183 チャイコフスキーのバレエ音楽




 チャイコフスキーの三大バレエといえば「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」ですね。じつはそれ以前に「ゾリューシュカ」(シンデレラ)という作品にも着手していたんですが、これは未完のまま放棄されており、「雪娘」は多くの舞曲を含んだ構成ながら音楽劇であって、バレエとは言い難い。なので、チャイコフスキーによる純然たるバレエ音楽は、上記の三大バレエであるということになります。旋律は優美、時に絢爛豪華、叙情的にして情緒的、ロマンティックというよりも感傷的、故にこそ人気の高い音楽になっています。

 台本は幻想的な伝説や童話。その登場人物には個性的な性格が与えられ、巧みな情景描写によって、各場面が有機的に連鎖して、全曲をクライマックスに向かって変化・発展させていきます。

 どうもバレエというジャンルはオペラとともに実入りがよかったようですね。つまり、経済的に安定した収入を得ることができた。やっぱり、オペラとバレエは大衆娯楽ですからね。当時のモスクワの帝室ボリショイ劇場の監督官ベキチェフがチャイコフスキーの才能を高く買っており、「白鳥の湖」の作曲を依頼したのがきっかけになった模様です。ちなみに「眠れる森の美女」と「くるみ割り人形」はフォン・メック夫人の援助を受けるようになっていた時期に、帝室マリンスキー劇場の監督官ウセヴォロジュスキーの経営意図を反映させて完成させたもの。それまでの、踊り手たちが演技の出来映えを誇示する通俗的な伴奏にすぎなかった職人作曲家たちはたちまち追い落とされてしまいました。チャイコフスキーは、ただただ踊り手にリズムを提供するだけの装飾的音楽ではなく、あくまで筋立てに音楽を引き入れて、舞踏や演劇と同等以上に対応できるような音楽を作曲したのです。

 思えば、交響曲にだってワルツを導入して、舞曲に至ってはその多くの作品の随所に配されているチャイコフスキーですからね、各国の民俗舞踏・舞曲への幅広い関心を有していたことは間違いありません。

 もちろんバレエ音楽ですから、じっさいのバレエの舞台を観るに如くはない・・・? いや、ところがじっさいの公演ではチャイコフスキーが完成させた音楽をそのまま使用するのではなく、カットしたり配置を入れ替えたり、場合によっては編曲されていたり、他人の作品が挿入されてしまっていたりすることも少なくないんですよ。演出によっては劇の筋立てが変わってしまうことさえある。とくにヒドいのが「白鳥の湖」。

 だから、チャイコフスキーのバレエ音楽をチャイコフスキーが意図したとおりのままに聴こうとするならば、全曲録音のdisc、原典版によるものの方がふさわしいということになります。いやあ、それでは組曲版は駄目なのかというと、原典にこだわるならばそのとおり。でもね、私はいっそ原典版でないことを理解しているならば、組曲版も抜粋版もいいんじゃないかな、と思っています。全曲となると長いのはいいとしても、個人的には(演奏にもよりますが)ちょっと感傷的な甘ったるさが胃にもたれてきてしまうんですね。おもしろいのは、組曲版を演奏(録音)する場合も、あくまでバレエ音楽だと意識している指揮者もいれば、バレエ音楽であることを離れて、管弦楽曲として演奏を展開している指揮者もいるということ。現代はだいたい後者。

 さて、三大バレエについて―いずれもバレエの舞台はほとんど鑑賞したことがないので、以下はもっぱらチャイコフスキーの音楽についての私見であることをお断りしておきます。


 「白鳥の湖」

 「白鳥の湖」は、未完に終わった「ゾリューシュカ(シンデレラ)」、完成・初演はされたものの成功はしなかった「雪娘」に続く、モスクワの帝室ボリショイ劇場からの、おそらく3度目の依頼によるもの。チャイコフスキーもそれまでの作曲経験を活かして、張り切って、また報酬にも期待して、作曲したようです。

 台本がだれによって提案されたものかは不明で、研究者の間でも見解が分かれるところ。チャイコフスキー自身であったという説も。じつは4年前に、妹の子どもたちのために童話「白鳥の湖」による一幕もののバレエを書いているんですね。その内容は現在の白鳥の湖の第二幕に似たもの。なので、チャイコフスキーはボリショイ劇場上演のために、これを大規模なバレエに発展させたのではないかというわけです。

