092 「ペール・ギュント」 ヘンリック・イプセン 毛利三彌訳 論創社




 「ペール・ギュント」"Peer Gynt"は、ヘンリック・イプセンが1867年に韻文で書いた、全5幕の戯曲です。

 もともとは上演を意識せずに読む劇詩として発表したらしいのですが、1876年2月24日、クリスチャニア(現オスロ)の国民劇場で初演されることになり、その際、イプセンの依頼でエドヴァルド・グリーグが劇音楽を作曲しています。多くの人が、このグリーグの音楽によって「ペール・ギュント」という劇を知ったのではないでしょうか。


Henrik Johan Ibsen

 storyは、自由奔放なペール・ギュントが旅に出て年老いて帰ってくるまでの物語・・・と言ってしまえば話は簡単なんですが、この主人公がなんとも呆れた男で、もう少し詳しくあらすじを語ると―

 落ちぶれた豪農の息子で、母オーセと共に暮らしている夢見がちな男ペール・ギュントは、かつての恋人イングリを結婚式から奪取して逃亡する。しかしすぐにイングリに飽きて彼女を捨て、たまたま出会った緑衣の女(魔物=トロルの娘)と婚礼寸前になるも、また逃亡。

 ペールを追ってきた純情な娘ソールヴェイと恋に落ちるが、そこへ緑衣の女が奇怪な子供を連れて現れたので、ペールはソールヴェイを待たせたまま、またまた逃亡、密かに帰宅したところ、その場で病床の母オーセは息を引き取る。またまたまた逃亡してそのまま放浪の旅に出る。

 奴隷貿易で金を儲けたり、全財産を盗まれて無一文になったりの繰り返し。モロッコ、エジプトと遍歴の末、老いて身一つで帰郷する。死を意識しながら故郷を散策していると、死神=ボタン職人と出会うが、彼は天国に行くような善人でもなく地獄に行くほどの大悪党でもない「中ぐらい」の人間をボタンに溶かし込む職人だった。「末路がボタン」だなんて御免だと、ペール・ギュントは善悪を問わず自分の人生が無意味でなかったことを証明しようと駆けずり回るが、誰もそれを証明してくれない。彼は盲目となったソールヴェイの子守唄を聞きながら永い眠りにつく。

 ・・・グリーグのレコードやCDの解説で簡単な紹介を読んだだけでもどうかと思うような主人公ですが、こうして語っていても、途中で「もい、いいかげんにしてくれ」と言いたくなるような困った男ですね。もっとも、こんな男は現代にもいますよね(笑)

 イプセンはこの劇詩でノルウェー人の性格を揶揄したとしてさんざん非難されたそうなんですが、じっさいに外国人には理解しづらいノルウェー的な要素にあふれているとはよく言われるようです。


Edvard Hagerup Grieg

 グリーグの音楽のおかげでことさらにロマンティック劇と受け取られたわけですが、もうひとつ、無法者ペールの身勝手さにもかかわらず、ソールヴェイがいつまでも彼の帰りを待って、最後に彼を救うという結末も、そうした解釈をさせた理由でしょう。ところが、これがまた「男のエゴイズムをあらわす侮蔑的女性像」との非難を呼ぶことになりました。もっとも現在では、最後に罪人を抱きあげるソールヴェイをマリア像に仕立て、すべてを許す聖なる存在と見て、一方ペールの遍歴を自己探求の物語とすることによって、ヨーロッパの思想劇のひとつと位置付けるのが常套となっているようです。

 そのように考えると、「ペール・ギュント」は、読むための劇詩という点で同じ、ゲーテの「ファウスト」のvariationと見ることができるかもしれません。じっさい、イプセンがゲーテの「ファウスト」を意識していたことは明らかです。それにしては主人公の生き方が、あまりに行き当たりばったりに見えますか。いや、「ファウスト」だって、深刻ぶっているわりには計画性のない人生ですよ(笑)これは大胆な意見かも知れませんが、ファウストだって、第一部の最後でほとんど真理に到達していながら、第二部の、一見「なにをいまさら」な「遍歴」を必要としていますよね。

 個人的にはペールが カイロの精神病院で皇帝になってしまうところが好きですね。なんだか、松沢病院の「葦原将軍」を思い出してしまいます(笑)

