129 「魅惑する帝国 政治の美学化とナチズム」 田野大輔 名古屋大学出版会




 「ナチズムの美学 キッチュと死についての考察」 ソール・フリードレンダー

 ナチズムの美学といえば、これまでにHoffmann君やParsifal君の話にも出て来た国民祭祀(カルト)とその利用の手法によくあらわれているところです。たとえばレニ・リーフェンシュタールの記録映画「意志の勝利」"Triumph des Willens"(1934年 独)に映されたナチスの党大会における、何十万人もの党員たちが繰り広げる一糸乱れぬ幾何学的な動き。個々人が全体という抽象性のなかの一要素として取り込まれている情景。このような世俗儀式を巧みに利用して、政治を美学化したのがナチズムです。ここでいう美学化というのは、イデオロギーを視覚化して表象化させることにより、政治をあたかも芸術作品に昇華させて大衆の支持を取り付けるための手段です。

 キッチュと死というふたつの契機こそがナチズムの美学を理解するのに重要であるとしているのが、ソール・フリードレンダーの「ナチズムの美学 キッチュと死についての考察」。キッチュと死を結びつけているのが、古代祭祀を再現した疑似宗教性であるというのが著者の主張です。神話世界へのノスタルジーのなかで死は様式化されてキッチュとして、大衆には美学的なものとして受け入れられやすくなる、ということ。

 これがこの文庫版解説にあるように、「まったく新たな視座」であったのかどうか。原著は1882年の刊行ですが、この時点でナチズムのキッチュ性を指摘していた例がほかにあったのか、なかったのか、私は未確認です。ただ、たしかにこの頃からナチズムを論じる際に、そのキッチュ性というテーマが取り上げられるようになった模様です。

 また、この本においては、若干歴史的考察が不足している気味があります。さらに、キッチュの魅惑性をもっぱら否定的に「幻想」としてとらえており、単なるイデオロギー操作による「大衆欺瞞」と結論付けてしまっているのは、問題を矮小化させてしまってはいないでしょうか。

 いまや、ナチス時代における政権が支持して推し進めた芸術は、概ねキッチュであったというのは衆目の一致するところ。ナチズムにおいては美術分野でも、建築、音楽、映画、舞台芸術のいずれでも同様。ことに美術分野での作品は、いまの目で見ればほとんど場末の安っぽいポスターのレベルです。ただ、これは多少とも、ワイマール時代からの延長という面もあったようにも思えます。

 「死」に関しても、儀式というものの厳粛さが人々の心をとらえるために必要とされる要素としては、「死」ほど最適なものはありません。しかし、これはナチズムに限った話ではない。その「死」は、もちろん現実の「崇高な死」ではある必要はありません。ナチス党歌で有名なホルスト・ヴェッセルの死なんて、じっさいにはゴロツキの痴話喧嘩レベルの出来事ですよ。これが共産党員に殺されたとして殉教者に祭りあげられる。これがゲッベルスの「死」の演出第一号。闘争が激化すると党葬も増えていった。その際は必ず鉤十字が翻っていました。1932年の突撃隊レッピヒの葬儀なんて動員数4万人で、鉤十字の吹き流しを付けた飛行機が飛び回っていたのですから。

 さらに言えば、このナチ党のシンボルである鉤十字にしても、制服の記章、勲章にしても、キッチュそのもの。もちろん、それは身につける者に対しては、個々人を没個性化させて権威に同化させるための機能を持つものであり、見る者(大衆)には権威への畏怖と信仰をもたらすものであるわけです。


Paul Joseph Goebbels

 ゲッベルスによる「死」の演出は天才的ですよ。スターリングラードの敗北(1942年)以降、戦況が悪化してきた後、それまでの戦勝の報道から一転して全面降伏の惨状を特別発表した際は、既に国民が報道を信用しなくなっていることを見越しており、ドイツ兵たちの国葬の準備をしているんですから。

 そのように、「死」などという、いかにもロマン主義的なモチーフを利用していながら、とられているスタイルは伝統的で、新古典主義なんですね。そういった傾向は、たとえば建築分野でもアルベルト・シュペーアの「誇大妄想の建築」にもあらわれています。伝統のないところに伝統を作り出す手法のひとつと言っていいでしょう。