 台本にはさまざまな題材が組み込まれていて、ハイネの詩による「妖精の湖」、伝説「奪われたヴェール」、民謡「白鳥」など、いろいろありますが、まあ、白鳥と言えばそのimageするところは歴史上の、また世界中の、あらゆる民話・伝説のモティーフとなっていますからね。我が国の「羽衣伝説」だって、そのvariationでしょ。

 でもねえ、個人的には王女が悪魔によって白鳥に姿を変えられ、姫も王子も生を断たれて天上で結ばれる・・・って、たとえばワーグナーの作品なんかとプロットは似たようなものなんですが、どうもその音楽は甘ったるい(笑)romanticというよりsentimentalと感じられてしまう。いや、ワーグナーの影響も見逃せないんですけどね。舞台はドイツだし、なにより白鳥の主題は「ローエングリン」の「禁問の動機」の引用でしょ。じっさい、なかなか音楽そのものも構成もドラマティックなんですが、やっぱり「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」と比べると、不徹底な印象があるんですよ。チャイコフスキーの出世作であることは疑い得ないんですが、その後の進境と比較すると、やはりまだまだ・・・。あるいは、一貫した原作によるものではなく、方々からもってきて「寄せ集め」たモティーフのせいかもしれません。

 ちなみに初演は無惨なまでの失敗。その責はチャイコフスキーの音楽ではなく、舞台演出にあったとされています。つまり振付や主役バレリーナの技術面での問題。観客にとっても、ただ踊りのための踊りが無意味につなぎ合わされている従来型のバレエより以上のものが、なかなか理解されなかったということもあったようです。


 「眠りの森の美女」

 御存知シャルル・ペローによる童話が原作。これぞ、チャイコフスキーのバレエ音楽のなかでもトップの座にあるものでしょう。表題は正しくはフランス語訳で「森の眠り姫」。バレエの台本は少々簡素化されていますが、音楽はマコトにすばらしい。組曲版にも採用されているワルツなど、チャイコフスキーの作曲したあらゆるワルツの中でも最高傑作と言っていいと思います。個人的には、チャイコフスキーの三大バレエのdiscで全曲録音を鑑賞する機会がもっとも多い作品です。

 チャイコフスキーがこの作品に着手したのは、第5交響曲の作曲を控え、また演奏旅行にも忙しかった時期。作曲中には帝室マリンスキー劇場の主席振付師とバレリーナの間に入って両者の面目を立てながら妥協案を模索したりなど、いろいろ苦労もあったようですが、重厚かつ大規模な長篇バレエ音楽を完成させました。初演は必ずしも好評をもって迎えられたわけではないのものの、いまとなってみれば、この作品がバレエ・クラシックの頂点に位置するものであることは疑う余地がありません。

 なお、本作には「オーロラ(オーロル)の結婚」と呼ばれる、姫の目覚めと結婚式を一幕ものにまとめた改訂版もありますが、それでチャイコフスキーの「眠りの森の美女」を聴いたつもりになってしまってはもったいない。これはぜひ全曲録音に接してもらいたいところです。


 「くるみ割り人形」

 「くるみ割り人形」といえば原作がドイツ・ロマン主義の作家、E・T・A・ホフマンによる「くるみ割り人形とねずみの王さま」であることはよく知られているところでしょう。もう少し詳しい人なら、ホフマンの「ゼラーピオン同人集」のなかの一作であることもご存知かも知れない。しかし、もともとはフケーやコンテッサらの作品とともに編纂された童話集に収録された作品で、「ゼラーピオン同人集」に入ったのは再録。また、チャイコフスキーのバレエは「三銃士」で知られるフランスのアレクサンドル・デュマが同名の息子と合作で翻案した「はしばみ割りの物語」をベースにしています。さらに、主人公の少女の名前も、原作のマリーからクララに変更されている。ちなみにクララというのは原作ではマリーがプレゼントされる人形の名前。おまけに、これは当然の措置ながら、原作の構成や筋立てはかなり単純化されてしまっており、このバレエのあらすじだけ知って、いくら童話・メルヘンだからといって、ホフマン作品がこのようなものだと思ってはいけませんよ。

