041 「アッシャー家の崩壊」 (「ポオ小説全集 I」) エドガー・アラン・ポオ 河野一郎訳 創元推理文庫




 アメリカン・ゴシック小説の代表作です。初出は1839年9月発行の「バートンズ・ジェントルマンズ・マガジン」誌上。



Edgar Allan Poe

 あらすじは―

 少年時代の旧友ロデリック・アッシャーから突然の手紙を受け取った語り手は、荒涼としたアッシャー家の屋敷にたどり着く。ロデリックは神経を病んでおり、かつての面影を残しながらもすっかり様子が変わっていた。ロデリック自身の説明するところでは、この神経疾患はアッシャー家特有のもので治療のしようがなく、五感が異常に研ぎ澄まされて苦痛を感じるのだという。また、彼の双子の妹マデラインもまた、長い重病のために死に瀕しているとのこと。

 語り手はアッシャー家に滞在し、その間ともに書物を読んだり、ロデリックの弾くギターを聴いたりして時を過ごす。やがてある晩、ロデリックは妹マデラインがついに息を引き取ったことを告げ、二人はその亡骸を棺に納め地下室に安置する。この妹の死によって、ロデリックの精神状態も不安定になってゆく。

 それから7、8日経った晩、二人は窓から、屋敷全体が雲に覆われているのを見る。この奇怪な光景がロデリックの病状に影響することを恐れた語り手は、ランスロット・キャニングの「狂える会合」を朗読して、ロデリックの気を紛らわせようとする。しかし物語を読み進めるうち、その本の内容と呼応するかのような不気味な音が屋敷のどこかから響いてくる。その音はだんだん近づいてきて、やがてはっきりと聞こえるようになると、ロデリックはその音がマデラインの動き回る音だと告げる。部屋の扉が開き、血まみれのマデラインが現れると、彼女は兄にのしかかり二人は死ぬ。恐怖に駆られた語り手が屋敷を飛び出して逃げて行くと、その背後でアッシャーの屋敷は轟音を立てて裂け、沼に沈んでゆく。



The Fall of the House of Usher” 初出誌の1ページめ

 アッシャーの人物像は、ゴシック小説の伝統に忠実にのっとったもので、幻視家にして神経症、興奮しやすく館から一歩も出ない隠遁生活者。精神的にも自分の殻に閉じこもっており、ほとんどその異常な想像力によって心身を病んでいるかのようです。読書傾向は極端に偏っており、音楽も特定のものしか受け付けません。

 Poeはイギリスのゴシック・ロマンスを読んでいたとは思われますが、それをそのまま自作で模倣するようなことはなく、巧みに消化しており、ここにはPoeの小説のキーワードもふんだんにちりばめられています。たとえば「早すぎた埋葬」モチーフ、「ドッペルゲンガー」モチーフなどはだれの目にも明らかでしょう。

 「ドッペルゲンガー」モチーフに関しては、なによりアッシャー兄妹が外見も生き写しの双生児に設定されていることで示されています。双生児というものは、共通の運命を持つというのが、ゴシック・ロマンスの慣例です。ましてや、その容貌はうり二つなのですから、ロデリックがマデライン嬢を埋葬するというのは、自らを埋葬することでもあるわけです。もちろん、一方が死ぬときには他方も同時に死ぬことになります。妹が兄の上に覆いかぶさって息を引き取るということは、このふたりの(運命の)合一をあらわしているわけです。そしてアッシャー家一族が滅亡するとき、ロデリックの精神と一体化した異様な館は、館の「ゆがんだ倒影」、つまり鏡像を映し出している沼に沈んでゆく・・・つまり、兄は妹と、館は沼と一体のものとなります。これこそが、本作のゴシック性の大きな特徴です。館が沼に沈んでゆくときに、「幾千もの洪水が襲ってきたような―轟然たるとどろきが長く伝わり」とあるのは、もちろんアッシャー兄妹の絶叫ではなく、館と沼の絶叫なのです。

