136 ナチス党歌「旗を高く掲げよ!」とファシスト党歌「ジョヴィネッツァ」




 ナチス党歌「旗を高く掲げよ!」

 1928年3月31日、5月20日に国会選挙が行われることとなり、これがナチ党にとって重要な政治課題となります。4月20日に誕生日を迎えたヒトラーは39歳。ゲッベルスは論説、チラシ、ポスターを書いて演説。ついでに外務大臣シュトレーゼマンの演説を妨害。

 ゲッベルスは「われわれが国会に入るのは、民主主義の兵器庫の中で民主主義自身の武器をわれわれのものとするためである。・・・われわれが六〇名ないし七〇名の扇動家や組織家を議会に送り込むことに成功すれば、国家自体がわれわれの闘争に必要な装備を供給し、資金を支弁してくれることになるだろう」と書いています。いいですか、ナチスだってなんだって、民主主義の名の下に成立した政権なんですよ。

 それはともかく、このときの選挙結果は表面的には左翼の勝利、中道諸政党の退潮、ナチ党は伸び悩み。しかし中道不振は政局安定の基板を掘り崩す要因となって、2年後のナチ党の10倍増の勝利を導くことになります。とはいえ、この時点では未だだれもその予兆を感じ取ってはいませんでした。

 ゲッベルスにとっての今後の目標は、左翼に奪われた労働者(票)をナチ党側に籠絡すること。突撃隊は突撃隊で、ベルリンなどで共産党の集会を襲うなどして衝突、これもまたゲッベルスの悩みの種。幸い農村部では共産党に対する拒絶反応が強いので、都市中心の戦略を農村に重点を移すなどしています。

 そして1929年9月23日、共産党員と衝突、流血の惨事。この日、突撃隊員ホルスト・ヴェッセルが3月末に書いた歌がナチ党機関誌に掲載されました、旋律は共産党の歌集からとったものなんですが、そもそもその共産党の歌集が寄せ集めなので、由来はもっと古いものらしい。はじめて歌われたのは1929年5月26日でしたが、たいした反響もなくて忘れられかけていたもの。これが「旗を高く掲げよ!」"Die Fahne hoch!"、別名「ホルスト・ヴェッセルの歌」"Horst-Wessel-Lied"で、後にナチ党すなわち国民社会主義ドイツ労働者党の党歌となるものです。

 ホルスト・ヴェッセルHorst Wesselは牧師の息子。ベルリンで法律を学んでいたのですが、ナチ突撃隊に身を投じ、評判の悪い安酒場に入り浸って自堕落な生活を送っていました。その意味では、当時のドイツの若者に多かった、ブルジョワ嫌悪から過激右派に向かった典型的な例です。やがて突撃隊第5戦闘団の中隊長となって、売春婦と同棲、一節によると婚約したとも言われています。もともとは、ワンダーフォーゲルなどの青年運動ふうの歌を書いていたところ、これが突撃隊に影響、旋律は民衆大道演歌調のものから兵士の行軍歌ふうのものに変えられていった。ヴェッセル姉妹によれば、この歌はマルキシズムに対抗する意志から生まれたものであったそうで、そのあたりはゲッベルスの姿勢と共通するものがあったわけです。

 そのヴェッセルが銃撃されたのが1930年1月14日。場所は同棲していた娼婦の部屋。銃撃したのはドイツ共産党の軍事部門である赤色戦線戦士同盟のメンバー、アルブレヒト・ヘーラーとされており、ヴェッセルが2月23日に病院で死亡。ヘーラーは窃盗、ひもの前科があって、部屋代のトラブルから家主であった未亡人から部屋の明け渡しの助力を求められ、しかし部屋に押し入るなりいきなり銃を乱射したと言われています。つまり、ゴロツキ同士の抗争とさして変わらぬもの。


左Horst Ludwig Georg Erich Wessel、右Albrecht Hoehler

 ところがこのチャンスを逃さないのがゲッベルス。じつは、ゲッベルスはこの事件の少し前にも、酔っ払った末運河で死体で発見されたナチ党員を、殉教者に仕立て上げるキャンペーンを展開して失敗したばかり。事件直後は、ヴェッセルは病院でまだ小康状態で生きていたのですが、2月23日に死んでくれた。これでゲッベルスはまんまとヴェッセルをナチス運動の殉教者とすることに成功します。

