった。それでもこのあたりまでは、まだ批判する側にも理想的なキリスト教といった目標があったようで、反宗教とまで言われるようなものではなかったと思われる。 ところがフォイエルバッハになると、もう戦闘的な無神論になっている。1841年の「キリスト教の本質」は、唯物論的な反宗教思想。神が自らに似せて人間を創造したのではない、人間が苦悩や願望の反映として神を創り出したのだ、などと言い出した。このような考え方は当時衝撃的だったと思われるが、以後、宗教批判はこのフォイエルバッハを引き継いでゆくこととなる。 Ludwig Andreas Feuerbach それから先ほども名前の出たキェルケゴール。これは謂わば実存主義的な立場の草分けで、これを引き継いだのがニーチェ。19世紀の時代精神のなかで、「神は死んだ」とするのは、これは無神論というよりも、2,000年近い歴史と伝統を持つキリスト教に支えられてきたヨーロッパの過去と決別・対決する決意にほかならない。ただし、このニーチェのことばは、神学的な問題にとどまるようなちっぽけな問題提起ではなく、哲学をも超えて、文明あるいは社会の問題として捉えなければならないもの。だからこそ、19世紀後半の文学、芸術に大きな影響を与えた。 世俗化などと言うと、一段低いもののように聞こえてしまうかもしれないが、ことばを変えれば民衆の地位が高まっていった、ということ。民衆の意識が高められたということでもある。あるいは、むしろ逆に、聖なるものが相対的にかつての高みから引き下ろされた、と見るべきかもしれない。 じつは、こうした世俗化はキリスト教内部にも反映していて、それが教会芸術、宗教音楽にあらわれているのではないかと思われる。時代で言えばロマン主義以降、ミサ曲のような教会音楽が演奏会用の音楽になっている、それはヨーロッパ的なブルジョワ文明と癒着した形での、キリスト教の世俗化だったのではないか。教会文明の世俗化と言った方がいいかもしれない・・・。 とはいえ、19世紀というのはキリスト教の布教が果てしもなく大きく広がった世紀でもある。それは宗教による世界制覇を目指していたからで、19世紀末のキリスト教徒は世界に9億人とも言われている。当時の世界の人口はどれくらいだったか・・・たぶん15億程度ではないか。だとすると世界の人口の半分以上がキリスト教徒だったということになる。これが、むしろ宗教の世俗化が政治、経済、軍事面での世界支配と連動して、世界宗教としてのキリスト教の規模拡大に寄与したということのあらわれなのではなかったか。 ヨーロッパの宗教、文明の世俗化、「神は死んだ」と言われる状況のなかで、人々はなにを求めるのか。ロマン主義思潮など見ると、かえって見えざるものへの憧憬が、かつての啓蒙思潮の時代よりも高まっていたように思われる。ロマン主義者たちの主観主義、非合理主義が、無限なもの、遠いもの、すなわち見えざるものへの憧れを生んだわけで、これがさらに神秘主義に向かうのは自然な流れというもの。もっと先に進んでしまうと、行き着く先は孤立の意識とか孤絶の意識になって、そこからは実存主義が生じてきそうにさえ思われる。 一方で、孤立・孤独は嫌だ嫌だ、と新たな連帯を求めると、宗教に帰っていく人々もいる。それはキリスト教の場合もあるし、薔薇十字団とか、(正しい意味での)オカルティズムに傾倒していく向きもあった。極端なことを言えば悪魔礼拝だってあり得る、というか、じっさいにあった。つまり、宗教で満たされないが故に美とか芸術に向かう、これも世俗化の一形態だったのではないか。 ロマン主義音楽とカトリックの精神の関係については、19世紀初頭のドイツ人はどちらかというと宗教改革に否定的なところがあって、むしろカトリックの没我的奉仕の象徴としてのイエズス会に好意的だった。しかし、カトリック教会の求めるところに従うには、ロマン主義者であるが故に、もはや主観的人間でありすぎていた。ロマン主義者が欲したのは、あらゆる信仰の結合、愛とか友情の統合だった・・・というか、それだけ。そうして有限から無限の生へと人間を高めること。だから、19世紀にカトリックに帰依したロマン主義者は結構いた。しかし、どうも本当の意味でのカトリック者ではなかったと思われる。 19世紀においても、いくつかの偉大な宗教音楽が書かれている。ベルリオーズ、リスト、それにグノー、サン=サーンス、フランク、フォーレと続いていった。