 なお、翻訳者によると、これは1978年、イプセン生誕150年記念の新劇合同公演として上演されるときに作成した上演台本に手を入れたものとのこと。その際の上演台本は台詞をあれこれカットして、わかりやすく意訳したところもあり、しかしここでは創作となるような付け加えはなくして、場面の入れ替えやト書きの指定の変更は原作どおりに戻してあるとのことです。翻訳の文体が読むための劇詩(レーゼドラマ)よりも上演台本よりと感じられるのはそのためでしょう。無闇に高尚な劇詩らしさを追求するよりも、むしろ内容にふさわしい翻訳となっていると思います。


(Kundry)


 「葦原将軍」について

 本名葦原金次郎。1852年(嘉永5年)生まれ、1937年(昭和12年)2月2日没。明治後半から昭和にかけての日本の皇位僭称者です。別名「葦原将軍」。蘆原金次郎、「蘆原将軍」と表記される場合もあります。


葦原金次郎(「葦原将軍」)

 羊羹色のフロックコートに手製の肩章や金モールを飾り付け、胸には金紙銀紙の勲章がずらりと並べて、帽子は紙貼りの大礼帽、手には行司のような軍配扇をもってふんぞり返っていたかと思うと、皇后陛下から贈られたと称する月琴で自作の楽曲をかき鳴らすという風流人。

 とはいえ時は20世紀、「葦原将軍」は「早発性痴呆症」の病名を付けられて、東京府癲狂院(1889年に巣鴨病院と改名、1919年に移転して東京府松澤病院)に監禁されてしまいました。もともとは高岡藩士の三男として生まれ、埼玉県深谷で櫛職人として働いていたのですが、20歳の時に東京に出て発病したと言われています。

 症状としてはありふれたタイプだったようで、あまり医師の興味を引く存在ではなかったようですね。それでも、病名については「躁病の誇大妄想」、「分裂病の誇大妄想」、あるいは「梅毒からくる進行麻痺の誇大妄想」など、医師によって診断が分かれています。

 この「葦原将軍」が結構な有名人・名物男となったのは、その奇行、すなわち―発言の奇抜かつ話の大きいこと、加えてその尊大な態度にどうしたものか、憎めぬ愛嬌があったため。つまり、奇行愚行が大衆に人気があった。ために、新聞記者までがそのご託宣を伺いに来ていたのですね。これはいまだってそうですよね、他人を罵倒するしか能がない堀○とか、いちどオツムの具合を診てもらった方がよさそうな鳩○由○夫とか(これは単なる「毒舌」ではありません、サイコパスであることは別としても、脳機能の障害が強く疑われます)、見栄だけで発言しているようななんとか志○くとか、詐欺師の片棒を担いでいる不潔そうな似非科学者(おまけに脱税)、茂○健一郎とかいう男の、まるっきり中味のない、こんなのwebに掲載されるのも資源の無駄遣いじゃないかというような幼稚で低劣なコメントや、他人を罵っているだけの発言、ひどいときはデマを、マスコミが取り上げていますよね。それはそんなものでも読みたがる奇特な御仁が一定数いるからなんですよ。「葦原将軍」のご託宣なら、いま挙げた連中の「寝言」よりも、よっぽど愉しめますよね(笑)

 「葦原将軍」が巣鴨病院から松沢病院に移る際、大礼服の正装で白馬に打ちまたがり、周囲に同棟の患者たちを侍らせて威風堂々の街頭行進をしたというのは、これは森繁久弥が「葦原将軍」でそのように演じたために広まった風説。じっさいはほかの患者とともにバスで移動しています。しかし、将軍を演じる森繁久弥の臨終のことば、「世の中、狂っとる!」というのは・・・御説ゴモットモでございますなあ、ホントに(倒置法)。

 「葦原将軍」にとっては病室こそが大本営、ここで天下に号令したのは、たとえば日露戦争が勃発すると、木綿の端切れを糊で固めて二尺五寸のハリボテの大砲を作る、ロシアの陸軍大臣に至急葦原将軍の許へ参内せよと命じ、ロシア皇帝が陸海軍を廃止して帝室費3千万円を日本の天皇陛下に捧げるなどの外交文書まで作成する始末。日露戦争の時といえば、「相撲取りの部隊を出してロシア軍のトーチカを破壊せよ」という発言もありましたな。いやあ、パロディだと思えば、同じく常軌を逸した発言という意味では、鳩○由○夫なんかよりも、よっぽどユーモアがありますな。

