055 ビルギット・ニルソン 「きみには本当にすごいライバルがいるんだね」




 マルタ・ビルギット・ニルソン=ニクラソン Marta Birgit Nilsson-Niklasson は1918年生まれ、2005年に亡くなったスウェーデン出身のドラマティックソプラノ歌手です。

  
Birgit Nilsson

 とりわけリヒャルト・ワーグナーとリヒャルト・シュトラウスのオペラでの歌唱で最もよく知られています。それに、お気に入りの役柄は何かと尋ねられて、「イゾルデとトゥーランドット。イゾルデは私を有名にしてくれ、トゥーランドットは金持ちにしてくれたわ 」とこたえたというエピソードが示すとおり、プッチーニの「トゥーランドット」での歌唱も忘れてはならないところでしょう。

 私はR・シュトラウスの「エレクトラ」の舞台に接したことがありますが、やはりもっとも好きなのはワーグナーのイゾルデ、ブリュンヒルデでしょうか。ブリュンヒルデの歌唱に関しては、アストリッド・ヴァルナイ、マルタ・メードル、それにワーグナー作品に親しんだ若い頃、同時代のグィネス・ジョーンズも好きですが、やはりニルソンは特別です。世評の高いキルステン・フラグスタートは、大歌手だったのかも知れませんが、記録(録音)に残っているものを聴く限り、細部のニュアンスなどおざなりで、いかにも「細かいことは気にしない」時代の歌手、個人的にはこの4人よりも下位になります。ブリュンヒルデでひとり選ぶならヴァルナイですが、イゾルデならニルソンです。ちなみに、クンドリーならメードル。グィネス・ジョーンズに関しては、そのブリュンヒルデの歌唱は明らかにニルソンを手本にしていますね。


Birgit Nilsson

 経歴などは検索すればいくらでも分かることなので、ここではエピソードをふたつほど―

 ビルギット・ニルソンは、1945年、汽車で移動中に出会い意気投合した青年ベッティル・ニラクソンと、1948年に結婚しました。このベッティル氏がニルソンの歌っているレコードがかかっているときに、部屋に入ってきて、「誰が歌っているの」と聞いた。ニルソンがこの歌手をどう思うかと尋ねたところ、ベッティル氏は「きみには本当にすごいライバルがいるんだね」とこたえたそうです。

 また、ニルソンはできるだけ家庭に仕事を持ち込まず、夫の前で練習することを避けていました。ある日、家でひとりになったときに発声練習をしていたところ、たまたま農場に来ていた左官屋さんの見習い職人がこれを聞きつけ、青ざめた顔で親方の元に駆けつけ、「すぐに来てください、なにか恐ろしいことが奥さんに起こったようです、気が狂ったように叫び、うなり声をあげています!」親方は弟子を落ち着かせ「心配しなくていいよ、”叫ぶ”のはあの奥さんの仕事みたいなものだから」

 
Bertil Niklasson 結婚記念日はおろか、自分の誕生日さえ忘れてしまう人だったそうです。間違いなく、好人物ですね(笑)

 それでは、手持ちのレコードから「これは」というものを取り上げます。最初はなんと言ってもワーグナー。セッション録音、live録音ともに多数ありますが―

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」
カール・ベーム指揮 バイロイト祝祭管弦楽団、同合唱団
ニルソン、ヴィントガッセン、タルヴェラ、ヴェヒター、ルートヴィヒ
バイロイト、1966.
DG 104 912/916(LP), DG 139 221/25(LP), DG 004 912/916(LP), DG MG8081~5(LP), PHILIPS 6747 243(LP)


