141 ワーグナーの影響を受けた作曲家たち その1 バイロイトで「トリスタンとイゾルデ」をはじめて聴いたギョーム・ルクーは、興奮のあまり公演中に気絶して運び出された。ウージェーヌ・イザイはその「恍惚境」から覚めないようにと、脱いだ靴を日常性の象徴であると考えて、火の中に投げ込んでしまった。「私の世代で『トリスタン』が心に刻まれなかった者があるだろうか」と言ったのはパブロ・カザルス。いうまでもなく、ボードレールやヴィリエ・ド・リラダンも熱狂して、ニーチェやクローデルはその陶酔から逃れようとして解毒剤を求めた・・・。 影響というものは、肯定もあれば否定(反=アンチ)もあります。ワーグナーが後世に及ぼした影響は、たいがい肯定か否定を選ばざるを得なくなっているところにその大きさがあらわれています。中立を保った作曲家が少ないんですよ。いま、上に名前を挙げたのだって、作曲家とか音楽家ばかりではない、文学者もいます。ワーグナーは音楽史上の巨人であるばかりではなく、あらゆる芸術分野に文化現象を引き起こした巨大な人物であったのです。 ニーチェがワーグナーに対抗して、地中海的な明朗さがその対極にあるとしたビゼーの歌劇「カルメン」。これだってワーグナー風のライトモチーフを取り入れています。ニーチェはワーグナーがビゼーを攻撃したと言っていますが、じっさいのところ、ワーグナーはウィーンで「カルメン」を聴いて、「フランス人は今日才能をもった唯一の国民」だと言っているばかりか、第一幕のホセとミカエラの二重唱を好んでいたそうです。どうも、「対立」というものは、第三者がそのように扱いたくて勝手なことを言って煽っているというケースが少なくないようですね。 ワーグナーの影響といえばブルックナーを思い浮かべる人も多いでしょう。リンツで「タンホイザー」を知り、1865年の「トリスタンとイゾルデ」の初演時にはミュンヘンまで赴き、ワーグナーに会っています。その後交響曲第2番と第3番の草稿を持参して、ワーグラーに選んでもらった第3番を献呈したのはよく知られているところ。この作品にはワーグナーからの引用があって、しかしブルックナーはその後その箇所を削っています。ワーグナーはもちろん悪い気はしなかったようで、ブルックナーのことを「ベートーヴェンに迫る人」と評価しました。もっともそのおかげで、ブルックナーはハンスリックやブラームスから反感を買うことになってしまいました。 影響ばかりでなく、個人的にも親しかったのはフランツ・リスト。その交響詩は「前奏曲」以外はあまり演奏されることもありませんが、ワーグナー風のライトモチーフが用いられています。一方で、ワーグナーはリストの「ファウスト交響曲」のファウストの主題を「ワルキューレ」の第二幕で引用している。 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」で有名なフンパーディンクはバイロイトで「パルジファル」の一部を手伝っているほど。「ヘンゼルとグレーテル」なんていうと、いかにもメルヒェン、お伽噺というimageを持たれてしまうかも知れませんが、ワーグナーの没後、音楽界はヴェリズモ(写実主義)オペラ一辺倒の時代になっていたことをお忘れなく。フンパーディンクも冗談で、このオペラのことを「子供部屋神聖祝典劇」"Kinderstubenweihfestspiel"と言っています。魔女が箒に乗って飛び回るシーンなどは「ワルキューレの騎行」ですよ。 リヒャルト・シュトラウスはホルン奏者であった父親が反ワーグナー派でしたが、16歳の時にハンス・フォン・ビューローと知り合って、2年後に「パルジファル」の初演に接した。4年後の2度目のバイロイト詣ででは「トリスタンとイゾルデ」に熱狂して、「パルジファル」の稽古ピアノまで買って出たほど。その成果が「サロメ」であり、「エレクトラ」。いずれも組織的なライトモチーフを使用して、半音階的な和声と進行は、歌手も聴衆も、あらかじめワーグナーの音楽に馴染んでいることを期待して書かれています。 1882年の「パルジファル」初演に接したといえばグスタフ・マーラーもそのひとり。その後ウィーン国立歌劇場の指揮者としてワーグナーをノーカットで上演。ブルックナー同様、交響曲がその作品の中心ながら、歌唱を伴う劇的な世界を展開しています。それでも絶対音楽に踏みとどまったのが、リヒャルト・シュトラウスとは異なるところ。 ワーグナーの朗唱法をドイツ・リートに取り入れたのがフーゴー・ヴォルフ。歌詞をゲーテやメーリケ、アイヒェンドルフと、すぐれた文学作品にのみ求めるところも、音楽の自立よりもことばを重視しつつドラマとの融合を目指したということ。 Guillaume Lekeu、Richard Georg Strauss、Joseph Anton Bruckner、Engelbert Humperdinck さて、discをいくつか・・・と思ったんですが、ギョーム・ルクーもR・シュトラウスの「サロメ」「エレクトラ」も既に取り上げていましたね。参照先は以下のとおり― 「059 ギョーム・ルクーの作品とdisc」 「061 R・シュトラウス 歌劇『サロメ』」 「062 R・シュトラウス 歌劇『エレクトラ』」 ブルックナーの交響曲第3番なら、1873年の第一稿ということで― ブルックナー:交響曲第3番(1973年第一稿) エリアフ・インバル指揮 フランクフルト放送交響楽団 1982 TELDEC 8.42922 (CD) 3番はわりあい好きな作品なんですが、CDはあまり持っていないため、我が家にある第一稿はこれだけ・・・かな? どちらかというと客観的な演奏。第一稿にこだわらなければ、チェリビダッケ指揮する南西ドイツ放送交響楽団のCDが好きです。ミヒャエル・ギーレンもいいな。 フンパーディンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」ならこれ― フンパーディンク:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」 A.ローテンベルガー、I.ゼーフリート、G.ホフマン、E.ヘンゲン、W.ベリー、L.マイクル アンドレ・クリュイタンス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン少年合唱団 1963.12.13-14, 16-19, 1964.3.18-19, 23-26 独Electrola 1C163-00792/93 (2LP) 上記レコード番号はレーベルによるもの。箱には"C063-00792/93"と表記されている。学生時代に入手した国内盤も持っています。 この作品に関しては、このひと組があれば十分です。指揮、オーケストラともにいいんですが、歌手もよくこれだけ達者な人たちが揃ったものです。この歌手たちを「古い」と感じるか、「歌手最良の時代」と感じるか、もちろん私は後者。良質なstereo録音。 (Hoffmann) |