136 「美しき町・西班牙犬の家」 佐藤春夫 岩波文庫 私のなかで、佐藤春夫は大正文学の代表者です。佐藤春夫自身は芥川龍之介ただひとりをその位置に置くのですが、個人的には佐藤春夫こそ、大正文学の代表であり、さらにそれを超えた巨人です。 佐藤春夫 佐藤春夫は芥川のなかに、外国文学からの影響と古典からの摂取による文体の成熟を見て、明治以降の日本近代文学の結実としています。そしてそれが終点であり、昭和の新感覚派は「余映」、プロレタリア文学はまったく別の新文化であると―。芥川で完成された近代文学は、佐藤春夫に言わせれば、自然主義が破壊した美や倫理を新たに打ち立てたものであるというわけです。なるほど。 ところが、佐藤春夫自身はその完成されたものの先を行ったのではないでしょうか。つまり、「完成」ですませてしまわないで、大正の近代文学を結果として昭和の先駆として発展させた。作家(小説家)というものが、必ずしもすぐれた批評家・評論家である必要があるのかどうか・・・必要ない、という人もいるでしょう。しかし、佐藤春夫の場合、おそらくその内的体験の歴史故でしょうか、過去から未来を俯瞰するかのような独自の文学的展望を備えた希有な作家であり、そのことがたいへんな強みになっていると思います。 芥川が自殺したということ、奇しくもこれが芥川の「完成」ぶりを物語っているような気がします。芥川から新たな可能性は生まれない。しかし佐藤春夫には未来の胎動がある。次世代が、あるいは次世代に限らず、後世が学べることが豊富にあるように思えます。その未来の胎動が、芥川にはなかった。じっさい、私の知る限り、佐藤春夫には致命的な失敗作が見当たりません。 また、小説家であると同時に、戯曲家であり、翻訳家でもあり、エッセイストでもある。多彩な領域で、従来の日本文学に見られなかった独自の成果を挙げているところ、まさにヤヌスの相貌。文学という広い領土のそこここに足跡を残したということが、よく言われる佐藤春夫の「ノンシャラン」な性向のあらわれでしょう。我が国ではひとつのテーマを掘り下げてゆく伝統的職人の求道精神が称賛されがちですが、佐藤春夫のような、ひょいひょいと、作品に応じて精神を変換してゆく方がむしろ前衛なのです。その根底にあるのは、詩人の心と物語を創作する小説家の精神と、さらには批評家としての目線の共存です。佐藤春夫というと長篇不得手説がまかり通っているようで、決してそのようなことはないと思うのですが、しかし卓抜なる近代批評家としての持ち味がにじみ出る短篇や小品には、たしかに独特の味わいが認められることも確かです。 面白いなと思うのは、「田園の憂鬱」「都会の憂鬱」などはあたかも明治以来の自然主義小説と見えて、じつは反・自然主義小説なんですね。これは非・自然主義小説ということに非ず、異質の文学的試みであるということです。明治文化の完成は、反面、明治文化の否定でもあります。具体的にいえば、自然主義的客観的描写などということには拘泥していない。「女誡扇綺譚」「西班牙犬の家」「F・O・U」などになると、「拘泥していない」どころか、「背を向けて」います。Conte Fantastique。文体も自在、というのは、主題となる時代や風景の展望次第で変化するということです。その物語のなかで登場人物の「主観」に一個の劇を演じさせている。 こんなことを言うと、あたかももやもやと曖昧な雰囲気を描いた幻想文学のようにimageする人もいるかも知れませんが、それは誤解、というか、正反対。佐藤春夫の作品のことごとくは、極めて冷徹な認識小説です。つまり、一幅の情景を描いているのではなくて、次第にその目に見える情景の裏側が見えてくる。ミステリのように、真実が姿をあらわしてくるのです。ときに饒舌、ときに諧謔味があっても、それは変わりません。 佐藤春夫はある文章のなかで、日本文学の伝統は「もののあはれ」であり、しかし明治の文学はそれとは異質な森鷗外からはじまり、この新しい流れのなかに伝統的な「もののあはれ」を融合させつつあったのが、永井荷風、芥川龍之介、谷崎潤一郎であるとしています。