 「トリスタンとイゾルデ」。ここでも取り上げています。

 「DG 104 912/916」は直輸入盤で日本語解説・対訳付き。「バイロイト音楽祭大阪公演記念盤」との表記あり。帯(襷)には「SKL-912/916」の番号表記あり。これは2組持っています。いずれも箱はクロス装。「DG 139 221/25」も2組あって、一方は箱がクロス装、もう一方はカートン。「DG 004912/916」はmono盤。これも箱はクロス装。「PHILIPS 6747 243」はいわゆる「Wagner大全集」のセット。レコード番号は「6588 082/086」。やはりDGプレスとは少し音が違います。

 live録音といっても、ゲネプロやじっさいの公演から編集されたものです。レコード会社によるBayreuthの正規録音はたいがいそうした方法をとっている模様。とにかく、抜群の名演! とくに第二幕の愛の二重唱など白熱的です。禁欲的といいたいくらいに引き締まった演奏とオーケストラの響きがすばらしい。テンポもかなり速く、鈍重さもないのに、かえって重厚に聴こえます。戦後のBayreuthの頂点といっていいでしょう。低域の響きに残響感がないのは、たぶんホールの持ち味だと思います。とくにWindgassen、Nilssonはやはりこのdiscが最高の出来です。

 5枚組のLPでは第10面がリハーサル風景で、ここでの録音の生々しさは驚くべきものです(4枚組で出たものはリハーサル風景の収録なし)。

 ニルソンは、「多くの、正確には33人の優れた《トリスタン》指揮者と歌ってきた。なかでもカール・ベームの音楽解釈に及ぶ人は誰もいないと断言できる」と言っています。


”Tristan und Isolde” 左はWolfgang Windgassen


ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、第一幕第三場
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ビルッギット・ニルソン、グレース・ホフマン
ゾフィエンザール、1959.9. stereo
米LONDON OS25138 (1LP)


 「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲と愛の死のレコード、これも、ここで取り上げたことがあります。

 米LONDON盤ですが英プレス。
 私はフルトヴェングラーにもクナッパーツブッシュにもさほどの思い入れはないんですが(ニルソンにはあります)、ワーグナーとなると、やはり忘れることのできないレコードです。なお、ニルソンとクナッパーツブッシュによる同曲の演奏は、1962年5月31日のlive映像(TDK TDBA-0016)も出ていますね。

 ニルソンが歌ったイゾルデはすべて取り上げたいくらいですが(たとえば1957年フィレンツェ5月祭のlive録音など・・・ここに載せてあります)、上記2点で代表させておきます。


ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」
カール・ベーム指揮 バイロイト祝祭管弦楽団、同合唱団
(歌手は省略)
バイロイト、1966,1967
PHILIPS 18PC-40~42, 18PC-43~46, 18PC-47~50, 18PC-51~55(LP), PHILIPS 420 352-1(LP), PHILIPS 446 057-2(CD)


 次は「ニーベルングの指環」のブリュンヒルデを歌ったレコード。これもここで取り上げています。

 PHILIPSによる正規録音です。カール・ベーム最盛期の記録であると同時に、戦後バイロイトが1950年代を経て迎えた頂点のひとつでもあると思います。1950年代のバイロイトにアストリッド・ヴァルナイあれば、1960年代にはビルギット・ニルソンあり。

ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」
エーリヒ・ラインスドルフ指揮 ロンドン交響楽団
ヴィッカーズ、ブローウェンスティーン、ウォード、ロンドン、ニルソン、ゴール
ロンドン、1961.9.
RCA LDS-6706.1-5(LP), RCA LD-6706.1-5(LP), DECCA 289 470 443-2(CD)


 これもこちらで取り上げています―。

 RCAのLP2組は「SORIA SERIES」、「LD」ナンバーはmono盤。mono盤の音質良好。

  1961年にウィーンでカラヤンがホッター、ニルソン、ヴィッカーズ、ゴールといった布陣で公演した際、RCAがレコーディングを計画したところ、DECCAの横槍が入って、指揮はラインスドルフに、オーケストラはロンドン交響楽団、歌手もホッターがロンドンに変わって、世界中のファンが落胆したというdisc。当時DECCAはショルティ指揮で「ニーベルングの指環」のレコーディングを開始、既に1958年に「ラインの黄金」を録音していたので妨害したんでしょう。戦後から1960年代くらいまで、ウィーン・フィルは英DECCAの専属というか独占オケというか、大英帝国の植民地だったんですよ(おかげで経営はズイブン助かったはずだが)。

