105 「世界宗教史」 全8巻 ミルチア・エリアーデ 中村恭子、松村一男、島田裕巳ほか訳 ちくま学芸文庫




 厳密に言えば歴史書(史書)とは言えないかもしれませんが、テーマを絞った歴史関連ということでもうひとつ、前回とは趣向を変えて選んでみました。

 ちくま学芸文庫で全八巻のミルチア・エリアーデによる「世界宗教史」です。エリアーデといえばルーマニア生まれの、とくにフランス語の著書によって広く知られた宗教学者。その一方で、母国語で小説も書いています。

 「世界宗教史」は人類誕生以来から現代に至るまでのさまざまな宗教現象に、ひとつの共通性を発見しようという壮大な目的によって書かれたもので、その根底にあるものは、著者の「普遍的人間」探究への情熱です。さまざまな思想を多くの大河の流れに例えれば、エリアーデの仕事はそれをひとつの普遍的な大洋に流れ入ったものとして、学問的論理的に再構成しようとするものでしょう。

 目次に見ると、じつに綿密で総括的な歴史書です。ここで言う「世界」というのも、よくあるような西欧社会中心主義ではなく、インドはもちろんのこと、中国や日本の宗教及び芸能に対する幅広い知識が含まれていることがわかります。もともとは宗教史を学ぶ人々のために書かれた専門書で、各巻末にはあらゆる学説の参考書目が網羅的に挙げられています。しかしその叙述は平易で明快。説得力もあって、なによりおもしろい。残念なのは著者が病に倒れて、近代の部が未完に終わったこと。愛弟子で後を託されたヨアン・P・クリスチーヌもまた作業半ばにして不慮の死を遂げ、ちくま学芸文庫版でいうと、第7巻「諸世界の邂逅から現代まで」(上)と第8巻「同」(下)はエリアーデ原案を、出版元ヘルダー社が著名な宗教学者や民族学者の協力を得て完成させたものです。


Mircea Eliade

 そもそも、歴史を俯瞰してこれについて語る、という行為の目的はなんでしょうか。これは「人間の全体像の把握」を目指すことと言っていいでしょう。それは、「いかなる時代にあっても、つねに変わらぬ人間の本質を見よう」とする態度の表明です。この信念と態度こそが、まさしくエリアーデ自身の、「世界宗教史」を著すにあたっての目的と一致するものなのです。

 もっとも、こうした信念は、世界が連続的に成長・発展するという連続性を盲目的に信じているということでもあります。それは世界史の一ページを、一ページとしてではなく、普遍的な一貫する流れのなかに捉えようとする姿勢であるとも言えます。そうした姿勢は、先の第二次世界大戦により、さらにはその結果としての世界の再編成の動きのなかでの、国家とか国際主義とかの多様化の現代において、より切実に求められているのではないでしょうか。

 たとえば、近頃「○○の文化史」と銘打った本をよく見かけますが、それは概ねなにかしらのテーマに沿って、その時代、その民族の生活における意味を問い、ほかの時代、ほかの民族と比較しながら考察していく著作にしばしば掲げられた表題です。なので、無味乾燥な時代の配列からは解放されており、それが読者にとってはおもしろく、また考える愉しみへの導きともなっているのです。もちろんエリアーデの「世界宗教史」にしても、「史」と銘打ったところで年代史ではなく、文化の類別的・体系的叙述であることは当然です。


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「世界宗教史」 全8巻 ミルチア・エリアーデ 中村恭子、松村一男、島田裕巳ほか訳 ちくま学芸文庫




Diskussion

Hoffmann:エリアーデはいいね、というか重要な文献だ。

Klingsol:いまでは批判もあるけれど、それは影響力の強さ故だ。やっぱり、J・G・フレーザーとともに基本だよね。


Kundry:「○○の文化史」といえば、Parsifalさんはこれまでに、アラン・コルバンの「草のみずみずしさ 感情と自然の文化史」(藤原書店)とローレンス・ライトの「暖房の文化史 火を手なずける知恵と工夫」(八坂書房)の2冊を取り上げられましたね。Klingsolさんも平林章仁の「鹿と鳥の文化史 古代日本の儀礼と呪術」(白水社)とか・・・。

Klingsol:サルトルの「嘔吐」で参考文献で挙げた本に「メランコリーの文化史 古代ギリシアから現代精神医学へ」(講談社選書メチエ)もあった。

Parsifal:取り上げたことなはいけれど、ほかに、ジュールズ・キャシュフォードというひとの「月の文化史 神話・伝説・イメージ」(柊風舎)という上下2巻本を持っているよ。

Klingsol:我が家にも「豆腐の文化史」(岩波新書)という本があったな。

Hoffmann:ウチには「体位の文化史」、「お尻とその穴の文化史」(いずれも作品社)なんて本もある(笑)

Kundry:「文化史」だらけですね。

Hoffmann:歴史というものの切り口が多彩になってきたのか、それとも現代人のfetishな嗜好のあらわれなのか・・・。

Parsifal:「文化史」もいいけれど、これだけ出されると、ときにはハードな歴史本も読みたくなるよね。

Klingsol:前回のカエサルとか、今回のエリアーデはいい選択だね。ここから関心が広がっていくということもあるだろうし。