 ロデリックは話者に説明しています。アッシャー家の血は由緒あるものながら、長く続く分家を出したことがなく、この一族は代々直系のみでつづいてきた、と。ここで近親相姦や、少なくとも近親婚によって存続してきた家系を想像させられます。ただし、私はこれに疑問を持っています。じっさい、D・H・ロレンスによる近親相姦説は支持者も多いようですが、Poeの「ほのめかし」はたしかに認められるものの、これをこの小説の主要なテーマとして論じることには無理がありそうに思えるのです。この説でなにもかも解釈しようとすれば、アッシャー家の館の意味はほとんど無視され、マデライン嬢も個別に論じられるほどの登場場面がないため、すべてはロデリック個人の問題となってしまうからです。ロデリックの狂気はそんなに主体性を感じさせるものではないと思われるんですね。

 なお、念のために申しあげておくと、Poeの従妹であり幼妻であったヴァージニアが結核の最初の徴候を示したのは1842年、亡くなったのは1846年ですから、この小説の発表よりも数年後のことです。



Virginia Clemm

 ロデリックの友人である話者がアッシャー家に到着した冒頭で、邸の姿を見て「堪えがたい愁い」にとらわれ、「寒々とした壁」「黒々と不気味な沼」「身の毛のよだつ戦慄」「陰鬱な影に包まれた邸」と、これでもかとばかりにことばを費やしているところに関して、とくに注目したいのは「特有の妖気」「毒を含んだ神秘的な蒸気」といったところです。当時、病原菌が発見されるより前の時代、病気の原因が「瘴気説」に求められていたことを考え合わせれば、これは死のイメージであるとともに、疫病に対する恐怖をあらわしたものでもあります。もちろん、そうした恐怖にかこつけて、この館が語り手を感化する力を示しており、アッシャー家の兄妹に対しても影響力を及ぼしていることは言うまでもありません。

 マデライン嬢の病は「慢性化した無感覚、次第に進行してゆく肉体の衰弱。そして一時的ながら頻繁に起こる強硬症の発作」と書かれています。「慢性化した無感覚」というのはロデリックの感覚の病的な鋭敏さと対をなすものです。加えて、ロデリックの、快活になったかと思うと陰鬱になるという、さまざまな性情の交互表出、つまりちぐはくさは、この館の不調和を思い起こさせもします。つまり、館に亀裂が走っている、アッシャー家の館が分裂する、その分裂したものをアッシャー家の兄妹が形象化しているとは考えられないでしょうか。

 ロデリックは、おそらく強硬症のマデライン嬢を生きながら埋葬してしまって、彼女が棺のなかで動き出す音を聞いたにもかかわらず、なぜ友人にそれを告げもせず、救出しようともしなかったのか・・・多くの評者はこれをロデリックの錯乱及び狂気の結果として説明していますが、私はここに至って、アッシャー家の館の分裂がはじまっているものと考えます。つまり、ロデリックとマデライン嬢、精神と肉体が分裂してしまった、ということです。無感覚のマデライン嬢は強硬症で死の様相を呈しており、棺から抜け出してロデリックのもとに現れるというのは、かろうじてこの世につなぎ止められている精神に対して死の宣告をするためなのです。つまり、分裂してしまった肉体と精神がふたたび合一しようとしているのです。精神は抵抗もむなしく、というか、ほとんど抵抗するすべもなく、ふたりは折り重なって死んでしまう―ここに至って、館はやっと目につく程度であった亀裂をみるみる広げ―そこに「血のように赤い満月の輝き」を見せて、沼に沈んでゆくのです。裂けた館の間から見える満月は、死によって成就した肉体と精神の合一でしょう。



Aubrey Vincent Beardsleyによる挿画


(Kundry)



引用文献・参考文献

「アッシャー家の崩壊」(「ポオ小説全集 I」)エドガー・アラン・ポオ 河野一郎訳 創元推理文庫


Diskussion

Kundry:いろいろな読み方が可能かとは思いますが、アメリカのゴシック・ロマンスととらえました。

Parsifal:たしかにPoeはゴシック・ロマンスと呼ばれる作品郡を読んでいるだろうね。でも、応用はしているけれど、模倣はしていない。さすがにPoeだからね、そのまま自分の時代とアメリカの風土に通用するとは考えていなかったんだろう。

