102 「メトロポリス」 "Metropolis" (1927年 独) フリッツ・ラング




 「メトロポリス」"Metropolis"(1927年 独)は、フリッツ・ラングFritz Lang監督によるサイレント映画。原作は当時監督の妻であったテ・フォン・ハルボウThea von Harbou。1927年というのは公開年で、制作は1926年。ワイマール共和政時代の映画であるということをお忘れなく。なお、「共和政」は「共和制」の誤変換ではありませんよ。


ミニチュアセットを鏡に映し、鏡に穴を開けて背後に置いた実物大の建物の一部を同時にカメラがとらえるという手法。

 storyは―

 紀元2,000年、人口5千万に達した巨大都市メトロポリス。支配者の息子であるフレーダは、ある日大勢の子どもたちと地上に姿をあらわした女性マリアに惹かれて、地下に足を踏み入れる。地下の工場では労働者が過酷な条件で働いている。マリアは労働者と支配者をつなぐ媒介が必要だと訴える。これを知った支配者は発明家によって間もなく完成するロボットをマリアに似せて労働者たちを混乱させようと企む。マリアそっくりなロボットは半裸の踊りを披露して男達を虜にしてしまい、煽動された労働者たちは工場を破壊しはじめて、地下が洪水になる。本物のマリアは残された子供たちを命がけで救い、労働者たちは怒りの矛先をロボットのマリアに向けて、柱に縛り付けて火をつける・・・。

 つまり、重労働に呻吟する労働者たちが、絶対的な支配者に対して反乱を起こすが、厳しく対立する頭脳(支配者)と労働者(手)の間に仲介者(心)が現れてめでたく和解に至る・・・簡単にまとめてしまえばこのような寓話的storyです。

 なんだか、安っぽくてsentimentalで陳腐に聞こえましたか?

 そのとおり。

 テア・フォン・ハルボウの小説及び脚本は、底が浅くて、安っぽいsentimentalismが横溢した陳腐なものです。この映画が価値を有するのはひとえにフィリッツ・ラングの映像によるものです。当時にしてそのあたりを見抜いていたのは、たとえばスペインの映画監督ルイス・ブニュエルで、物語は皮相なセンチメンタリズムと危険な折衷主義と勿体ぶった象徴主義を混ぜ合わせ、これにたっぷり恐怖のシーンを加えた腹立たしいシロモノだが、これはシナリオの責任であるとして、機械のフォルム、建物の威圧感を強調する絶妙な明暗の使い方などの映像の美しさを称賛しています。

 なお、いまテア・フォン・ハルボウの「原作及び」と言わず「小説及び脚本」と言ったのは、どうも小説と脚本は同時進行で書かれたようで、小説に基づいて脚本が書かれたのではないから。小説は映画の封切り(1927年1月)に合わせて刊行されているので、脚本に基づいて小説化した可能性はありますが、ノヴェライぜーションとも言えないのは小説と脚本がかなり異なるためです。

 なお、テア・フォン・ハルボウの小説は、我が国では映画の封切りよりも早く、1928年に秦豊吉の訳によって改造社版世界文学全集の一冊として刊行されています。また1988年には前川道介訳で創元推理文庫からも出ていました。


ブリギッテ・ヘルムとグスタフ・フレーリヒ。付け加えておくと、ヘルムは撮影中に20歳になりましたが、映画内のマリアは16歳という設定。フレーリヒは父親が映画監督カール・フレーリヒCarl Froelich。後にチェコ出身の女優リダ・バーロヴァを巡るトラブルでナチス宣伝相ゲッベルスをブン殴った人。ちなみにゲッベルスはバーロヴァに対してはかなり「本気」だったようで、職を捨ててでも妻マグダと離婚してバーロヴァと国外へ出る覚悟だったのですが、ヒトラーがこれを認めず、やむなくバーロヴァと別れることになりました。

 フリッツ・ラングはユダヤ系オーストリア市民の子として1890年にウィーンで生まれ、画家になろうという夢を持っていたところ、ベルギーのブリュージュで映画を観て、第一次大戦中に映画のシナリオを試作。これがベルリンの映画監督の目にとまってその何本かが映画化され、評判もよかったところ、のちのウーファの総帥となるエーリヒ・ポマーに目を付けられます。自分のシナリオの演出監督を務めたのが1919年。翌年テア・フォン・ハルボウと結婚。DVDでも観ることのできる「死滅の谷」"Der mude Tod"(1921年 独)は彼女との共同執筆です。その後の「ドクトル・マブゼ 第一部・賭博者ドクトル・マブゼ、第二部・地獄」"Dr. Mabuse, der Spieler - Ein Bild der Zeit"(1922年 独)はドイツ表現主義映画の名作と評価され、「ニーベルンゲン 第一部・ジークフリートの死、第二部・クリームヒルトの復讐」"Die Nibelungen : Siegfried, Kriemhild's Reveng"(1924年 独)は、敗戦によるショックから立ち直りつつあったドイツ人に民族の矜恃を取り戻させる、国民必見の映画とされました。