 ホフマンの原作はクリスマス時期に合わせて書かれたメルヘンには違いありませんが、複雑な枠物語(入れ子構造と呼ぶべきか)で、結末に至っては何通りもの解釈の余地を残すもの。単純なハッピーエンドと呼んでいいものか、少女の夢想の世界なのか、あるいは少女は異世界に旅立ってしまったのか、とも読めるような「幻想文学」です。じつは主人公マリーのモデルとなったのは、ホフマンの友人ヒッツィヒの娘マリーなんですが、このメルヘンが発表された6年後にわずか13歳で病没しているんですよ。いや、偶然といえばそれまでなんですが、どうしたてって主人公マリーが旅立っていった先は・・・と考えてしまうんですね。

 初演はというと、これまた予想外の不評。はじめの幕は子供の踊りが主体で、見せ場であるグラン・パ・ド・ドゥが第二幕の終わりでようやく演じられるとあって、観客は退屈してしまったらしいのですね。また一部踊り手のミスキャストに加えて、ドイツ的な雰囲気がフランスのロココ調に整えられた舞台装置や衣装とアンマッチであったことが不評の原因とする批評も。ただしチャイコフスキーの音楽に対しては熱狂的な拍手が送られたということです。


 discについて―これまでにもいくつか取り上げていますね。

 「139 チャイコフスキー作品のレコードから」では、ハンス・フォンク、デゾルミエール、ムーティのレコードを取り上げています。以下に引用して若干の追記をしておきます。

チャイコフスキー:交響曲第5番
同:バレエ音楽「くるみ割り人形」から
同:幻想序曲「ロメオとジュリエット」
ハンス・フォンク指揮 ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団
1985.9
UITGAUE VAN HET RESIDENTIE-ORKEST 6818.549/550 (2LP)


 これも誇張や派手な演出のないところがいい。指揮はひたすら真面目で、効果造りとは無縁。オーケストラは上記シュターツカペレ・ドレスデンにくらべればやや不利ながら、重厚。指揮はひたすら誠実で真面目。

 なお追記しておくと、ハンス・フォンクによる「くるみ割り人形」は、シュターツカペレ・ドレスデンを振った全曲盤もあり、独Capriccioの、C50 087/1-2(2LP)がそれ。演奏はこちらの方が上質。


チャイコフスキー:バレエ組曲「眠りの森の美女」
I=イワーノフ:コーカサスの風景
ロジェ・デゾルミエール指揮 パリ音楽院管弦楽団
1951
米LONDON LLP440 (LP)


 英プレス盤。

チャイコフスキー:バレエ音楽「白鳥の湖」から
ロジェ・デゾルミエール指揮 フランス国立放送管弦楽団
1951?
仏Pathe Marconi 2C051-86029 (LP)


 1980年頃に出た仏Pathe Referencesシリーズの1枚。

 バレエ・スエドワ、バレエ・リュスの指揮者も務めたデゾルミエールが振ったバレエ音楽は、チャイコフスキーでもかなりの辛口、厳しさが際立つ。たしかデゾルミエールは1952年に発作に見舞われて、以後10年間寝たきりとなってしまったため、上記は指揮者としては最晩年の記録となってしまったもの。

 追記しておくと、バレエ音楽の指揮者としても妙技がいま一歩と感じられるのは、mono録音による色彩感の乏しさのせいかもしれない。とくに後者の「白鳥の湖」は1980年頃に出た仏Pathe Marconi盤で、おそらくノイズ除去の影響であろう、空気感が著しく損なわれている。古い盤があれば聴いてみたい。なお、DECCAの「眠りの森の美女」はAce of Clubs盤からショパンの「レ・シルフィード」との組み合わせでも出ており、これも持っている。


チャイコフスキー:バレエ組曲「白鳥の湖」
同:バレエ組曲「眠りの森の美女」
リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
1984.2.25,27
英EMI 067.EL 27 0113 1(LP)


 DMM盤。

 上記デゾルミエールの辛口から連想するのがこれ。張り詰めた緊張感。バレエ音楽であることを意識させないで、組曲版で十分満足させる一貫性がある。

 この演奏につては追記しておきたい。「白鳥の湖」などはオーケストラの響きが過度に豪華絢爛になりがちなところ、これだけ速めのテンポで展開しながら、引き締まった表情で派手になりすぎないというのが不思議なくらい。「眠りの森の美女」を聴いて思うのは、ドンガラと激しい音楽にばかり腐心しているような指揮者もいるなか、静かな楽曲でも一貫したアプローチでしっとりとして表情を不自然になることなく描き分けていること。この点ではここに挙げた指揮者のなかでも最上位。