 しかしラインスドルフの指揮はすばらしいもので、ここでニルソンのセッション録音によるブリュンヒルデのレコードを取り上げるならば、ショルティのDECCA録音よりもこちらです。ニルソンとブローウェンスティーンがとくに見事。やや癖の強い歌唱ながらロンドンも好演。ヴィッカーズも後のカラヤンとの録音よりは、まだしもまともな声です。


ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」
ヘーガー指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団
ニルソン、ケート、ゲッダ、ベリー、アンハイザー、フェルスター
1968.
独Electrola 1C065-28351/53X(3LP)


 お次もまた、ここで紹介済みのレコード。

 stereo盤。箱とレーベルに”ANGEL-SERIES”表記あり。
 同作品のレコードとしては演奏、録音ともにこれがベスト。オーケストラの音色は惚れ惚れとするもの。ニルソンはアガーテ。なぜここでアガーテ役を・・・と思いますか? この役は1946年、ストックホルムのロイヤルオペラで、病気になった歌手の代役として、ビルギット・ニルソンがデビューした役なんですよ。


プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」
フランチェスコ・モリナーリ=プラデルリ指揮 ローマ歌劇場管弦楽団、同合唱団
ニルソン、コレッリ、スコット、ジャイオッティ
1965.
独Electrola 1C165-00 050/52S(3LP)


 〈ANGEL-SERIES〉、金EMIニッパー、おそらく独初出盤。1枚目第1面の裏がブランクの5面収録。

 「トゥーランドット」もニルソンが得意とした役です。ポール・ポッツが歌って、クラシック好き以外の人たちにも知られるようになったオペラです(笑)スコットもこの頃が全盛。指揮も意外なほどダイナミックで見事です。


”Turandot” 左はFranco Corelli


 CDでは、Sony Classicalから2018年にビルギット・ニルソン生誕100年記念で出た31枚のセットを取り上げておきましょう。このセットはビルギット・ニルソン財団の協力のもと、音源はすべて放送局・歌劇場のアーカイヴなどのオリジナル・アナログ・マスターから2017年に新たにリマスターされており、なかなか貴重な録音が収録されています。

 それぞれの録音についてのコメントは輸入元情報も参考にしますが、それだけならばコピペで十分だし、あまりに能がないので、輸入元情報でも不正確と思われる箇所は修正して、さらに個人的に分かる範囲のことを書き加えておきます。いや、偉そうなことを言ってすみませんなあ。


「ビルギット・ニルソン/グレイト・ライヴ・レコーディングズ 1953~1976」(31CD)

Disc1
バルトーク:歌劇「青ひげ公の城」全曲(ドイツ語歌唱)
ベルンハルト・シェーネルシュテット(青ひげ)
ビルギット・ニルソン(ユディット)
フェレンツ・フリッチャイ指揮 スウェーデン放送交響楽団
録音:1953年2月10日、ストックホルム・コンサートホールでのlive録音
音源:スウェーデン放送収録(mono)

 1953年、ストックホルムでの放送用live録音で、ドイツ語歌唱。ユディットはニルソンがセッション録音を残さなかったレパートリー。指揮はバルトークを得意とするフェレンツ・フリッチャイ。スウェーデンのBluebellレーベルでLP/CD化されていたらしいが、今回新規にスウェーデン放送のマスターからCD化されたとのこと。

 このラジオ放送が、この作品のスウェーデン初演。ニルソンによれば、フリッチャイは軍隊式の厳格さで指示を出し、ひとりのホルン奏者がこの客演指揮者に刃向かったとき、即刻にゲネプロを中断してその奏者に退席するよう命じて、オーケストラ団員が、指揮者がその気なら我々全員が引き上げると迫ったところ、フリッチャイが去ってしまったそうです。それでも翌日はホルン奏者もフリッチャイも持ち場に戻ったとか。