 ま、悪くいえば「俗受け」なんですが、それが微妙に、明治大正という時代の流れに密着していたのです。位はといえば、将軍、内大臣からはじまって、だんだんに高くなっていきました。太政大臣、そして国元首。暦法も改めて、葦原太陽、即位紀元2万5千4年・・・さらに世界各国の皇帝を東京市内に監禁すべしと言いだして、その割り振りを決めた地図を作成したのは、これ、江戸時代の参勤交代を応用したのでしょう。ああ、お茶目。それが報道されると、その時局的反応に大衆は抱腹絶倒の大喝采。なに、稀代のトリックスターに日頃の鬱憤を晴らして溜飲を下げていたのでしょう。

 だから言ったでショ。真実を語るのは、道化と、酔っぱらいのみだ・・・って(笑)

 つまり、大真面目で厳粛な政治家や役人には絶対にできっこない自己戯画化を、「葦原将軍」は堂々とやってのけていたのです。この「自己戯画化」というのは、同時に「自己聖化」でもあり、「自己相対化」でもあるのです。いまの政界には、自己相対化ができている奴なんか、ただのひとりも、いませんよね。「葦原将軍」の方が、余程ましだと思いませんか?(笑)


(Hoffmann)



引用文献・参考文献

「ペール・ギュント」 ヘンリック・イプセン 毛利三彌訳 論創社





Diskussion

Parsifal:ペール・ギュントの遍歴が自己探求の物語というのは・・・なんだか無理があるような気がするなあ(笑)

Klingsol:フェミニズム系の方から「男性のエゴイズム」とか「侮蔑的女性像」と言われないための、いささか無理矢理の方便じゃないかと思えるね。

Kundry:たしかに、ペール・ギュントはボタン職人のことばに愕然として、自分が生きてきた意味をだれかに証明してもらおうとするんですが、後悔したり改心したりしているわけではありませんからね。

Hoffmann:ソールヴェイがなんでも許してくれる聖母マリア像だというなら、聖母マリアもいささかどうなんだ、と言いたい(笑)よりによって聖母マリアのおかげで、今生の世ではどんな悪行もやりたい放題なのか、と。


Parsifal:モーツアルトの「魔笛」でも、「無言の行」とか、ぜんぜんできていないパパゲーノが、最後は許されるよね。


Hoffmann:それを「感動的」だと、モーツアルト好きがあたりまえのように言うわけだけど、個人的には贔屓の引き倒しだと思う。べつに、「感動」するほどのことではない。あれで許されるのなら、そもそも「試練」なんか一切必要ないじゃないか、と思うね。寛容というより甘やかしているだけだよ(笑)


Kundry:なんでもかんでも「許す」のが愛だと・・・問題行動のある人間に限って、そんなことを言うんですよね(笑)


Hoffmann:許すかどうかは相手が決めることだよ。


Klingsol:まあ、パパゲーノは愛すべきキャラクターだからね。

Parsifal:ペール・ギュントはあまり愛すべきタイプではないなあ(笑)

Kundry:その遍歴についてはどう思われますか?


Parsifal:一攫千金を得たり、すべてを失ったり・・・ふつうに「よくある人生」じゃないか?


Hoffmann:平凡な人生、とくにこれといって特徴のない「中ぐらい」の人生があれかい?(笑)ちなみに、ゲーテの「ファウスト」第二部が必要だったのかという問題について、これを不要な蛇足としたのは、コリン・ウィルソンだよね。


Parsifal:第二部で主人公にどれほどの変化があったのかというと、ちょっと心許ない。第一部で十分成長してしまっている。


Hoffmann:たしかに、「ヴィルヘルム・マイスター」だって、「修業時代」はいいとして、「遍歴時代」はどうしても書く必要があったとは考えにくいんだよね。


Klingsol:葦原将軍は平凡な人生とはいいかねる(笑)

Kundry:狂気、道化こそが真実を語るといういい例ですね。Hoffmannさんが大喜びしてます(笑)

Hoffmann:「葦原将軍」の「芸」は、自分を賢く見せたいという、承認欲求だけで発言しているような見栄っ張りには絶対にできないんだよ。

Parsifal:連日ニュースになっている自○党の派閥の問題だって、いまや党内の駆け引きの材料になっている。欲と体面しか頭にないから、自己相対化ができないんだよ。もちろん、政治家が「重く受け止めている」なんて言っているのは演技でしかないわけだけど、どうせ演技するなら自分を物笑いの種にできるくらいでないとね。矜恃なんかありもしないのにプライドだけ保とうとしている。そのプライドは立場を守る、利権を守るためのものだから。人間は、あそこまで汚く、醜くなれるものなんだな。

Hoffmann:世の中、狂っとる!




(追記) 音楽を聴く69 グリーグ附随音楽「ペール・ギュント」のレコードから upしました。(こちら