Klingsol:たしかに、「ドッペルゲンガー」や「早すぎた埋葬」というテーマに消化しているよね。19世紀半ばのアメリカ南部だからね、ヨーロッパのような伝統があるわけでもないから、「居心地のいい過去」という歴史を持っていない。だから、本場イギリスのゴシック文学の反近代性がそのまま通用するはずもないわけだ。それはPoeにもわかっていたことだろう。

Parsifal:それに、ジャーナリズムの台頭と、Poe自身が自分の雑誌を作りたいと切望していたことから、短編小説になるのは必然だったろうね。おまけに貧窮から生活のために時代の嗜好に合わせたものを書かなければならなかったわけだから。

Hoffmann:はっきり言ってしまうと、根元にはイギリス本国の文化に対する劣等感があるんだろうな。これは後のラヴクラフトにも見てとれるものだ。ゴシック・ロマンスの素材を駆使して、その近代化を図ったと言っていいかもしれない。それを果たしたのがPoeの短編小説の技巧なんだよ。

Kundry:それは成功していると言っていいですよね。「アッシャー家の崩壊」の冒頭などは、陳腐といえば陳腐なんですが、映像的なリアリティがありますよね。

Hoffmann:陳腐で定型的という意味ではゴシック・ロマンスのパロディなんだよね。ただしパロディと言っても、滑稽なおかしみがあるわけではない。原初の世界を創り出す荘厳な力が働いているかのようだ。

Klingsol:映像的なリアリティという点ではファンタスマゴリア(幻燈器)などの影響も見逃せないけど・・・その描写には精緻で分析的なところがあるよね。だから探偵小説の祖となる作品も書き得たんだ。「メルツェルの将棋指し」「モルグ街の殺人」「黄金虫」に「盗まれた手紙」と・・・。

Hoffmann:話を「アッシャー家の崩壊」に戻すと、個人的にはロデリックが読みふける本が要注目なんだけど・・・グレセの「ヴェルヴェルとシャルトルーズ」、マキャヴェリの「ベルフェゴール」、スウェーデンボルグの「天国と地獄」、ホルベルヒの「ニコラス・クリムの地下旅行」、各種「手相学」にティークやカンパネラ、ドミニック派の僧エイメリック・ド・ジロンヌの「宗教裁判法」と・・・。

Klingsol:その箇所の直前にある原注では、「ウォトスン、パージヴァル博士、スパランツァーニ、特にランダフ僧正など―『科学論集』第五巻を参照せよ」とある―。「ウォトスン」と「ランダフ僧正」は同一人物で、ケンブリッジ大学教授リチャード・ウォトスン(1737~1816)が、その後教会の職に就いて1782年にランダフ僧正となったんだ。その著書「化学論集」第五巻では植物に知覚機能があるかどうかを論じている。英国の医師トマス・パージヴァル(1740~1804)も「植物の知覚力についての考察」という本を書いている。パヴィア大学の博物学教授ラザロ・スパランツァーニ(1729~1799)は結構有名だよね。「動植物博物誌」を著した人だ。

Parsifal:話者が最後に朗読するランスロット・キャニング卿の「狂える会合」はPoeによる架空の本だね。実在するものに偽物を混ぜるというテクニックだ。UFOフォークロアみたいだね(笑)

Kundry:ちなみに作中の詩、「魔の宮殿」”The Haunted Palace”は雑誌「アメリカン・ミュージアム・オブ・サイエンス・リタラチャー・アンド・ザ・アーツ」(1839年4月)にPoe自身が発表したものですね。時期から見て、それを「アッシャー家の崩壊」に利用したのか、それとも執筆中の「アッシャー家・・・」から抜き出して発表したのか・・・。

Hoffmann:ゴシック調といえば、「死者の来訪」テーマのvariationとも読めるね。だとすると、吸血鬼テーマもうかがえるかも。

Parsifal:たとえば「楕円形の肖像」みたいな、精気とか生命力が吸い取られるテーマはたしかに見て取れるよね。もっとも、Poeの小説ではみんな「衰弱」するんだけど(笑)それに、ここで浸食してくるのはアッシャー家の館そのものだと思えるね。