Disc2-4
ワーグナー:「ローエングリン」全曲
ヴォルフガング・ヴィントガッセン(ローエングリン)
ビルギット・ニルソン(エルザ)
アストリッド・ヴァルナイ(オルトルート)
ヘルマン・ウーデ(フリードリヒ・フォン・テルラムント)
テオ・アダム(国王ハインリヒ)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(軍令使)
ゲルハルト・シュトルツェ、ジーン・トービン、トニ・ブランケンハイム、フランツ・クラス(ブラバントの4人の貴族)
オイゲン・ヨッフム指揮 バイロイト祝祭管弦楽団、同合唱団
録音:1954年8月14日、バイロイト祝祭劇場でのlive録音
音源:バイエルン放送局収録(mono)

 1954年、ニルソンがバイロイト音楽祭にデビューした年のlive録音。エルザのセッション録音は残されず、しかも比較的初期にレパートリーから外したため、バイロイトでのこの全曲盤は貴重。ヴィントガッセン、ヴァルナイ、ウーデなど、1951年に再開された「新バイロイト」を代表する歌手勢揃い。軍令使はこの年がバイロイト・デビューのフィッシャー=ディースカウ。初出はLP時代のメロドラム盤。バイエルン放送のtapeを使った正規リリースは今回が初めてとのこと。

 数あるバイロイトの記録のなかでも、歌手陣の顔ぶれはとりわけて豪華であるにもかかわらず、全体としては魅力に乏しい演奏です。ヨッフムの指揮が・・・悪いところなんかないんですが、どうも華がない。バイロイトの「ローエングリン」の記録といえば、カイルベルトやらクリュイタンスやらといった、かなり個性豊かな指揮者が目白押しですからね。手堅いばかりでは印象に残りにくいんですよ。歌手はオルトルートのヴァルナイがずば抜けてすぐれており、ほかはみんな若々しくて、バイロイト初出演のニルソンもエルザ向きの声。ヴィントガッセンは人間くさくて、もう少し聖性というか、神秘性が感じられたらと思います。

 なお、バイロイトのオーケストラピットが客席から見えないことを知らなかったニルソンは、プレミエで舞台に出たとき、ヨッフムがチェックの半袖シャツ姿だったので、「ひっくり返りそう」に驚いたそうです(笑)もっともトマス・シッパーズが短パン姿で指揮をしたときは、次の幕がはじまる前に、誰かが指揮者の譜面台にテニス・ラケットを置いて、さすがにこの「嫌味」が効いたのか、それ以上の服装に逸脱には至らなかったとか。また、ニルソンはヴィーラントとヴォルフガング兄弟の反目を感じ取っていたとのことです。じっさい、その余波でニルソンは翌年以降はバイロイトに出演しないと決めました。ところが、ここでクナッパーツブッシュが1955年、ミュンヘンでの「ニーベルングの指環」のブリュンヒルデにニルソンを指名。その「神々の黄昏」のlive録音はORFEOでCD化されています(ORFEO C 356 944 L、ここにも載せてあります)



Disc5-7
ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」全曲
ビルギット・ニルソン(イゾルデ)
ヴォルフガング・ヴィントガッセン(トリスタン)
グレース・ホフマン(ブランゲーネ)
ハンス・ホッター(クルヴェナール)
アルノルト・ヴァン・ミル(マルケ王)
フリッツ・ウール(メロート)、他
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団、同合唱団
録音:1957年8月19日、バイロイト祝祭劇場でのlive録音
音源:バイエルン放送局収録(mono)

 1957年は、ニルソンにとってバイロイト音楽祭での初のイゾルデ。「新バイロイト」時代に入ってからふたつめの新演出で、演出はヴォルフガング・ワーグナー。サヴァリッシュにとってもバイロイト・デビューに当たる年。バイエルン放送音源からの初ディスク化とのこと。