 おもしろいことに、ヒトラー自身はこれがナチ宣伝部最大の成果になるとは予想もしていなかったらしいのですね。無名の突撃隊員のありふれた死だと―。しかし、当の娼婦の部屋の家主が共産党本部に呼ばれて、この事件を娼婦のひも同士のもめ事だと説明された、というか、決めつけられた。共産党にしてみればあらかじめ手を打っておいたつもりなんでしょうけれど、これがかえって逆宣伝となってしまい、ゲッベルスによる「ホルスト・ヴェッセル殉教伝説」が広まってしまったようなのです。なので、この伝説をナチと共産党の合作であるとする人もいるくらい。

 ともあれ、ゲッベルスは彼を「国家社会主義者のキリスト」と讃えるキャンペーンを行い、ヴェッセルの歌は一躍注目されることとなって、党員の間で歌われるようになります。ナチ党がヴェッセルの盛大な葬儀を行うと、突撃隊員や参加者はこの歌を合唱。ゲーリングの回想によると、この時ゲッベルスは「これだ、これだ」とつぶやきつづけていたということです。そして、この歌はナチ党の党歌として採用されることに。当時、ナチ党は数多くの党歌を採用していたのですが、もっとも有名なのはこのホルスト・ヴェッセルの歌です。正確に言えば、ホルスト・ヴェッセルは作詞者ということになります。


ホルスト・ヴェッセルの墓に集まったヒトラーらナチ党幹部(1933年1月22日)

 歌詞はWikipediaに従えば以下のとおり―

Die Fahne hoch!
Die Reihen fest (/dicht, sind) geschlossen!
SA marschiert
Mit ruhig (/mutig) festem Schritt
|: Kam'raden, die Rotfront und Reaktion erschossen,
Marschier'n im Geist
In unser'n Reihen mit

旗を高く掲げよ!
隊列は固く結ばれた!
突撃隊(SA)は不動の心で、確かな歩調で行進する
(繰り返し)
赤色戦線と反動が撃ち殺した戦友たち、
その英霊は我らの隊列とともに行進する

Die Strase frei
Den braunen Bataillonen
Die Strase frei
Dem Sturmabteilungsmann!
|: Es schau'n aufs Hakenkreuz voll Hoffnung schon Millionen
Der Tag fur (/der) Freiheit
Und fur Brot bricht an

褐色の衣を纏った軍勢に道を空けよ!
突撃隊員に道を開けよ!
(繰り返し)
何百万もの人々が、期待に満ちて鉤十字を仰ぎ見る
自由とパンのための日が明けるのだ

Zum letzten Mal
Wird Sturmalarm (Sturmappell) geblasen!
Zum Kampfe steh’n
Wir alle schon bereit!
|: Schon (Bald) flattern Hitlerfahnen uber allen Strasen (uber Barrikaden)
Die Knechtschaft dauert
Nur noch kurze Zeit!

遂に突撃信号(突撃ラッパ)が吹きならされる!
我々は皆、既に戦いの準備を整えている!
(繰り返し)
既に(間もなく)ヒトラーの旗がすべての街路(バリケード)の上に翻る
奴隷状態が続くのも、後もう少しだ!

(最後にもう一度 1 番を歌う)

 Wikipediaの日本語訳は意訳なので、わずかに手を入れました。最後の「奴隷状態が続く」"Die Knechtschaft dauert"というのは、ヴェルサイユ条約の屈辱を指しているものと思われますので、意訳するなら「解放の日は間近だ!」「屈辱の日々もあとわずか(で終わる)!」などとするといいかもしれません。


 ファシスト党歌「ジョヴィネッツァ」

 ナチス・ドイツに「ホルスト・ヴェッセルの歌」あれば、イタリアには「ジョヴィネッツァ」あり。

 「ジョヴィネッツァ」"Giovinezza"はイタリア語で「青春」という意味。イタリア国家ファシスト党、政権、軍隊の公式賛歌であり、1924年から1943年の間、イタリア王国の非公式の国歌でもありました。現代におけるimageとしては、ファシスト運動のテーマ音楽と言っていいでしょう。