 「魅惑する帝国 政治の美学化とナチズム」 田野大輔

 この本は、第三帝国において「総統」として君臨したヒトラー、「労働者」として彼に従った大衆、そうして両者によって形成された「民族共同体」という3つのモチーフから、第三帝国を「芸術作品」ととらえて論じたものです。考察されているのは民族共同体というもののimageと現実の関係、第三帝国という芸術作品の分析をするためのナチズム美学と文化政策。ここで、ナチズムが提示した古典的な美の理想が消費・余暇文化のなかでキッチュ化されて大衆に浸透していった経緯が跡付けられています。さらに考察は、「総統」のimageがキッチュと結びつくことで「親密さの専制」という支配体制となったこと、「労働者」のimageがその文化・社会政策との関わりによって大衆消費社会・業績主義社会を導いたことに至っています。

 どうも、ソール・フリードレンダー(この本の中では「サユル・フリードレンダー」と表記)の著書がベースにあってこれを補完しつつ、ナチズムにおける「政治の美学化」の諸問題を検討しているようですね。

 ナチス・ドイツに先立つワイマール時代には、既に大衆消費社会になりつつありましたから、ナチズムはその通俗的な文化様式を「キッチュ」と呼んで、攻撃していたんですよ。槍玉に挙げられたのは「頽廃芸術」なんて呼ばれたものがそれ。

 そもそも、なにをもってキッチュKitschと呼ぶのか。教科書的に定義すれば、大量生産によって真の民俗芸術を粗悪なものにしたり、悪趣味に、曖昧な感覚で利用したりすることから生じるもの、ということになります。観光地の土産物屋に並んでいる置物なんかがいい例です(笑)

 しかし、定義が曖昧ですよね。だから攻撃対象が定まらない。それにナチ党宣伝指導部は、大衆の心に訴えるにはキッチュの「表面性」「甘美性」「安易さ」を利用した方がいいと認識していました。そして大衆レベルで実践した。ナチスのキッチュ性は図らずもキッチュとなったのではなく、意識的に利用されたものであり、またそれ以上に、ナチズムがキッチュを志向していたと見るべきなのです。大衆消費財といえば即物性。規格製品の形態にあらわれた大量生産の画一性は、私益よりも公益を重んじる民族共同体のイデオロギーのなせる技。だからナチズムは近代化の一般的な傾向、大量生産・大量消費社会に向かったというわけです。


Adolf Hitler

 さて、ドイツ国民はそんなにヒトラーに、またナチ党に期待していたのか、いつまでも期待し続けていたのか・・・。

 たしかに政権獲得時にかなり期待していたのは事実です。ところが、1年も経つと、かなり幻滅に変わっていたようですね。公約であった失業の解消は一向に進まず、失業者は相変わらず400万人を数え、物価は上昇、半ば強制的な募金活動・・・ナチ当局の報告にも、「住民の情勢は依然として憂慮すべき状態」とあります。党の集会や催しに関しては、意外に思われるかも知れませんが、自由参加で強制ではありませんでした。だから集まりが悪い(笑)

 ナチ体制が4年めとなる1935年から1934年にかけての冬にもなると、状況は一段と悪化。しかし、これがおもしろいところで、ナチ党に対する不満が、すなわちナチ体制への不満とはならないのですね。これはヒトラー崇拝が根強かったから。1934年6月に「長いナイフの夜」と呼ばれる、エルンスト・レームをはじめとする突撃隊(SA)粛清事件がありましたよね。もちろん非合法な大量殺人なんですが、これをドイツ国民はヒトラーの断固たる措置と受け取って歓迎しているんですよ。つまり、不満はナチ組織、その幹部連中の腐敗に対するものであって、それをヒトラーが押さえつけてくれるものと信じていた。だから突撃隊の粛清でヒトラーの人気は上昇しているのです。