 上記「ローエングリン」のところでちょっとふれましたが、ニルソンはバイロイトのワーグナー兄弟に対して「気を悪く」していたので、はじめは出演を打診する電報に対して「その気がない」と返事したそうです。ここで夫君ベッティル氏は、バイロイトで歌うことはニルソンが得をするというよりも、バイロイトの方こそ得になるのだ、と助言。ニルソンはギャラをアップすることを条件に承諾したそうです。「罰は受けるべきだ!」(笑)おかげでバイロイトはほかの歌手にも同様に50%の賃上げをせざるを得なくなり、ニルソンは多くの先輩歌手たちから感謝されたそうです。また、当時35歳のサヴァリッシュについて、ニルソンは「すごい才能、なんと天分に恵まれているのだろう! 天は彼に才能を惜しみなく与えた」と言っています。たしかに、見事な指揮です。数年後のPHILIPSによる正規録音、「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」よりもいいのでは?



Disc8
1. ワーグナー:「ワルキューレ」より第1幕第3場
ラモン・ヴィナイ(ジークムント)
ビルギット・ニルソン(ジークリンデ)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
録音:1957年7月、バイロイト祝祭劇場でのlive録音
音源:バイエルン放送局収録(mono)

 この1957年のlive録音は、ニルソンがバイロイト音楽祭で初めて「指環」に出演した際の記録。ここではジークリンデを歌っている(ニルソンがバイロイトでブリュンヒルデを歌うのは1960年のヴォルフガング演出から)。1956~58年にかけて3年連続でクナッパーツブッシュが指揮した「指環」の中で最も早くからレコード化されていた有名な録音。ここに収録されているのは第1幕第3場のみながら、バイエルン放送局の正規音源を使用しての初CD化とのこと。それならその音源で全曲出して欲しいな。

 ニルソンによれば、ラモン・ヴィナイはあるとき、「タンホイザー」公演中、声も平静心も失って、第一幕が終わった幕間に楽屋の窓から脱走。劇場関係者が探し回っても見つからず、たまたま散歩していたヴィントガッセンを車に押し込め、急いで化粧して衣装をつけさせ、第二幕は何ごともなかったようにはじまったんだとか。ヴィントガッセンはいかなる突発事故にも対応できる、冷静な神経を持ったプロである、ということです。そのほかにも、上演中に歌いながら、背中のホックが外れていたニルソンの衣装を直したとか、「ジークフリート」では小道具係が置き忘れていた剣ノートゥンクを、舞台上を駆け回りながら、こっそり舞台の袖で受け取ってきた、なんてエピソードもありましたね。さすがです。



2. ワーグナー:「ジークフリート」より第3幕第3場
ヴォルフガング・ヴィントガッセン(ジークフリート)
ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ)
オトマール・スイートナー指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
録音:1967年8月、バイロイト祝祭劇場でのlive録音
音源:バイエルン放送局収録(stereo)

 1967年バイロイト音楽祭live録音で、ジークフリートはヴィントガッセン。1965年にベーム指揮でプレミエになり、1969年まで上演された、ヴィーラント・ワーグナーの第2次演出による「指環」の3年目からの記録。1966年と67年はベームとスイートナーが指揮を分担しており、この「ジークフリート」第3幕の幕切れの二重唱は、スイトナーによるワーグナー録音という意味で貴重(ちなみにベーム指揮によるPHILIPSの全曲盤は「ラインの黄金」と「ジークフリート」は1966年、「ワルキューレ」と「神々の黄昏」が1967年の公演)。バイエルン放送局収録のstereo録音。