 この評判は大西洋を越えてアメリカにも聞こえ、ラングとポマーはハリウッドに招待されます。これが1924年のこと。ハリウッドでは大歓迎され、ラングが驚いたのはその撮影所の施設にセット、加えて大道具から小道具などの物資。もちろん、自由の女神像や摩天楼の林立するマンハッタン、夜ともなれば不夜城と化す、24時間目覚めて活動している街、その自動車や地下鉄、ビルのエレベーター、盛り場のネオンの洪水もまた、強烈な印象を残したようです。

「ネオンの光りであたかも真昼のように照らされた通り、ネオンの光の上には巨大な光の広告があり、それが動き、回転し、明滅し、螺旋状になり・・・それは当時のヨーロッパ人にはまったく新しいもので、ほとんどお伽噺のようなものだった」

 同時に、ニューヨークの街を歩いて、人々が奴隷のように生きているという印象も持ったということです。そうしたことについての映画をハリウッドが作るとも考えられず・・・。


たしかに、労働者の行進はアウシュビッツを連想させるし、群衆の幾何学的・装飾的な動きはナチス的な統制を思わせるところがあります。ちなみに労働者を演じているエキストラはベルリンの失業者たち。図らずも、失業者があくせく働いている演技をしているという皮肉になっているんですよ。

 もう、おわかりですね、このアメリカ体験が「メトロポリス」における未来都市に反映されているばかりか、そもそもの制作の動機ともなっているのです。この構想を聞いた妻テアはさっそくシナリオを書き始め、1925年5月22日にウーファが総力を挙げて取りかかったのが超大作「メトロポリス」というわけです。

 主演のマリアと女性ロボットの二役にはフリギッテ・ヘルムを抜擢、フレーダには二枚目俳優グスタフ・フレーリヒ。いずれもまだまだ駆け出しの新人。


表情や動作はやや大げさなのは、サイレント時代だから。

 「メトロポリス」は、ロボットがはじめて銀幕に登場した映画としても有名ですが、この男性を悩殺せずにはいない女性ロボットと、人間愛を体現するかのような清純な乙女を一人二役で演じさせたのもいいアイデアです。テストを受けた際、ラングから「君は主役を演じるのだ」と言われ、「嬉しくて・・・でも、もし私がうまくできなかったら?」とこたえたところ、「その時は私が君をたたき出すさ!」と返されたブリギッテ・ヘルムは、この両役を見事にこなして大女優に。グスタフ・フレーリヒもこの「メトロポリス」でその人気を不動のものとします。


ブリギッテ・ヘルムはふたとおりのマリアでは、清純派よりも妖艶なヴァンプの方が演じていておもしろかったと言っています。やっぱりね(笑)

 もちろん、フリッツ・ラングの映像へのこだわりがすべてを決したといってもいいもので、地下街の洪水シーンは6週間かけて、そこで右往左往しているのは、スタッフが「痩せ細った子供でなければいけない」と、貧民街から連れて来た500人の子供たち。民衆に恐怖の表情を作るように命じた際は、水を浴びせて、その表情のクローズアップを繰り返し撮影するために、カメラはブランコに載せて振り子運動。リアリズムを追求して、セットは本当に爆破する・・・。使われたネガ・フィルムは62万メートル、ポジ・フィルムは130万メートル、主役級を除く端役は750人、エキストラは男性25,000人、女性11,000人、子供750人、黒人100人、中国人25人、支払った報酬が160万マルク、衣装代200万マルク、靴が3,500足、鬘75個、特注の自動車50台。なにしろ1,500人のエキストラの頭を禿頭に剃るために雇われた理髪師が150人というのですから・・・。ただし、ウーファの発表は宣伝効果を狙ったものと思われ、じっさいよりは大きめ数字と思われます。じっさい、フリッツ・ラングが6,000人の労働者のエキストラを要求したところ、ウーファの経営幹部は1,000人しか認めなかったというエピソードもあります。