 もちろん、ゲッベルスあたりが日頃からヒトラーを党利党略を超越して国民全体のために奉仕する清潔な政治家として演出していたということもあります。なので、日常の不満がヒトラーやナチ体制への不満とはならない。幹部連中の腐敗ぶりに引き替え、ヒトラー総統の立派なことよ・・・。つまり、ヒトラーに対して、自分たちの願望や期待を投影し続けることができたわけです。

 話をナチスドイツに戻すと、国民がヒトラーに対してなにを期待したところで、議会政治はとっくに解体されてしまった。言論統制です。そのくせナチ党は、総統はすべての国民の声に耳を傾ける、官僚機構を飛び越えて、直接ヒトラーに訴えることができる・・・なんて言っている。じっさい、総統代理のルドルフ・ヘスは1934年に「すべてのナチ党員、すべての民族同胞に、総統への道は開かれている」と宣言しています。

 これが、どうのように作用したか、わかりますか?

 ゲシュタポが国民生活の隅々まで監視の目を光らせていて、いつ、なにが理由で強制収容所に送られるか分からない、というゲシュタポ神話がありますよね。ところが、そのようなゲシュタポ万能説には、現在では疑問が呈されています。なにより人数がそんなに多くはない。とくに地方では慢性的に人員不足で、寄せられる情報の処理で手いっぱいでした。

 じつは、いたるところで監視の目を光らせていたのは、ほかならぬ国民自身だったのです。ゲシュタポを機能させたのは、国民の「密告」でした。しかも、体制への忠誠心から寄せられた政治的密告よりも、私的な動機に基づく密告の方が多かった。私的な動機の35%が隣人間の紛争、19%が家庭内のもめ事(笑)、職場関係が6%、商売上のライバルの排除が7%、経済的動機が9%でその他が24%。つまり、ゲシュタポは個人的な問題の処理に利用されていたということです。ヴュルツブルクのゲシュタポの記録では、ユダヤ人との交際や性的関係の密告が175件あったのですが、そのうち75件は根拠のない偽情報。意図的に他人を陥れるために、国民が密告という形でゲシュタポを利用していたのです。

 一方で、政治的な動機による密告はというと、そのピークは1935年、1938年、1942年です。いずれもナチ体制危機の年で、またユダヤ人などの少数派に対する攻撃が高まったとき。つまりナチスが国民の不満をそらすために反ユダヤ攻撃を強めると、国民はこれに手もなくのせられて片棒を担いだ、ということです。

 密告によって国民相互の結びつきが切断されてゆく・・・そのように考えると、エーリヒ・フロムの「自由からの逃走」もそれなりの説得力をもって迫ってくるのはたしかですね。


 ナチスの文化政策について

 ・・・と、この表題で少し語ってみたいと思ったのですが、どうもいい本がない。私が知らない・持っていないだけかもしれないので、なにかいい本があったら教えて下さい。

 それでも、少しばかりお話ししてみましょう。

 以前、Hoffmann君が、歴史上の既成宗教は、神秘の領域と物質的な領域と、そのいずれに軸足を置いているか、いずれに、より重点を置いているか、その重点のかけかたの程度によって、相違が生じているに過ぎないとして、キリスト教は神秘の領域に重点を置き、マルクス主義はほとんど完全に物質的領域に立っており、審美の領域に関しては盲目も同然だったとしていましたね。

 これにはまったく同感で、正統派マルクス主義というのは、文化とか芸術を経済的土台だけでとらえています。その経済的土台と階級闘争の進歩と反動だけで分析して、文化や芸術作品の良し悪しを決めてしまう。それに加えて、その文化を政治闘争にどのように引き入れるか、利用するか、という見方しかしていない。それがよくあらわれているのが、旧ソヴィエトにおける芸術作品の検閲であり、たとえば作曲家ショスタコーヴィチの扱いであるわけです。