 ニルソンがスイートナーについて語っているものは見つかりませんでしたが、1967年のバイロイトといえば、春には大阪への引っ越し公演があった年ですね。4月10日のブーレーズ指揮「トリスタンとイゾルデ」はCD化されていますが(KING KKC2188/90)ニルソンによれば、ブーレーズが指揮をするのは前年10月に亡くなったヴィーラントの希望であったそうです。残念ながらブーレーズはまったく準備せずに大阪にやって来て、「楽譜をまるで一度も開いたことがないようだった」、しかもこの作品を初めて演奏する日本のオーケストラを指揮しなければならないという状況。「奇跡はほとんど期待できなかった」。ちなみに、ブーレーズは1976年のバイロイト100周年の年に「ニーベルングの指環」を指揮しに来たときも、まるで準備をしていなかったと言われていますね。もっともこの指摘をしている日本人のヴァイオリン奏者は、(自分は日本人のくせに)「バイロイトをドイツ人の手に取り戻すべきだ」なんて発言をしているので(つまり、自分は”特別”という意味)、「そういうひと」の発言だと思って聞いていおいた方がいいでしょう。



Disc9-10
プッチーニ:「トゥーランドット」全曲
ビルギット・ニルソン(トゥーランドット)
フランコ・コレッリ(カラフ)
アンナ・モッフォ(リュー)
ボナルド・ジャイオッティ(ティムール)、他
レオポルド・ストコフスキー指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団、同合唱団
録音:1961年3月4日、メトロポリタン歌劇場でのlive録音
音源:メトロポリタン歌劇場アーカイヴ(mono)

 ニルソンによるプッチーニのトゥーランドットは、1959年のラインスドルフ盤(RCA)と1965年のモリナーリ=ブラデッリ盤(1965年)の2種類のセッション録音があり、ライヴ録音も複数存在しているが、その中でももっともよく知られているのが1961年のこのメトロポリタン公演。フランコ・コレッリを相手役に、指揮はオペラのピットに入りはじめたばかりのストコフスキー。リューは当時人気のアンナ・モッフォ(ただし歌はたいしたことはない・笑)。LP時代から流通していた名演で、メトロポリタン歌劇場のスポンサーや後援者に限定配布される「ヒストリック・ブロードキャスト」でもCD化されていたが、メトロポリタン歌劇場所蔵の正規音源からの一般発売は今回が初めてとのこと。

 おそらくこの公演の少し前ですね、ニルソンがメトロポリタン歌劇場の支配人ルドルフ・ビングと大喧嘩したというのは・・・。もっとも、ニルソンの自伝を読む限り、喧嘩したというよりも、ルドルフ・ビングが勝手に怒っていたみたいです。翌日の「トリスタンとイゾルデ」で「復讐! 復讐! 私たち二人に死を!」という歌詞をいつもより激しく絶叫したところ、ルドルフ・ビングから「仲直りして一緒に飲みましょう」というトリスタンの台詞が書いてあるカードを添えたシャンパンが届いた・・・って、どうも話ができすぎのようですが(笑)

 もうひとつ、これまたルドルフ・ビングが絡んでくる、ニルソンとコレッリの「ハイC」競争のエピソードを。1回だけニルソンが勝ったというのはこのストコフスキー指揮によるメトロポリタン歌劇場公演の際のことらしいんですね。コレッリは舞台から逃げ出し、80歳を越えてからオペラ指揮者としてデビューしたばかりのストコフスキーはなにも気付かず。怒り狂うコレッリに、ルドルフ・ビングが次の幕でトゥーランドットに噛みついてやれとささやいた。じっさいに噛みついたというエピソードも伝わっていますが、ニルソンによれば、いざそのときになると噛みつく勇気も失ってしまったようで、ビングは劇場から逃げ出す始末。ニルソンは後で演出家からビングの悪知恵を耳にすると、次のような電報を打ったそうです。「噛まれて負傷したため、次回公演はキャンセルします―ビルギット」。また、納税申告書類に記すべき扶養家族の有無を問われたニルソンが、「たったひとりね、ルドルフ・ビング」とこたえたというのも有名な話ですね。