 「123 あえて聴くmono盤 その7 交響曲、管弦楽曲から」では、モントゥーの「眠りの森の美女」抜粋を取り上げていました。

チャイコフスキー:バレエ音楽「眠りの森の美女」抜粋
ピエール・モントゥー指揮 ロンドン交響楽団
1957
英RCA RB-16063 (LP) mono
英RCA SB-2013 (LP) stereo


 mono盤は〈 A"New Orthophonic" High Fidelity Recording 〉との表記あり。
 stereo盤は〈 "Stereo Orthophonic" High Fidelity Recording 〉との表記あり。

 このstereeo盤は、高域寄りのバランスなのはいいとしても、かなり左寄り。左寄りと言っても別に左翼系ということではなくて、左スピーカーの音の方が大きく、片寄っているということ。最初、装置のどこかで接触不良を起こしているのかと思ったくらい。冒頭からしばらくはその調子で、Band1の途中から徐々に改善されてくる感じで、Band2のワルツでようやくまともになります(ただし、この番号のレコードがすべてそうだとは限りませんよ、特定のロットがおかしい、ということかもしれません)。カン高くて若干やかましいバランスは、RIAAだとは思うんですが、NABでもいいくらい。

 mono盤を聴くと、こちらの方が圧倒的にいいですね。monoなので左右のバランスはもちろん問題なく、奥行き感も感じられます。

 追記しておくと、やはりいかにもバレエ音楽らしい演奏になっているという点では随一。それでいて予定調和にならないところがモントゥーの実力。モントゥーには同じくロンドン交響楽団を振った「白鳥の湖」抜粋盤のstereo録音が蘭PHILIPSから出ており(835 142 AY)、こちらもすぐれた演奏。


 「036 若杉弘の演奏会とレコードから」にも、若き日の録音が1枚―

チャイコフスキー:組曲「白鳥の湖」、組曲「くるみ割り人形」
読売日本交響楽団
収録場所不明、「くるみ」1966年11月
日本ビクター SSB1010


 読売日本交響楽団を指揮してのレコーディングです。特段、どうということもありませんが、不自然なところも見受けられない、standardかつ丁寧な演奏が展開されています。


 その他、ここで取り上げておきたいものを拾っておくと―

チャイコフスキー:バレエ組曲「眠りの森の美女」
同:バレエ組曲「白鳥の湖」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団
1952
英Columbia 33CX1065(LP)


ヘンデル:水上の音楽
チャイコフスキー:バレエ組曲「くるみ割り人形」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団
1952
英Columbia 33CX1033(LP)


 この時代の直情的なカラヤンはそれなりに魅力的。この演奏をバックに舞台でバレエが展開されている様子など想像もつかないが、管弦楽組曲として、各楽曲の描き分けなどは巧みなもの。勢いで聴かせる楽曲が単調にならないところは後の演奏(録音)よりもいい。


 このほか、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団による各作品の抜粋盤、米LONDONのBB盤(英プレス)がある。アンセルメはこの三作品の全曲録音を行っており、そこから抜粋・編集したものと思われ、その全曲盤も持っているんが、あまり聴かない。個人的には抜粋盤で十分。オーケストラの精度はお寒いもので、これがかつてもてはやされたのが不思議なくらいなれど、古拙といいたい風情があって、やはりこれもバレエ・リュスでも活躍したアンセルメの手腕なのか。


 全曲録音のレコードは、ここまでにハンス・フォンクによる「くるみ割り人形」独Capriccio盤しか出てきませんでしたが、じつは結構聴いているんですよ。上記エルネスト・アンセルメは全曲盤も三大バレエ全部(DECCA)、アンドレ・プレヴィン(EMI)も同じく三大バレエ全部、アンタル・ドラティの「くるみ割り人形」(PHILIPS)、小澤征爾の「白鳥の湖」「くるみ割り人形」(DG)とか・・・。

 しかし、ここで全曲録音を取り上げるなら、ネーメ・ヤルヴィ指揮、ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団が2012年から2013年に録音した英CHANDOS盤でしょうか。いずれもSACDで、「白鳥の湖」「眠りの森の美女」は2枚組ですが、「くるみ割り人形」は85分で1枚に収まってしまうという快速テンポ。それでいて勢いだけで聴かせるような演奏ではなく、評定は多彩にして柔軟。全曲盤はもうこれがあれば十分かなと思います。「白鳥の湖」「眠り森の美女」でのヴァイオリン・ソロをジェームズ・エーネスが奏いており、これも当盤のポイントをアップさせています。


(Hoffmann)