 しかもその見方だと、帝国主義と金融資本の支配する「末期的」資本主義社会では、文化のすべてが腐敗して堕落しているということになる。その資本主義社会では、表現主義とダダとかシュルレアリスムが、既存の文化のみならず社会全体に対して抵抗と抗議の姿勢を明確にして、作品をもって問題提起をしていたのですよ。ところが経済的土台しか見なければ、すべては帝国主義の落とし子であって、ブルジョワ的腐敗の産物だということになる。これは戦後の我が国の「進歩的文化人」にも共通する認識で、とくにクラシック音楽評論の分野では、共産圏はいい、アメリカはダメ、の一色に塗りつぶされていました。だいたい、1970年代までそんな感じでしたよ。

 単純ですよね。それでオール否定できるんだったら、フッサールもハイデッガーもお呼びじゃなくなる。そんな発想がいかにピントはずれであったかということは、ファシズムの台頭の前には無力であったことからも明らかです。経済的状況からすれば、社会主義が実現するはずのなのに、そうはならなかった。ところが正統派マルクス主義は反省ということを知らないので(笑)いやいや、ナチズムは敗北したじゃないかとニンマリ笑って、独自路線を突き進んでいったわけです。我が国の左翼の教条主義的啓蒙も同じこと。そしてその崩壊が先延ばしにされた(だけ)。

 政治というものは、たしかに経済の影響を受ける、というか、経済に対する指導力を持つものなのですが、しかしそれだけではありません。ナチズムを例にとると、大衆に提供したvisionは経済面のそれも大きいものの、大衆文化面を無視することはできません。それがあったから、ナチスは大衆の支持を得たのです。逆に、我が国の政治家は文化なんてものにはてんで無関心で、国民にvisionを示すことができないから、いつまでたっても大衆の支持を得られない。

 とは言っても、ナチスの文化(理解)がすぐれていたなどということはまったくなくて、ナチスの文化政策は浅薄なものです。ところが、それでも、大衆は浅薄なレベルにしかついて行けないから、それでよかった。これ、大衆を莫迦にしているのではありませんよ。いまの時代だって、たくさん売れる・消費される、つまり経済的土台のしっかりしたものがいいものであるとは限りません。売れるものがいいものだと言うのなら、コカコーラは世界一すぐれた飲み物だということになります(笑)

 ナチスの文化政策に関しては、相対的にとらえてみるとわかりやすい。つまり、ワイマール体制下の文化にはvisionらしきものがなかったのです。袋小路。なぜか。ワイマールはソヴィエトのプロレタリア独裁制度には否定的だった、フランスの形式主義的民主主義にも否定的だった・・・否定、否定、そればかり。アンチテーゼはあるけれど、そもそものテーゼがない。おまけに第一次世界大戦後ですから、大衆にとっては、ワイマール体制は敗戦によってもたらされたものであって、押しつけられたものと見えていた。だれかが望んでこうなったわけではないと。ワイマール体制の方も、大衆を自分の方に振り向かせようという視点がなかった。だから政治政党もあったし、その基盤となる労働組合もあったのに、ファシズムの前には手も足も出なかったのです。

 ひとつには、ドイツ共産党がその文化政策で、ワイマール期の文化の潮流、たとえば表現主義も新即物主義Neue Sachlichkeitもバウハウスの運動も、その胎動の段階で潰してしまったから。その結果どうなったかというと、文化政策の画一化が大衆の画一化をもたらして、なんともご丁寧なことに、ナチスによる画一化のお膳立てをしてしまったのです。共産党というのは、日本もドイツも、ソヴィエトのコピーなんです。もちろんドイツでの赤色革命路線はその後行き詰まっていくのですが、そもそもがソヴィエトの(劣化)コピーで、自国ならではの状況に、自発的に対応していくことなんかできませんから、ナチスが台頭するより以前の段階で、ドイツの社会主義革命などというものは、もう不可能になっていた。