ところが、カトリックの信者は、このなかではグノーとフランクだけ。サン=サーンスとかフォーレはカトリックではない。少なくとも実践的信者ではない。カトリックと言えばモーツアルト、シューベルト、ブルックナー。一方で、メンデルスゾーン、ブラームスはプロテスタント。音楽史を語るのに教会音楽史を無視することはできないし、世俗化の末、演奏会音楽としても成立しているロマン主義作曲家の宗教音楽も無視できない。 ロマン主義になって、かえって18世紀よりも宗教感情は高まったようなところがある。それが一方ではキリスト教の復興、純粋なカトリシズムの復興となっているのかもしれないが、また一方では、非キリスト教化された・・・というのは必ずしも異教的になったという意味ではなくて、何何教という宗派にとらわれない、深い宗教感情の世界に向かったのではないかということ。 たしかに近代以降の科学の進歩はキリスト教とは相容れないものながら、ロマン主義芸術家というのは、むしろその科学に宗教感情を託しているようなところがある。たとえば、電気が発見されたら、それが霊感の元だ、というような、素朴な科学信仰に至る。これも世俗化の一形態なのかもしれない。 社会主義に関してはどうなんだ、という声が聞こえてきそうだが、この場合は社会主義そのものが新しい宗教として信仰されたということ。もちろん、それは反キリスト教。ただし、その実体は既存の体制化されたキリスト教に対するアンチであって、信仰している当人たちにしてみれば、脱キリスト教、そうして新しいキリスト教を求めたということだったのではないか。 ロマン主義だから、家系とかあらかじめ用意された体制に従うよりも、個人的な心の持ちようの方が優先される。そうして意識的にも無意識的にも宗教感情を託するものを新たに求めた・・・。18世紀は百科全書なんかを作って、理性万能主義だから、理性で神も理屈で割り切れるようにつじつまをつけていた。しかし19世紀になると、逆に割り切れないもの、非合理なものの世界を重視するようになった、つまりそれがロマン主義者。 ドイツではどちらかというと、宗教感情めいたものが自然感情に結びついたが、その頃に現れた巨人がRichard Wagner。ワーグナーは宗教感情を教会音楽を離れて表現し得た作曲家としてまさに革命的な作曲家だった。ワーグナーは、音楽はイデアの諸段階で言うところの「意志それ自体の模写」であって、鑑賞する側が、思想などというものを超えた純粋な認識主観となっているというショーペンハウアーの思想に影響を受けた。しかし、シュライエルマッハーだって、「宗教は人間の行為に伴う音楽であり、音楽とは宗教にほかならない」と言っている。つまり、最終的にあらゆる芸術は音楽に結びつくと―これは後々サンボリスムにつながっていく・・・というのはまた別な話ながら、ワーグナー以前に下地はあったわけ。 おかげでドイツ音楽は全宇宙観と結びつくような方向へ行った、とくに後期ロマン主義、マーラーの交響曲第8番などはいい例。ワーグナーに話を戻すと、その作品、たとえば"Parsifal"には、キリスト教で満足できない宗教感情をも共感させるようなところがある、それがワーグナーの呪縛であり熱狂の正体なのかもしれない。 Wilhelm Richard Wagner おもしろいのはリストで、自身坊さんになって、それなりの地位にまでついており、「未来の教会音楽について」なんてエッセイまで書いているくせに、これがまたカトリシズムに収まりきらないところがあって、新しい芸術のことを「人道主義の音楽」なんて名付けている。それは祈りに満ちて激しく、劇場と教会を壮大な規模で結びつけるもので、壮麗にして素朴、儀式的にして真摯、情熱的で伸びやか、嵐のようで静謐、透明でなおかつ情緒にあふれている、と・・・もう、ワーグナーのことを言っているとしか思えない(笑) Franz Liszt 絵画の場合、ドラクロワのように相変わらず教会のために絵を描いている人もいれば、マネのようにキリストの絵を宗教画としてではなく、展覧会に出品するために描く人も出てきた。それでも絵画には写実主義・自然主義という道があった。ところが、音楽はもともと目に見えないもので、実証主義という道がない(実証主義にはなり得ない)から、非キリスト教化された宗教感情が逃げ場を求めるように(たとえばワーグナーの影響を受けるという形で)雪崩れ込んでいったのではないか。 