Klingsol:館が裂けてそこに姿を現す赤い満月が「肉体と精神の合一」というのはおもしろい見方だね。たしかに円(球体)は完全性をあらわしているし・・・。

Kundry:visual的には崇高な美しさを感じさせて、ゴシック調なのですが、崩壊が幾何学的ですよね。そこがゴシック・ロマンスとは異なるところかと思います。

Hoffmann:ゴシック・ロマンスは”Nevermore”なんだ(笑)

Parsifal:Poeの小説を時計のテーマで読み解こうとした人がいたよね。

Klingsol:ああ、ジャン-ポール・ヴェベールだね。翻訳は出ているのかな? 谷崎精二が紹介していたよね。「鐘楼の悪魔」は当然として、「メエルシュトレムに呑まれて」「赤死病の仮面」「告げ口心臓」「大鴉」や、この「アッシャー家の崩壊」にも適用されている。この作品には時計は出てこないけれど、アッシャー家は時計塔をあらわしており、沼に反映した館は上下のシンメトリーは文字盤と外枠のつくりだすシンメトリーであると・・・ロデリックの声の特徴は時計の「チク・タク」、双生児の兄妹は長針と短針、マデライン嬢が地下室から部屋へと上がってくるのは長針の上昇運動、最後に折り重なって倒れるのは真夜中の二本の針の重なり、というわけだ。

Kundry:ちょっと強引な気もしますね(笑)

Hoffmann:マリー・ボナパルトの精神分析もたいがいだけどね(笑)このフロイトの弟子による研究では、館の亀裂は女性器で、赤い満月はマデライン嬢の処女喪失と兄妹の愛の成就をあらわしているということになる。

Parsifal:ここでは、やっぱりドッペルゲンガー・モチーフがふさわしいんじゃないかなあ。精確に言えばドッペルゲンガー、分身というよりは影(シャドウ)かな。地下室に埋葬されたマデライン嬢は、ロデリックが陥るかもしれない狂気と死の投影だろう。なにしろ名前からして”Mad”(狂気)、”line”(系譜・家系)なんだから。ロデリックは自分が狂気に陥ることを怖れているわけだから、それを目の前から消し去ってしまいたくて地下室に隠蔽した、と・・・。

Hoffmann:それが、もしもこの物語にロデリックの近親相姦的な欲望を認めるとすると、狂気はロデリックの側になるんだよね。マデライン嬢の内面はまったく描かれていないから。だからといってマリー・ボナパルトみたいな愛の成就とか再生の物語とは思えない。沼には館の逆さまの映像が映っていたわけだろう? だから沼に沈むのはプラスとマイナスで消滅をあらわすのだと、考えたいんだよね。

Klingsol:やっぱり、一筋縄ではいかないな。この語りの曖昧さがPoeの小説技巧なんだね。

Kundry:みなさんは、Poeの小説でお好きな作品はなんですか?

Parsifal:ドッペルゲンガー・モチーフの「赤死病の仮面」かな。それに黒人に対する恐怖の「モルグ街の殺人」、女性と黒人に対する奴隷制の告発である「黒猫」あたり。

Klingsol:「モルグ街の殺人」は探偵小説の祖にして密室殺人、おまけに犯行の動機がないというのがさすがだと思うね。あとは暗号解読の「黄金虫」、随筆評論だけど緻密に理論を組みあげてゆく「メルツェルの将棋差し」だな。

Hoffmann:なんといっても「アッシャー家の崩壊」。それから、「マリー・ロジェの謎」はじっさいに起きた事件を推理している作品だけど、言われるほど鮮やかな推理ではなくてPoeも最新情報が入るごとに右往左往してごまかしているところがある・・・そのあたりがおもしろい。あと、酒飲みとしては「アモンティリャアドの酒樽」(笑)

Kundry:ありがとうございます。私は、今回取り上げた「アッシャー家の崩壊」以外では「リジイア」と「モレラ」ですね。それでは、映画化された「アッシャー家の崩壊」と、ドビュッシーの未完のオペラについて、引き続きお願いいたします。

(追記) ドビュッシーの歌劇「アッシャー家の崩壊」について、upしました。(こちら

(追記 その2) ジャン・エプスタンの映画「アッシャー家の末裔」について、upしました。(こちら