 そこに登場したのがナチスの反動的文化政策です。これが画一化された大衆の感性を通して提起されたことによって、その効果を発揮したわけです。共産党は国家を重く見て、「国家」対立の問題をいちばん上に持ってきていた。ところが、ナチスはナショナリズムのナショナル(ドイツ語ではナチオナルNational)を「民族」対立とした。これがもともと歴史上あったヨーロッパの風土病である反ユダヤ主義と結びついて、仮想敵を作ることによって、画一化された大衆を、さらにひとつにまとめてしまった。ナチ党の党名は国民社会主義ドイツ労働者党、NSDAP、すなわちNationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei De-Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiです。国家(民族)と社会主義と労働者のゴッタ煮状態ですよ。ずいぶん強引というか、インチキな名称です。これが、大衆の心に訴えてしまったということは、帝政ドイツと第一次大戦とワイマール(それにヴェルサイユ体制)を経た大衆に、民族の自決と解放を夢見させたということです。これは、ソヴィエト(スターリン)が実現できなかったことなので、それと比較して相対的に見れば、そういうことだったんじゃないかなと思うわけです。

 ナチスはいかにもな通俗文化を党公認の純正芸術として、片や表現主義なんかを頽廃芸術としましたよね。これはどう考えても価値の逆転。これは、謂わばサブカルチュアの称揚なんですよ。でも、それは表現主義やダダが既にやっていたこと。ところがそれにはブルジョワだの反動だのとレッテルを貼って否定しておいて、同じことを集約的に、画一化して行っているのが、ナチズムなんです。だから、ワイマール文化にしても、表現主義にしても、そこにはナチスにつながっていくものがあったのではないかと言われてしまう。じっさい、そうなのか、あるいはナチスが画一化して再利用しているから結果的にそう見えてしまうのか・・・。

 先ほど、ナチズムにおける文化とか芸術はキッチュ、あるいはキッチュ化されたもので、図らずもキッチュとなったのではなく、意識的に利用されたものであると言いましたよね。どうも、大衆消費財となることによって、その画一性に民族共同体のイデオロギーを備えさせるのがナチズム流だったのではないか。大衆消費財というのは、たとえば映画。プロパガンダを進めていくうえで、たいへん重要な新興メディアです。道具は新しいのですが、文化政策そのものは、表面はそれまでに見慣れたものを模倣するわけです。表現主義もそうだし、ギリシア・ローマの伝統も、ゲルマン神話もみんなそう。そこにイデオロギーを内在させる。そのやり口は、階級闘争や国家間の対立を、民族闘争にすり替えること。それがナチズムのキッチュ性の正体なのではないでしょうか。


(Klingsol)



引用文献・参考文献

「ナチズムの美学 キッチュと死についての考察」 ソール・フリードレンダー 田中正人訳 ちくま学芸文庫


「魅惑する帝国 政治の美学化とナチズム」 田野大輔 名古屋大学出版会


「大衆の国民化 ナチズムに至る政治シンボルと大衆文化」 ジョージ・L・モッセ 佐藤卓己・佐藤八寿子訳 ちくま学芸文庫




Diskussion

Parsifal:多くの人々・・・つまり大衆がファシズムの陣営に走ったのは、ある種の俗物性だよね。崇拝すべき英雄を求めて、日常生活に非日常を求めた・・・それは異常なものなのに、「新しい政治」「新しい生活」として、嬉々として受け入れてしまったんだ。

Hoffmann:秩序だった生活よりも高揚感を求めたわけか。

Parsifal:むしろ、新しい秩序だと受け取ったんだろう。もちろん、ドイツ青年運動に代表されるような、ブルジョア文化に対するアンチもあったと思う。現状こそ無秩序と感じていたんじゃないかな。だから整然とした様式のなかに身を置きたかったんだよ。

Hoffmann:ヴェルサイユ体制の閉塞感を打破したいという思いもあっただろうからね。

Kundry:政治性を帯びた神話と祭祀(カルト)の威力はたいへんなものですね。


Parsifal:以前話したヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンがひとつの規範というか、そのギリシア芸術の美がかなりお手本とされているんだよね・・・あ、そういうところがキッチュなのか(笑)

Klingsol:ゲルマン神話そのものが、言ってしまえば世俗宗教だからね。それを国民とか民族と結びつけて、ドイツ人の理想型としておいて、国民的祝祭の行事に利用した。シンボルなんて、それ自体がキッチュだと言ってもいいだろう。

Hoffmann:古典主義的様式とゲルマンのロマン主義の融合だな。じつは演じられたもの―演出に過ぎないものなんだけど。そもそもロマン主義は神秘性と非凡さを旨としているんだから、うまいところに目を付けたものだと思うよ。

Kundry:ナチス時代の記念碑とか建築物の壮麗さと巨大さって、あれはやっぱり後期ロマン主義の残滓とも言うべきものなんでしょうか?