 そもそもは、弁護士で作曲家のジュゼッペ・ブランが1909年に「イル・コミアート」(「別れ」)という音楽として作曲。第一次世界大戦中にはイタリア軍の間で「アルディティの賛歌」として歌われてます。じつはversionがいくつかあって、マルチェロ・マンニの歌詞、サルヴァトール・ゴッタによる歌詞、さらに1943年版の歌詞。何通りもあるのでここでは記載を省略します。

 1930年代にはイタリア軍の公式国歌とされており、スポーツイベント、映画、その他の公共の集会で「ほんのわずかな口実で」演奏され、「ジョヴィネッツァ」が演奏されているときには帽子を脱いで敬意を示さなければ、たとえ外国人であっても、黒シャツの警官に暴行されたと言われています。

 これを演奏することをあくまで拒み続けたのが指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニです。1922年のミラノでも、その後バイロイトでも、「ジョヴィネッツァ」の演奏を拒否して、ヨーロッパ中の反ファシストから称賛されました。ムッソリーニが、スカラ座から招待されていたにもかかわらず、1926年4月26日のプッチーニの「トゥーランドット」の初演に出席しなかったのは、当日の指揮者トスカニーニが公演前に「ジョヴィネッツァ」を演奏することを拒否したためだと言われています。つまり、相手がトスカニーニともなるとうっかり手出しもできないので、あえて衝突を避けたのではないかということ。その後トスカニーニは1931年5月のボローニャでのコンサートで「ジョヴィネッツァ」の指揮を拒否し、黒シャツの一団から暴行を受けて、イタリアを離れることになります。


Arturo Toscanini

 それでは私が持っているSP盤を―

行進曲「旗を掲げて」ナチス黨歌 ※曲名はレーベルママ
行進曲「ジョビネッツァ」フアシスト黨歌
カール・ヴォイチャツハ指揮 テレフンケン大吹奏樂団
NIPPON TELEFUNKEN 30601 (10inch SP)


 いずれも歌は入っておらず、行進曲調に編曲・演奏されたもの。演奏はLPやCDでも復刻盤が出ているカール・ヴォイチャハの指揮による吹奏楽演奏。今回はSP用カートリッジではなく、手巻き蓄音機で聴きました。

 たいして名曲だとも思いませんが、行進曲調に演奏されているせいか、それなりに気分を高揚させるような音楽ではあります。こう言ったからって、あまり目くじらを立てないで下さいよ。「軍艦マーチ」だって聴けば案外と景気のいい気分になってしまうものですからね。歌詞はいかにもナチス台頭期のもの。楽譜を見れば分かることですが、いかにも単純で、歌いやすい。

 「ジョヴィネッツア」はなるほどイタリアの音楽ですが、旋律は前半がいまひとつ冴えない。とはいえ、ナチス党歌の後に聴くと、イタリア語というのは音楽を付けて歌うのに、適性のある言語だと思えます。なお、「ジョヴィネッツア」については、イタリアのテノール歌手、ジョヴァンニ・マルティネリGiovannni Martinelliが歌ったSP盤も持っており、今回これも聴きました(日本Victor 6581)。

 「旗を掲げて」は、先日「映画を観る」で取り上げたレニ・リーフェンシュタールの「意志の勝利」とヴィスコンティの「地獄に墜ちた勇者ども」でも聴くことができます。「意志の勝利」では、最後の閉会式の場面で合唱されており、「地獄に墜ちた勇者ども」では、粛清前夜の突撃隊によって歌われています。


「意志の勝利」 "Triumph des Willens" (1934年 独)から―


「地獄に堕ちた勇者ども」 "La caduta degli dei" (1969年 伊・独・瑞)から―


(Hoffmann)



引用文献・参考文献

「ゲッベルス メディア時代の政治宣伝」 平井正 中公新書
https://amzn.to/4caePZp