122 「裏面 ある幻想的な物語」 アルフレート・クビーン 吉村博次・土肥美夫訳 白水Uブックス アルフレート・クビーンAlfred Leopold Isidor Kubinは世紀転換期の幻想芸術家のひとり。1877年にオーストリアに生まれた画家。もう少し正確に言うと、版画家、挿絵画家です。「裏面」は1908年に発表された、クビーンが残した唯一の小説で、わずか12週間で書き上げられたと言われています。 Alfred Leopold Isidor Kubin 語り手の友人パテラが莫大な富を得て、アジアの奥地、天山山脈の麓に建設した理想国家「夢の国」の、崩壊に至るまでを語る物語です。 その夢の国ときたら、語り手によれば「中欧のどこにでもある都市と似たりよったり」。大きな川の流れがあって、その片側は荒廃した夢の国、もう片側は高貴な種族の末裔たる碧眼の人々が住んでいる地区・・・その対岸に住む人々にしても、より高みに登ろうとするような、一切の希望を体現することはない。その国家の見取り図はあたかもプラハの街なんですよ。首都ペルレに至っては、憂愁をおびた暗い表情をうかべて、生彩のない単調な姿をして貧しい地面から生育してきたような街。もう、ゲットーとしか思えないような地区もあり、家並みが通りへ斜めに、不揃いに張り出していると言われると、ドイツ表現主義映画「カリガリ博士」を連想するなという方が無理な話。と言っても、もちろんこちらの方が先。 物語の中心軸は、この「夢の国」の建設者パテラとこの国を簒奪しようと企む、フィラデルフィアからやって来た大金持ちのアメリカ人(!)ハーキュリーズ・ベルの対立。「パテラ」とは元来「犠牲の血を受ける皿」の意。つまり神なんですね。対する、パテラへの反抗を呼びかけるハーキュリーズ・ベルが組織する団体の名称は「ルーチファー党」。 ところが、パテラの建設した国こそが荒廃しており、ベルの反乱の呼びかけこそが「緑や光を、未来の光を呼び戻せ」というもの。 もうわかりますよね。世紀末の失われてゆく過去がパテラ、新たな資本主義時代の合理的精神をあらわしているのが、アメリカ人ベルなんですよ。進歩的なものに対する反感です。進歩的とひと言で言ってしまいましたが、つまり高度資本主義、帝国主義、植民地主義。対する「夢の国」は美しい理想国家とは到底縁遠い、薄汚い都市、すなわち反ユートピア。だいいち、家具、調度、衣装などのすべてが1860年代のもので、新しいものは許されない。1860年代というのは近代資本主義から高度資本主義時代への転換期。つまり、古(いにしえ)の街の再現なんですよ。 ところが・・・と言うか、しかも、それでいて・・・と言うべきか、宮殿で語り手が面会しているそのさなか、パテラは仇敵であるはずのアメリカ人の変身するのです。つまりこの二極対立と見えたものが、じつは一体のものであったのです。 表裏一体・・・と言えば、勘のいい人はお気づきでしょう。この「夢の国」、反ユートピアは、あたかも悪夢の世界、つまり無意識領域の闇なんですよ。その証拠に、常に厚い雲がたれこめて太陽も月も星も出ないのに、空気は暖かく柔らかく、居心地がいい。胎内回帰ですよ。これは無意識の世界へ下ることの暗喩なんです。 技術と進歩を体現するアメリカ人は、そのフロンティア・スピリットで「夢の国」を奪い取ろうとパテラ打倒を呼びかける。するとペルレ全市は眠りについて、語り手たちが再び目覚めると、動物や虫がはびこり、街は腐敗しきっている・・・ここから先は世界の破滅にまっしぐら。語り手のはそのカオスな状況をただひたすら眺めて、観察しているだけ。 この小説の最後の1行は次のとおり― 造物主は半陰陽(Zwitter)なのである。 「半陰陽」といえば両性具有のことなんですが、ここは"Zwitter"すなわち「二重存在」と理解して下さい。この、矛盾した二極対立するものが、じつは一人二役で我々の無意識下に存在する・・・それこそがこの「夢の国」という地獄であり、文明と自己の間で引き裂かれた人間の置かれている場所なのです。この小説について、寓意的 allegorical と評されることがありますが、ことばの正しい意味での「超現実」(徹頭徹尾、現実)なのです。言い換えれば、現実の本質を描いたものと言っていいでしょう。謂わば、世紀末の資本主義の基本原理である合理主義への懐疑から、幻想家たる眼差しを持った芸術家が、その追いつめられた精神的状況を描いたもの。 クビーンは以前取り上げたグスタフ・マイリンクの「ゴーレム」のためのイラストを描いて、これを自作の挿画に転用しているため、若干の先入観もあって、「裏面」には「ゴーレム」との類似を感じさせられてしまう。ところが、マイリンクの場合はその闇の中に一条の光(希望)を描いているところ、クビーンはそのような理想を未来に託することはありませんでした、違いといえばそこ。「超現実」幻想小説という点では、グスタフ・マイリンクよりも、カフカとの親近性が明らかです。 (Klingsol) 引用文献・参考文献 「裏面 ― ある幻想的な物語」 アルフレート・クビーン 吉村博次・土肥美夫訳 白水Uブックス 「対極 デーモンの幻視」 アルフレート・クービン 野村太郎訳 法政大学出版局 ※ 上記「裏面」の別訳。私が最初に読んだのはこちらでした。副題の「デーモンの幻視」というのは、クビーンの僚友であった画家カンディンスキーの、この小説に対する評言からとられたもの。 "Die andere Seite Ein phantastischer Roman" Alfred Kunbin edition spangenberg im Ellermann Verlag ※ 「裏面」の原書。 "Aus meinem leben" Alfred Kubin edition spangenberg im Ellermann Verlag ※ 「我が生涯から」 クビーンの自伝。 Diskussion Prsifal:出版当時、かなり好評を持って迎えられたらしいね。 Kundry:今回初めて読んだのですが・・・観念小説のようでいて、やはり画家の性向があらわれるのでしょうか、この作者は幻視家というか、ある種の見者ですね。ちょっと、テオフィル・ゴーチエを思い出しました。 Hoffmann:たしかに、架空旅行記としても読めそうだ。なんとも異様な世界の見聞録だけど・・・。これはKlingsol君が指摘したように、アレゴリーじゃなくて物事の本質を見据えているんだ。だから哲学的瞑想なんかではない。 Klingsol:まさにカフカ的だよね。悪夢が世界を映している。 Hoffmann:法政大学出版局から出ていた「対極」の表題も悪くない訳だと思っていたんだけど、やっぱり「裏面」のほうがふさわしいかな。原題は"Die andere Seite"だからね。 Kundry:それはパテラとハーキュリー・ベルが一体のもの、表と裏とみるか、対立項とみるか・・・という違いでしょうか? Klingsol:それもあるかも知れないけど、おそらく、最後の1行― Der Demiurg ist ein Zwitter. この"Zwitter"をどうとらえるかの問題じゃないかな。 Hoffmann:ところで、クビーンの画集を持っているので、今日持ってきたよ。E・T・A・ホフマンやエドガー・アラン・ポオ(b041、b061)の挿し絵が入っている。 Alfred Marks "Der Illustrator Alfren Kubin gesamtkatalog mit 2361 Abbildungen" edition spangenberg im Ellermann Verlag から― |