Klingsol:むしろ、エジプトのピラミッドとかインド文化の模倣だよ。近代建造物の脆弱で矮小なimageへのアンチテーゼだ。

Kundry:ピラミッドですか・・・やはり死とか葬礼のシンボルですね。

Klingsol;聖火もそうだよ。オリンピックだけじゃない、ドイツの式典といえば、19世紀以来、丘や山上に火の祭壇を作って飾灯するのが常だったから。もちろん、神への賛美であり、悪魔と戦うためのもの、闇に対する光の勝利だ。炎というのは、太陽崇拝に結びつく、天上、宇宙に由来するものなんだよ。中世どころか古代からの政治的シンボルだ。

Hoffmann:例の1933年の焚書もその効果のほどが知れようというものだね。

Parsifal:ドイツ国民に押しつけたのではない、煽動したということが重要なんだと。つまり、これで大衆は自らナチズム(ファシズム)国家の国民となっていったわけだ。

Klingsol:ヒトラーは1935年のニュルンベルク党大会で、国民が自らの記念碑を打ち立てるときにのみ、歴史は真に注目に値する国民を見出す、と言っている。それでいて、ヒトラー自身が国民的祭祀儀礼を創出したわけではない。ヒトラーはナチ運動の祝典に直接口を出すことはなかったんだ。じつは古代ゲルマン風の家とか衣装とか、そうした擬古主義を莫迦にしていたんだよ。

Hoffmann:そういった「演出」は他人の手に委ねていたわけだね。具体的にはゲッベルスか。

Klingsol:ヒトラー自身は若き日に馴染んだウィーンの古典主義的な簡素さを好んでいたようだね。


Parsifal:それでいて、ヒトラー個人の美学と折り合いを付けて、古典主義とロマン主義を融合させた様式で国民の心をつかんだ宣伝相ゲッベルスの手腕は驚くべきものだね。

Hoffmann:ヒトラーだって、擬古主義を軽蔑していたわりにはワーグナーの楽劇を好んで、若い頃には「トリスタンとイゾルデ」の舞台背景までデザインしているんだからね。ナチスの美学は首尾一貫しているけれど、ヒトラーの美学というのは定義しにくい。やっぱり、あくまで政治家なんだよ。

Klingsol:ゲッベルスのことを言うと、芸術批評を廃止して民衆に判定を委ねると言っている。当時も知識人の間から、ヒトラーの趣味が幼稚であるという声が上がっていたことはよく分かっていたんだろう。それでも、ナチ芸術とナチ文学は人気があったんだから。伝統的な民衆の理想に合致していたんだよ。


Parsifal:いまだってそうしたキッチュ性による大衆扇動はあるよ。大衆扇動の効果を担うものは案外と陳腐なもので、我が国の政治の世界では、たとえば郵政民営化の際の総理大臣○泉なんて、その時々の発言やパフォーマンスは「わかりやすい」「紋切り型」の、限りなく陳腐なものだった。当時、「大きな声ではっきりとものを言う」なんて評されていたけれど、発言の中身はというと、たいしたことは言っていない。そのあたりもヒトラーと同じ。あれもおそらくナチス・ドイツを範としたものであったと見ていいだろう。

Hoffmann:一党独裁のどこかの国でも、最高指導者である総書記が、党員の汚職問題を許さないなんて言っているよね。あれは自分への個人崇拝に結びつけるためのポーズであって、あれもヒトラーの真似なんだ。汚職対策といってじっさいにやっていることは、足もとの政敵を追い落とす工作なので、まあ、そんなところまでヒトラーと同じなんだけどね(笑)

Kundry:話が危なっかしい方向に(笑)いずれにせよ、ナチスドイツは奇しくも、ギリシア・ローマの頽廃期、そのデカダンスまで忠実にたどっていったわけですね。