150 「石の来歴」 奥泉光 文春文庫




 アラン・ロブ=グリエあたりが典型的な例かと思うんですが、現代文学は合理と非合理、起承転結の放棄、因果律の否定といったアンチ・ロマンAnti Romanにおいて、しばしばミステリ風の構成や叙述をとっています。これは、作者の世界観を読者に押しつけることなく、プロットの一貫性や心理描写を排除して、客観的な事物描写を徹底しつつ、読者には、与えられた「テクスト」を自ら推理して物語や主題を構築させるための手段として選ばれた方法でしょう。

 ミステリ風といえば、古くはドストエフスキーがやっていましたね。奥泉光も、この「石の来歴」や「ノヴァーリスの引用」「葦と百合」「グランド・ミステリー」など、ミステリー風の小説になっています。ジャンル分けに凝り固まったひとは、これを「ジャンル・ミックスの小説」なんて言っていますけどね、これはそう言っている人の視点が「ジャンル分け」に呪縛されているから。たとえば、それならドストエフスキーはジャンル・ミックスの小説を書いたNO? と訊ねればこたえに窮するはず。そもそもジャンルなんて意味がないんですよ。どこにも属さない・どこにでも属する、ということが特別なことではない。問題は叙述の技法と様式なんです。

 太平洋戦争でフィリピンから生還した真名瀬剛が主人公。戦後復員して、古書の販売で生計を立て、結婚します。その頃から、戦中レイテ島の洞窟で、ある上等兵から聞かされた男に聞かされた石の話の影響で、岩石の蒐集に没頭するようになる。その話というのは、「変哲もない石ひとつにも宇宙の歴史が刻印されている」というもの。やがて妻との間に生まれたひとりめの息子が父親の趣味に関心を抱くようになる。しかし、父親の留守中、この長男は岩石採集に行った採石場跡の洞窟で何者かに殺害されてしまう。これにより妻は、真名瀬を責め、正気を失い、次男はすさんでゆき、事件を起こして殺人まで犯して、自らも命を失う・・・。

 「石ひとつにも宇宙の歴史が刻印されている」ということばが繰り返し語られ、やがて時空を超えて、小説は大きく弧を描くようにして冒頭に循環してゆくこととなるのですが、特筆しておくべきことはレイテの洞窟の中での、記憶の欠落。真名瀬は、行き場を失い、死を待つのみの傷病兵が多くを占めていた部隊の、その話を聞かせてくれた上等兵の顔を思い出すことができない。

 おそらく多くの人が考えたんじゃないかと思われるのは、これはミステリなのか、あるいはもしかすると戦争文学なのか・・・ということ。でもね、繰り返しになりますが、そんなジャンル分けにはなにも意味がないと思って下さい。

 さらに、長男を殺したのはだれなのか。フィリピンの洞窟で、大尉と上等兵と真名瀬の間で、なにが起きたのか。この小説を「わからない」と言う人がいるのは、こうした疑問が解き明かされることなく、そのまま放り出されているから。

変哲のない石ころひとつにも地球という天体の歴史が克明に記されているのである。

鉱物の形は一瞬も静止することなく変化している。素材は絶えず循環している。

つまり君が散歩の徒然に何気なく手にとる一個の石は、およそ五十億年前、後に太陽系と呼ばれるようになった場所で、虚空に浮遊するガスが凝固してこの惑星が生まれたときからはじまったドラマの一断面であり、物質の運動を刹那の形態に閉じ込めた、いわば宇宙の歴史の凝集物なのだ。


 安部公房の「壁」における「壁」が、石川淳の序文にあるとおり、決して思想なんぞではないように、ここでの「石」も思想ではありません。ただ、この小説全篇を貫くモティーフであることは確かです。これはね、あらゆる物語性を放棄した20世紀文学が採用した重層的抽象性をあらわす手段なんですよ。つまり、小説を解体させないための接着剤のようなもの。

 この小説の中で、「石」は地球の無限の過去の時間の堆積だと説明されています。「石」には地球上の歴史のすべての過程が刻印されており、また内包しているひとつの象徴なんです。地球上のすべての歴史だから、当然そこには人間も含まれている。作品冒頭のエピグラフは、「ルカによる福音書」の19章40節―あなたがたに言っておく、もしこの者らが沈黙するなら、石が叫ぶであろう」というもの。これは不正を告発するとか、殺された者の怨念の叫びととることも可能なんですが、ここでは、人々が神を賛美することばなのか、あるいは魂の叫びのようなものなのか・・・。まあ、それはどうでもいいかもしれない。石は人間をも含む地球の全過程を象徴している、つまりすべてを知っている、ということが重要なんです。