一方、文学の範疇では、宗教的感情の高揚というのは、超越的価値とか絶対的価値を求める感情と結びついていったように思われる。ヘーゲルはキリスト教の精神史に関して、キリスト教は神の存在を合理的理性的に説明できないのだからと、世界精神の問題として捉えようとした。ニーチェはこれを受けて・・・というわけでもないかもしれないが、ムカシは個人の生を統括するものとして神があったけれど、その神はもうなくなった、それで個人の生は根拠を失って宙に浮いてしまった、とした。だから、ニーチェ以降は、キリスト教の神がいなくなったらどうするんだ、という道を模索する時代になった。 ニーチェ自身は超人思想に行き着いたが、これはあまり同時代の人たちには響かなかったようで、しばらくは「もう、神は死んだんだぜ、どうする?」と、模索が続くことになった。それでロマン主義はオカルティズムとか異端邪宗めいたものに流れたり、異端邪宗でないまでも、神秘主義に魅惑されるような人も出てきた。ネルヴァルなんていい例。ロマン主義者は生の根拠、すなわちなんらかの精神的価値を求めていた。 Friedrich Wilhelm Nietzsche 考えてみれば、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」、ベルリオーズの「レクイエム」、ヴェルディの「レクイエム」など、いずれも神と人間との間に新たな緊張関係を作っているようなところがある。ベルリオーズとかヴェルディだと、仰々しく大騒ぎしていて、その分信仰の深さが足りないんじゃないか、と言われたり、ヴェルディの「レクイエム」なら、オペラの「青白い亡霊」だ、なんて言われてきた。しかしそこにも、リストが(たぶん、仕方なく)人道主義なんて名付けざるを得なかった宗教「的」には違いない、ある種の感情があったのではないか。そのはじまりが、じつは音楽の自立性を追求したベートーヴェンの作品で言うなら、「ミサ・ソレムニス」に、既にあったのではないか(もしかしたら、モーツアルトが「レクイエム」を未完のまま遺して、ジュスマイヤーの補筆がレクイエムの定型を踏み外したときに、図らずも宗教音楽の自立性がはじまっていたのかもしれない)。 Ludwig van Beethoven 繰り返しになるが、これはやはり、ニーチェの「神は死んだ」が大きかったんじゃないか。絶対的なものが絶対的に欠如している世界になってしまった、欠如していることが了解事項になってしまったんだから。ボードレールなんか、神はフィクションだ、いまさら神を否定したところではじまらない、なんてことを言っている、つまりいなくなっていることはもうはっきりしているじゃないか、と。 それでも(キリスト教に代わる)絶対者探しをしないではいられないのが宗教感情というもので、これを言い換えれば精神的価値の拠り所を探すということ。世紀末のサンボリスムはそのひとつの方法だし、神秘思想も同様、なにかが「ある」と考えたいということ。とくに神秘思想には、ニーチェの超人思想を別な形で受け継いでいるようなところがないでもない。わかりやすい例を挙げれば、コリン・ウィルソンなんかがそうです。 ロマン主義以降、教会音楽は、ことばは悪いが、一種の道具のようなものになった。しかし、その安定性はもう揺らいでしまって、作曲家の方も世俗化して―ということは、王侯貴族のお抱え音楽士ではないということで、社会に作曲家という地位を築いてしまった。なので、教会音楽という枠組みはもう必要ない。3人の我が子のために「スターバト・マーテル」を作曲もするし(ドヴォルザーク)、民族主義を歌い上げるのに「ミサ」と名付けて作曲もするし(ヤナーチェク)、ニーチェの詩を歌うのにも、やはり「ミサ」と名付ける(ディーリアス)ということが可能になったわけですよ。 私の宗教感情 ゴシック建築への興味を、カトリックに対する関心から抱いた人というのはどれくらいいるのでしょうか。多くの人は、ギリシアの神殿や奈良の寺院に対するのと同様な、純粋に建築様式に対する関心ではないのか。だとすれば、それは女性の裸体に対して抱くそれと、たいして違いがあるものではないでしょう。 多くの人が多少とも「宗教的感情」を抱くのは、身内の不幸とか、健康状態が悪化したときではないのか。人によっては貧困が「宗教的感情」を惹起することもあるかもしれない。