伝統というものは新しい精神のなかで再現されてこそ、その時代における意味を獲得するのであって、冷徹で知的な語り口で「もののあはれ」という日本人の相を浮かび上がらせる・・・これこそまさに佐藤春夫の仕事だったのではないでしょうか。 そもそも、「もののあはれ」とはなにか。「もののあはれ」とは最小限度においての生への執着と享楽、その歓楽の果てにあるものです。悲哀、厭世を伴う頽廃です。それがもっともよくあらわれているのが「田園の憂鬱」でしょう。これは1919年の発表ですが、やはり西欧の影響下にある、遅れてきた世紀末文学です。個人的には、日本のジョルジュ・ロデンバックではないかと思っています。 佐藤春夫の場合、これがやがて自在に飛翔するようになる。これは私の勝手な妄想ですが、「もののあはれ」の諸相のうちに、西欧の世紀末デカダンスを読み取った佐藤春夫は、「もののあはれ」という伝統美学を極度に洗練させて、文学ジャンルはもちろん、文学という芸術様式を超えた世界観にしてしまった。だから、小説を書いても、エッセイを書いても、評論めいたものを書いても、そのジャンルに縛られなくなってしまった。むしろそのような区別をつけることには意味がなくなってしまったのです。 そのような通俗的なジャンル分けや型にはまらない、勝手気ままな創作態度は、佐藤春夫以外では、かろうじて内田百閒に認められるもの。このふたりが怪談の名手であることも偶然ではありません。小説らしくない小説、怪奇実話めいたエッセイ、あるいは散文詩かとも思えるような小品もまた、多くの代表作に引けをとらず、光っているのです。 もちろん、それだけを読んで佐藤春夫の全貌がとらえられるわけではありませんが、しかし「田園の憂鬱」を読むにしても、怪異小品などを先に読んでおくと、読み方というか、作品を見る角度が変わってくると思います。もしかしたら、佐藤春夫自身の、俯瞰するかのような独自の文学的展望のオコボレくらいは垣間見ることができるかもしれませんよ(笑) 佐藤春夫 佐藤春夫と「太陽の季節」の芥川賞受賞について さて、批評家としての佐藤春夫について、少しお話ししておきたいと思います。 第4回、すなわち1955年(昭和31年)下半期の芥川賞は石原慎太郎の「太陽の季節」が受賞していますが、このとき、審査委員の間で賛否両論であったのはよく知られていますよね。当時芥川賞選考委員会で、これを受賞作として積極的に推したのが石川達三と船橋聖一、反対したのが佐藤春夫、丹羽文雄、宇野浩二。あとの瀧井孝作、川端康成、中村光夫、井上靖は欠点を認めつつも受賞に賛成という、やや消極的賛成派でした。 積極的支持の船橋聖一は― ・・・世間を恐れず、素直に生き生きと、「快楽」に対決し、その実感を用捨なく描き上げた肯定的積極感が好きだ。 一方絶対反対の佐藤春夫は― 僕は「太陽の季節」の反倫理的なのは必ずしも排撃しないが、こういう風俗小説一般を文芸として最も低級なものと見ている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者のものではないと思ったし、またこの作品から作者の美的節度の欠如を見て最も嫌悪を禁じ得なかった。 このふたりは選考委員会の席上でも相当激しくやりあったそうで、船橋が「美的節度の欠如って、どういうことですか」と問えば、佐藤が「それはキミが書いているような小説のことだよ」とやりかえし、その場はかなり険悪な雰囲気になったと伝えられています。 結局「太陽の季節」は芥川賞を受賞して、作者ともどもマスコミを騒がせることになったわけですが、佐藤春夫はその後読売新聞に「良風美俗と芸術家―不良少年的文学を廃す」という一文を寄せています。このなかには「太陽の季節」という作品名も作者名もあらわれないのですが― ともあれ自由と放縦との区別さへつかなくなつたこんな国で良風美俗を足蹴にすることぐらゐは何も立派な芸術家魂を持たないで市井の不良少年が朝飯前にしでかすところであらう。 ・・・と、これは「太陽の季節」について語っているのは明白。 すると船橋聖一が数日後、同じ読売新聞に「文学か道学か―若い世代の才能について―」と題する反論を寄せた。そこでは― 大正時代の春夫氏は・・・無名の一女優E・Y女(当時十八歳)と同棲されて、「病める薔薇」を書き、同六年、E・Y女と別れて、九月M・K女(当時二十歳)と同棲された。 ・・・と、佐藤の過去のプライバシーをことさらにあげつらっています。お歳のせいで自分の不良時代をお忘れになっているのではないですか、というわけです。そして性の遊戯は「源氏物語」から近松、西鶴、花袋、荷風、利一に至るまで描かれており、自分は快楽を邪悪視する思想を現代の迷信として戦い続ける、としています。 で、一週間後には佐藤の反論― 性的なことがいけないと誰が申したか。・・・検閲制度のクソやかましい時代にあれ(注:「太陽の季節」のこと)を書いたのなら僕も少しはその意義も認めたろう。―今日時勢に便乗して得々とあんな書を書くのでなければ。 ・・・そして「船橋の頭ではわかるまいが」と結んでいます(笑) ちょっと大人げないようですが、船橋聖一が佐藤春夫の私生活を暴露的に書きたてていることを考えると、多少感情的になったとしても無理ありません。 客観的にその後の「太陽の季節」の作者の活躍ぶりから、この論争は船橋に軍配・・・というのが当時の一般的な受け取り方でしたが、いまになってみれば、この作家のその後の小説はどれもたいしたことはない、ましてや文学史に残るようなものなどなにひとつない、というのは大方が認めるところではないでしょうか。言っては悪いんですが、船橋聖一もすっかり忘れられた作家となったのは、その残された作品を読めば理由はわかります(笑) さらに、論争というやつは、もともと論争していたお二方とは別なところに波及することがあるのがおもしろい。ここでも、「太陽の季節」は佐藤春夫や船橋聖一とはまったく別な文芸批評家同士の論争を生んでいました。 それが亀井勝一郎と中村光夫の論争で、要約すると、亀井が「賭博的作品の一典型―『太陽の季節』をめぐって」と題する論文で、戦後風潮のひとつとして無節度な若者に神経質な甘い大人が引っかかる、しかし無節度の根底には、当たるか当たらないかという賭博性がある、これは文学の敵だ、と論じたのに対して、それにかみついたのが中村で、真に独創的な芸術作品は賭の性質を持っている、としました。つまり、世間で認められるための作品、その執筆が独創性を生むというわけですね。 この論争はその後亀井の中村個人攻撃にまで発展して、中村は亀井論文の巧妙なレトリックと仕掛けを分析するというものになり、論争としては中村が圧倒的に優位に立っているように世間には受け取られました・・・でもね、私、個人的には亀井に賛成です。つまりこの「太陽の季節」という小説(その創作)は、芸術造りではなくて効果造りでしかないと思うんですよ。そしてそれ以上に、賭の性質―当たればいい、それではどこを狙うか―という(小説であるとの)亀井の指摘は、いまにして思えば、この「太陽の季節」の作者のすべてを言いあらわしているんじゃないでしょうか。その後の行動を見れば、(政治家ですから)まさに当たるか当たらぬかという賭の連続ですよ(笑) 佐藤春夫にしても、「太陽の季節」の作者に「ジャナリストや興行者」を見て、「時勢に便乗」していると指摘しているのはさすがと言うべきではないでしょうか。佐藤春夫は、当時たとえば大江健三郎とか、若い作家の才能も積極的に認めているんですよ。その佐藤春夫が「太陽の季節」とその作者に文学とは異質なものを感じとったのですから、やはり目利きだったんですね。ちなみに、武田泰淳も石原慎太郎のことを「彼は小説家より大実業家になるかも知れない」と述べています。 政治家の資質とは、時勢に便乗する鋭敏げな時代感覚ですよ。