 だから、レイテの洞窟と長男が殺された採石場跡の洞窟は、時空を超越してひとつのものに結びつくんです。レイテの洞窟にいた真名瀬は採石場跡の洞窟にもいたのです。そのレイテと採石場跡、第二次大戦中と現代を結びつけるのが「石」なんですよ。抽象性にカタチを与えるために、「石」とその象徴性が採用されているわけです。その意味では、この小説の「石の来歴」という表題は秀逸なものですね。

 この小説にメッセージ性や、ましてや教訓なんか求めてはいけませんよ。そういう人はムカシの私小説でも読んでいた方がいい。

 これは徹頭徹尾"Roman"すなわち小説なんです。伝統的な物語ではない。だから受け身だったら「わからん」で終わってしまうでしょう。さすがにアンチ・ロマンと呼ぶにはちょっとためらわれるんですが、それでも読者の側が思想的な領域まで踏み込んで、自分で構築してゆかなければならない程度には、20世紀文学として成立している。

 私なりの「構築」を示しておくと、人類史も含む歴史の集積としての石にとっては、第二次大戦中のレイテも現代の日本もほとんど違いはない。真名瀬もいずれ石になる、というよりその一部として生きている。長男だって次男だって同じです。その地球上の歴史の全過程がここでは「石」としてあらわされていて、その来歴・・・というのは過去に限らない、これからの未来も含めてのことなんですが、すべてが見通されている。その過程の中に、真名瀬の姿が一度はレイテで、二度めは採石場で、交錯する。長男はその過程の中にのみ込まれていった。そんなstoryにおいて、時空を隔てたふたつの場面を、ひとつのものに結びつけるのが、この抽象性を表象化した「石」だということなんです。

 ほら、E・T・A・ホフマンの「ファールンの鉱山」でも、かつての花婿エーリスが50年の時を経て掘り出されたとき、その姿は「石化したかのような姿」で、「まるで熟睡しているようだった。顔かたちがそれほど生々しく、身につけた汚れのない衣服から胸にさした花にいたるまでが毛ほども損なわれてはいないのだった」とされているじゃないですか。


(Hoffmann)


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「石の来歴」は第110回(1993年下半期)の芥川賞受賞作です。 私は1970年代以降の芥川賞受賞作は、全部を読んでいるわけではないものの、かなり、おそらく6割以上の作品には目を通しています。そうしたなかで、これはほとんど唯一、文学作品らしいものと言っていいのではないかと思っています。

 この機会に、芥川賞をはじめとする文学賞について、少々勝手なおしゃべりを致します―

 
※ なお、「b136 『美しき町・西班牙犬の家』 佐藤春夫」でも、石原慎太郎の「太陽の季節」受賞時の話をしており、以下でも再度ふれておりますので、ご参照いただければ幸いです。


 芥川賞、その他の文学賞と文学について

 文学賞というものは、資本主義国家においては出版社の商売であり、社会主義国・共産主義国においては言論統制の手段です。これはもう正論も正論、ド正論。だからといって、文学者が自らを社会からのはみ出し者のごとく意識しているというのも、往年の文学青年気取りが過ぎる、いささか滑稽な態度と見えます。

 でもね、賞というものは、最初のうちはどの作品が賞を受賞したのかが話題になる。受賞作に関心が向けられる。しかし、時が過ぎてゆくうちに、その関心は受賞者に向けられるようになり、しまいにはその一歩手前、つまりその賞の主催者(選考する側)がだれに賞を与えるのか、与えたのか、ということに関心が持たれるようになるんです。これは似て非なること。つまり、受賞者の業績やらなにやらよりも、「○○賞」という看板が、どこの店舗(すなわち商売人)に掛けられるのかということが関心の的になるんです。そうなったとき、主催者側にしてみれば、その賞に「権威」が備わったということになるのですよ。

 ところが、じつはそれは逆なんじゃないか。看板をどこに掛けるかということが注目されるということは、もはやその「○○賞」が実のない、名前だけの、まさしく空虚な「看板」に成り下がったということなんじゃないでしょうか。

 これを第1回めから「やらかした」のが、1984年に稲盛和夫(京セラ株式会社名誉会長)が公益財団法人稲盛財団で創設した日本の国際賞、京都賞です。この京都賞は、1985年の第1回めに、ノーベル財団に対して京都賞創設記念特別賞を授与しているんですよ。つまり、まだ第1回めで歴史も実績もなく、当然だーれも「権威」を認めてくれない。それが「ノーベル財団」に賞を「与える」ことで、そのノーベル財団の「権威」に乗っかろうとしたわけです。当時、私もこのニュースを見て、「ずいぶん恥ずかしいことをするなあ」と思ったものですが、じっさい、この京都賞の、ノーベル財団に対するエラソーな上から目線ぶりが、海外ではいい笑いものになっていたようですね。