すなわち、精神的に、あるいは肉体的に不快な状態が一定期間続いたとき。しかしその「宗教的感情」は、ことばであらわせば仏教用語やキリスト教の用語が使われるかもしれないが、感情そのものは既成の宗教にとらわれているとは思えません。「宗教的感情」は、仏教・神学のいずれの「理論」でもない、それでいて超越者への祈りではあるのです。 個人的には、私の日々の行為に関して善悪の判断を下したり、賞罰を与えたりする存在など想像もつきません。善悪も、道徳も、一社会にのみにしか通用しない、相対的なものです。たとえば我が国の戦国時代なら、権勢の維持のためには一族を増やさなければならない、それには一夫多妻は当然のこと。敵将の親族を閨房に入れることも政治的な必要から。織田信長の男色だって、家来に寝首を掻かれないための必要から行われていたことではなかったか。信長といえば、キリスト教を拒否した理由に、自殺の禁止がありました。全軍の将士の生命を預かる立場にある者が、いざとなれば切腹して部下たちの生命を救わなければならない、その覚悟をはじめから逃げてしまうような卑怯者に、部下たちがついてくるはずもないから。織田信長という人物の判断としては、これが正しい。だから、善悪も道徳も、一時代の一社会のみにしか通用しない、相対的なものなのです。 それなのに、キリスト教は一夫一婦制を絶対として、一方で回教は一夫多妻を認めている。いずれも一神教であるのにもかかわらず。たまたまキリスト教徒や回教の例を挙げたけれど、地球上にいったいどれだけの一神教があることやら。でもね、その矛盾を簡単に解決できる解釈があるんですよ。つまりキリスト教も回教も、原始信仰も、マルクス主義も、世界宗教史の一段階であるという解釈です。私はそのように捉えています。たしかに世界には神秘の領域と物質の領域がある。歴史上の既成宗教はそのいずれに軸足を置いているか、いずれに、より重点を置いているか、その重点のかけかたの程度によって、相違が生じているに過ぎないのです。キリスト教は圧倒的に神秘の領域に重点を置いて、物質の領域にはあまり注意を払っていない。だから、キリスト教徒はユダヤ人を虐殺して、世界大戦という人類未曾有の危機的な状況において、なんの役にも立たなかった。マルクスはほとんど完全に物質的領域に立っており、審美の領域に関しては盲目も同然でした。 最近同性婚の問題が取り沙汰されていますが、結婚などというものは一地域の一時代の習俗でしかない。結局、遺産相続だとかその他モロモロの法律によって与えられたり奪われたりする権利・義務があるために、問題とされているに過ぎないのです。単純に、パートナーを選ぶ権利の問題であるならば、異性であろうが同性であろうが、犬猫であろうが狐狸妖怪の類いであろうが、なにも問題はないはず。なんなら、二次元だってかまいませんよ。愛という人間的「衝動」に対して、結婚制度とか宗教的戒律が介入することがそもそも間違っている、というのが私の考えです。だいいち離婚を禁じているカトリック国ではその裏で堂々と不倫が横行している。これは、不倫が道徳的にどうなのかという問題ではなく、離婚の禁止が偽善的で滑稽な上っ面だけの禁止事項になっているということです。歴代のローマ法王だって、いったいだれが厳格な神学的・宗教的戒律に従っていたか・・・その時代の趨勢に従って生きていたことは多くの史書によってよく知られていることです。 現代の日本人は、生誕を氏神に告げて、結婚式を教会で挙げ、葬儀を寺院で行って、なんら怪しむところがない。お盆だのクリスマスだのハロウィンだのと、一年の年中行事はさまざまな世界中の宗教の見本市の観を呈しています。それでいて、遠い祖先の原始宗教も忘れてはいない。ここでひと言しておくと、原始宗教、すなわちギリシアの神々やドルイド教の神というのは、我が国の原始宗教と同じく、いつの時代になっても、多くの人々の魂の深層に生き残り続けるのではないでしょうか。それは神学的に組織されたものではない素朴さに、ある種の「美しさ」「純粋さ」を認めることができるからです。 さて、それでは私には「宗教的感情」はありえないか。もっと寛大で広大な「超越者」に至る道はないのか・・・そんな私にヒントを授けてくれたのが、ほかならぬ20世紀の文学者、マルセル・プルーストです。 Valentin Louis Georges Eugene Marcel Proust (Hoffmann) |