昭和31年当時、この新進作家に文学とは別ものの、そんなにおいを嗅ぎつけた佐藤春夫、亀井勝一郎、武田泰淳の眼力にはまったく頭が下がります。そう考えると、「太陽の季節」という小説に関しては、「良風美俗」とか「快楽」なんて、もともと争点ではないんですよ。ところが芥川賞受賞賛成派は肯定的であれ、否定的であれ、そこの部分しか見ていないことがよく分かります。 昨年でしたか、「作家としての石原、現象としての慎太郎―没後1年を機にとらえ直す」というテーマの猪瀬直樹と鹿島茂による対談が「中央公論」に掲載されていました。そのなかで、鹿島茂が次のようなことを言って、猪瀬直樹は「その通りだね」とかなんとか、ほとんど内容のないことばかり喋っています― 小説家の特権とは、時代と同調しないことです。重要なのは予感することなんです。作品が時代に完全に同調してしまうと、時代が終わると同時に作品も滅びてしまう。でも一つの予感として表現していると、時代が終わっても作品は残る。石原慎太郎の天才性はそこにある。予感して書けるのが小説家の特権であり才能で、これがないと本当に通俗作家になってしまう。そういう意味で、彼は通俗作家になることはできなかった。「ならなかった」ではなく「なれなかった」んだ。 ・・・たしかに石原慎太郎の小説は時代と同調するというよりも、「これから売れるもの」を「予感」して、売りさばいたものです。「実業家」「政治家」としての手腕はたしかでしょう。「大衆」の求めるものに「同調」できるんですから。ヒトラーのナチス・ドイツと同じです。言い換えれば、時代の求めるものを、求められるように書いただけ。だから作品は残りません。というか、「作品」ではありません。そもそも「文学」ではない、いっとき、「読者」ならぬ「消費者」に「消費」された「商品」です。もはや過去の低俗・通俗小説ですから、いまとなっては商品価値もありません。道端に落ちていたって、猫もまたいで通り過ぎますよ(笑)流行作家に「ならなかった」のでも「なれなかった」のでもない、芥川賞受賞の前も後も、文学作品としての価値ある小説をひとつも書けなかった、それだけのことですよ。 断っておきますけどね、東京都知事だった頃の石原慎太郎は、私、満更嫌いではありませんでしたよ。しかし、小説家としての存在意義は皆無だし、その書いたものもまったく無価値、今後読み返されて復権することなどあり得ないと断言していいでしょう。鹿島茂も猪瀬直樹も、はっきり言って、文学の読み手としては三流以下です。現代の物書きは批評家精神など持ち合わせていないことがわかります。 (Parsifal) 引用文献・参考文献 「美しき町・西班牙犬の家」 佐藤春夫 岩波文庫 「田園の憂鬱」 佐藤春夫 岩波文庫 「たそがれの人間 佐藤春夫怪異小品集」 佐藤春夫 東雅夫編 平凡社ライブラリー 「維納の殺人容疑者」 佐藤春夫 講談社文芸文庫 Diskussion Kundry:「さんま苦いか塩つぱいか」・・・が有名ですね。 Parsifal:「秋刀魚の歌」だね。高踏的にならないところが佐藤春夫らしい。 Klingsol:「田園の憂鬱」の姉妹篇であり、続篇でもある「都会の憂鬱」もいいよ。それと、「維納の殺人容疑者」が講談社文芸文庫で出ていた。かなり異色の法廷ミステリ・・・のようでいて、たしかにParsifal君の言う「認識小説」だ。一読の価値はある。 Hoffmann:以前「文豪怪談傑作選 特別篇 文藝怪談実話」を取り上げたとき言ったけど、私は佐藤春夫の「化物屋敷」が大好きでね。「たそがれの人間 佐藤春夫怪異小品集」(東雅夫編 平凡社ライブラリー)にも入っているから、これは推しておきたいな。Parsifal君が「小説らしくない小説、怪奇実話めいたエッセイ・・・多くの代表作に引けをとらず、光っている」といった作品が集められている。 Kundry:Conte Fantastiqueというのは言い得て妙ですね。 Hoffmann:だからこそ、文壇からは異端視されて、いまなお正統性を認められていない気味があるんだよね。 |