 ここで先ほどの私の理屈(屁理屈?)を思い出して下さい。じつは京都賞は、ノーベル財団に賞を与えることで、その第1回めから、内容空疎な名前だけの安っぽい「看板」としてスタートしてしまったということなんですよ。いやあ、実績もなにもかも無視して、地道な活動の継続なんてことはそもそも眼中になくて、「形から入る」というやり方です。余計なことですが、こうした態度が京セラという企業の体質なんだとしたら、京セラの将来が心配ですね。だって、こうしたことは無能な人間ほどよくやることなんですよ。偉そうな態度をとる人間は、偉くないから偉そうにするんです。上から目線でマウントをとろうとする人間は、じつはかなりのコンプレックスを抱いているものです。それでカタチから入る。カタチから入って、後からでも真面目に自己研鑽でもするならまだしも、たいがいの場合は、その自己欺瞞に安住してしまってなにもしないものです、無能ですから(笑)

 そこに上記の「ド」正論。文学賞というものは、資本主義国家においては出版社の商売であり、社会主義国・共産主義国においては言論統制の手段・・・なので、芥川賞とかノーベル文学賞なんてものに、あまり価値があると思わない方がいいのではないか。そもそも賞に憧れる新人作家がいたとしたら、それは「小説家ごっこ」の延長なんですよ。なかには、芥川賞の「傾向と対策」を検討し、競うようにして模倣する同人誌があるんだとか。いや、そんなやり方も、株でもやって儲けようというのなら分かるんですが、賭博じゃないんですから。以前お話しした、石原慎太郎の芥川受賞に際しての、佐藤春夫や亀井勝一郎の批判を思い出して下さい。仮にそれで芥川賞を受賞したとしても、それは「小説家ごっこ」の延長でしょ。それは文学とは無関係だし、その作品はその人の文学が実現したものではない。

 それでは、難しいことは抜きにして、ある新人が、自らの世界を発見した、新しい、真にすぐれた文学作品を発表したとしましょう。それは「権威」ある文学賞を獲得することができるでしょうか、せめて受賞する可能性が少しでも高まるでしょうか・・・まず無理です。いかなる分野においても、先輩が後輩の仕事の意味を十分に理解することなど、ありえないことです。新しい試みであればあるほど、先人からは反発を招くだけのこと。しかも面白いことに、一般的なレベルの批評的精神というものは、長所は見落とすことがあっても、欠点は絶対に見落とさないものです。だから酷評されるだけなんですよ。

 文学賞に限った話ではないので、ここでノーベル賞の話を―科学者の間で、ノーベル賞獲得のための「戦略」が繰り広げられているというのは、近年、よく知られていることでしょう。たとえば、ライバルの研究グループを出し抜くために、自分の研究の現状を故意に悪く言ったり、「敵」の研究をスパイするために自分の息のかかった大学院生を送り込む。自分の研究に不可欠であった協力者の業績を故意に無視する、研究機関を移るにあたって、残していく資料のラベルを剥がすなどして、その研究を引き継ぐ後継者の妨害をする・・・こうしたことが、ノーベル賞に近い立場の研究者の間では、さほどの罪悪感もなく、むしろ当然の行為として受け取られているのが現状なのです。

 つまり、賞の獲得は、研究の「結果」ではなくて、「目的」と成り下がっている。もしかしたら、研究がしたくて研究をしているのではなく、賞を獲得したくて研究者となった人だっているかも知れない。しかも目指す賞の評価基準においては、その研究者の人間性とか紳士的な振る舞いが考慮されることはありません。ということは、上記のような「非紳士的振る舞い」がマイナスに働くわけでもないということ。ですから、そのナントカ賞の受賞が意味することは、特定の分野での限られた領域における業績が評価されたということに過ぎないのです。それなのに、ノーベル賞ともなると、国際的にも高い権威が備わってしまっており、受賞者は、あたかも万能の天才、なにに対しても十分な見識と能力を備えた人格者であるかのような誤解を生んでいるのが現状です。

 韓国あたりでは、自国のノーベル賞受賞者がいないんだか少ないんだか知りませんが、もっとロビー活動をせよと叫んだり、日本人が受賞すると、ロビー活動が巧みだったなどと言ったりしていますよね。ロビー活動次第でノーベル賞が受賞できると考えているのもどうかと思いますが、こうした韓国人の発想は、ふたつの強烈な皮肉を含んでいると思われます。

 ひとつは、先に述べたとおり、ノーベル賞の受賞が「目的」化しているということ。研究の内容については問われない。なにが現代社会において必要とされているかとか、いま誰がどんな研究をしているかという視点は一切ない。結果だけを求めている、結果の目的化です。