 総費用額は500万マルクから1,300万マルクまで諸説あるのですが、いずれにせよ、ウーファはこの映画によって栄光を得たと同時に衰退の道を歩むこととなりました。結果的に、その費用の捻出に耐えかねて、ハリウッド資本の軍門に下ることに―。


はじめて観たときはさすが・・・と思ったんですが、ちょっとしつこいくらい繰り返されます。

 そのあたりのことは別として、映画の出来は? これは先のルイス・ブニュエルの批評が簡にして要を得ているところですが、管理社会の上下関係、その軋轢というものは、「頭脳」と「手」の間に「心」・・・などという道徳問題ですませられるものなのか。当時でさえ、このテーマに関しては「幼稚」との批判を受けているんですよ。テア・フォン・ハルボウは、たしかに当時ベストセラー作家でした。しかし、後にナチズムに共鳴してラングとはさっさと離婚したからいうわけではないんですが、あくまで大衆の求めるものを嗅ぎ分けて、時代の流れに迎合しているだけのように思えます。以前、取り上げたハンス・ハインツ・エーヴェルスと似た性向で、しかもエーヴェルスよりも一段も二段も落ちる。


地下の洪水シーンは正味10分間ですが、撮影には6週間かかりました。なお、2週間と書いてある本がありましたが、ブリギッテ・ヘルムも、6週間もの間腰まで水に浸かっていなければならなかった、と証言しています。

 この後、テアはナチスに共鳴して、ラングはユダヤ人であることから身の危険を察知して亡命したわけですが、そのいきさつはまた機会があればお話しすることとして、ふれておかなければならないことがあります。すなわち、ラング夫妻の共同作業によるこの映画が、ヒトラーの政権獲得を側面から援護したのではないか、その映画の手法は第三帝国の宣伝手法にヒントを与えたのではないか、と指摘する声が上がっていることです。

 たしかに、群衆シーンなどはナチのニュルンベルク党大会と理念及び様式の双方で共通するものがあり、威圧的なビル群やスタジアムも同様。労働者が隊列を作っての行進はアウシュビッツの囚人を思わせ、「永遠の花園」は親衛隊高級将校用の慰安クラブを連想させます。いや、思えばそもそも「ニーベルンゲン」が、北方人種の優位性を讃えたものでしたね。

 これはね、私はむしろナチスが「メトロポリス」を模倣したというか、ある種の指標にしたんじゃないかと思うんですよ。ドイツ青年運動を苦々しげに批判しながら、その本質はともかくとしても、すくなくとも表面的なシステムはヒトラー・ユーゲントなどに取り入れ、吸収して、ナチス色に染め上げているじゃないですか。これも同じ。キリスト教における信仰告白式やキリスト受難劇にしても、古代ギリシアに端を発する祭典であるオリンピックにしても、これを巧みに取り入れたり利用したりして、「伝統」のないところに「伝統」を作りあげてしまうのがナチスのお家芸。これはレニ・リーフェンシュタールの「オリンピア」についてのParsifal君のお話を参考にして下さい。


エキストラの証言によれば、消防隊が控えているなか、ヘルムが縛り付けられている柱に本当に火がつけられたそうです。また、ロボットが動いているとき、その中に入っていたのはスタントではなく、ヘルム自身で、そのプラスチックと木でできた暑苦しい甲冑内での撮影には9週間かかったとか。また、フレーリヒが彼女の腰をつかんで梯子を降りるシーンでは、12回目で嘔吐して気絶。ラングは陰で「サディスト」と呼ばれ、彼女は後に、フリッツ・ラングとは二度と仕事をしたくないと言っています(笑)


※ なお、今回私が観たのは紀伊國屋書店から出ていたCritical Edition版DVDです。このほか、KINO VIDEO版(これはほぼ同じ内容)、2008年にアルゼンチンで発見されたネガ・フィルムによる最長の「完全復元版」のBlu-rayも所有していますが、あまり細かいことは気にしなくて大丈夫・・・というか、「完全復元版」の中古価格はさすがに高すぎるんじゃないでしょうか(よってlinkは貼りません)。



(Hoffmann)



参考文献

「メトロポリス」 テア・フォン・ハルボウ 前川道介訳 創元推理文庫


 中公文庫版(新訳)


「ドイツ映画の偉大な時代 ただひとたびの」 クルト・リース 平井正・柴田陽弘訳 フィルムアート社