 もうひとつは、ノーベル賞というものが、研究内容とかその必要性を抜きにして、とにかく受賞すれば自慢できるもの、「その程度のもの」として認識されているということです。いや、その認識が誤解だと思いますか? 私は満更誤解だとは思いません。ノーベル賞を選考する側がどのように考えていても、もはやその実体は、じっさいに世の中が認識しているとおりのもの、図らずも「そういうもの」になっているんです。だから、研究者は研究そのものよりも、その受賞による莫大な附随利益を夢見て、ノーベル賞受賞を目的とするような行動をとりはじめるわけですよ。そう考えると、ノーベル賞などというものは、もはや研究者の間に害毒を流すものと成り果てているんです。

 文学賞も同じことですよ。芥川賞? もう昔みたいに、受賞作だからといって人が群がる光景は見られないじゃないですか。それは芥川賞ばかりに問題があるのではなくて、文学そのものがつまらないから、読まれないから、という意見もあるでしょう。

 でもね、思えば石原慎太郎の「太陽の季節」の受賞の時から、ちょっとおかしなことになっていたのかも知れません。ここでもふれましたが、亀井勝一郎が「賭博的作品の一典型―『太陽の季節』をめぐって」と題する論文で、戦後風潮のひとつとして無節度な若者に神経質な甘い大人が引っかかる、しかし無節度の根底には、当たるか当たらないかという賭博性がある、これは文学の敵だ、と論じたのに対して、それにかみついた中村光夫の言い分が、真に独創的な芸術作品は賭の性質を持っている、というもの。これは、世間で認められるための作品を執筆することが独創性を生むという意味。

 私は別に中村光夫が嫌いなわけではないんですが、そんな「賭博性」で文学賞が決まっちゃっていいんでしょうか。なんだか、逆ではありませんか? むしろ、世間がまったく認めないようなものであっても、真に文学的な価値があるものを見つけだして選ぶ・・・という矜恃をこそ、選考委員には求めたいと思うんですけどね。中村光夫にはそうした矜恃がなかったんでしょうか。世間で「当たる」ものが芸術作品? だから亀井は「戦後風潮のひとつとして無節度な若者に神経質な甘い大人が引っかかる」と言ったんですよ。受賞反対派の佐藤春夫に至っては「この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず」とまで言っていますよね。石原慎太郎だけじゃないんです、いまでは芥川賞の受賞作に共通してうかがわれるのは、「ジャナリストや興行者」のような「鋭敏げな時代感覚」なんですよ。ノーベル賞と同じ。作者の志が文学にあるとは思えない。じっさいに、文学を志していなくても、受賞できるようなものは書けてしまっているじゃないですか(笑)

 急いで付け加えると、この奥泉光の「石の来歴」は、ひさしぶりに文学作品らしいものを読ませてもらえたなと感じた小説です。これを読んで意味が分からないとか、難しいという人は、なにを読んでも難しいと思います。


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「石の来歴」 奥泉光 文春文庫

「科学とは何か」 村上陽一郎  新潮選書



Diskussion

Klingsol:今回、はじめて読んだけど、たしかにいいね。

Kundry:HoffmannさんやParsifalさんは芥川賞受賞時に読んだのですか?

Hoffmann:2、3年前だな。

Parsifal:Hoffmann君に勧められて、同じ頃。

Hoffmann:人文系の本ならともかく、小説で書き立ての新刊なんて読まないよ。世間の人に毒味をさせてからの方が無駄がない(笑)

Kundry:みなさんが読んだ芥川賞受賞作で、これはというものはありますか?

Hoffmann:安部公房の「壁」だ。第25回(1951年上半期)受賞作だね。

Parsifal:北杜夫の「夜と霧の隅で」。第43回(1960年上半期)。

Kundry:やっぱり古いものになりますね(笑)私は古井由吉「杳子」でしょうか、これだって第64回(1970年下半期)ですけど。

Klingsol:石川淳の「普賢」。第4回(1936年下半期)だ、古くてすまんね(笑)

Kundry:じつは私も、もっと新しいところで挙げようとしても、唐十郎の「佐川君からの手紙」がやっとなんですよ。第88回(1982年下半期)ですから、もう40年も前ですね。

Parsifal:やっぱり文学そのものの衰退か・・・。

Hoffmann:唐十郎もね、ほかにもっといいのがあるんだよ。泉鏡花賞の「海星・河童」とか。戯曲でもよければ「青頭巾」、「唐版・犬狼都市」、「糸姫」に「唐版・風の又三郎」と・・・枚挙に暇がない。あ、これまたどんどん古いものになっていくな(笑)