Disc11-12
R.シュトラウス:「サロメ」
ビルギット・ニルソン(サロメ)
カール・リープル(ヘロデ)
アイリーン・ダリス(ヘロディアス)
ウォルター・キャッセル(ヨハナーン)
ジョージ・シャーリー(ナラボート)、他
カール・ベーム指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団
録音:1965年3月13日、メトロポリタン歌劇場でのlive録音
音源:メトロポリタン歌劇場アーカイヴ(mono)

 ニルソンの「サロメ」はショルティ指揮ウィーン・フィルとの1961年のDECCA録音が有名で、ベームとの共演盤はDGから発売されていた1972年のメトでのルドルフ・ビング引退ガラ・コンサートでライヴ録音されたフィナーレしかなかったもの。この1965年のメトロポリタン歌劇場live録音は正規メト・アーカイヴからの初ディスク化とのこと。

 ショルティがあまり好きではない私も、ニルソンを聴くためにDECCAの「サロメ」「エレクトラ」のレコードは古くから持っています。mono録音に抵抗のない私がこのdiscの登場でショルティ盤が不用になったかというと、さにあらず。ショルティ盤(DECCA SET228/9)は歌手陣がニルソン以下、ホフマン、シュトルツェ、ヴェヒター、クメント、ヴィージー、クーエンと、豪華でしてね。


Disc13-14
R.シュトラウス:「エレクトラ」全曲
ビルギット・ニルソン(エレクトラ)
レオニー リザネク(クリソテミス)
レジーナ・レズニック(クリテムネストラ)
フリッツ・ウール(エギスト)
ゲルト・ニーンシュテット(オレスト)、他
カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団
録音:1967年9月14日、モントリオール歌劇場でのlive録音(1967年モントリオール万国博覧会でのゲスト出演公演)
音源:ウィーン国立歌劇場アーカイヴ(mono)

 ショルティとのセッション録音によるDECCA盤と同じ年のウィーン国立歌劇場によるモントリオール万博客演の記録。妹のクリソテミス役で長年の名コンビ、レオニー・リザネクが共演。

 なお、ORFEOからCDで出ていたベーム指揮ウィーン国立歌劇場のlive録音(ORFEO C886142I)は1965年12月16日の公演で、エギストがヴィントガッセン、オレストがヴェヒターです。ショルティ盤(DECCA SET354-5)はニルソン以下、コリアー、レズニク、シュトルツェ、クラウゼ。指揮も「サロメ」よりもこちらの方が出来がいいようです。もっとも、これはとくに「エレクトラ」録音の際の話ということではありませんが、ニルソンによればショルティとウィーン・フィルの共演はトラブル続きだったとか。ショルティはオーケストラの音響を極限まで高揚させることが好きで、何度も何度もやり直させているうちに、絶えられないほどの大音響になり、ニルソンは稲妻に打たれたように椅子から転げ落ちて見せたところ、オーケストラが大歓声。おかげでショルティも笑いに加わり、リハーサルの雰囲気が和らいだ、なんてこともあったとか。


Regina Resnik、Leonie Rysanek、Birgit Nillson。この公演の時のものかどうかは分かりませんが、”Elektra”のリハーサル時の写真です。笑顔がすごい迫力のオバサンたちですね(笑)


Disc15-17
ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」全曲
ビルギット・ニルソン(イゾルデ)
ジェス・トーマス(トリスタン)
ルート・ヘッセ(ブランゲーネ)
オットー・ヴィーナー(クルヴェナール)
マルッティ・タルヴェラ(マルケ王)
ライト・ブンガー(メロート)
アントン・デルモータ(若い水夫)、他
カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団
録音:1967年12月17日、ウィーン国立歌劇場でのlive録音
音源:オーストリア放送協会(mono)

 1967年ウィーン国立歌劇場公演でアウグスト・エファーディング演出による新演出の初日のlive録音。正規録音では「トリスタンとイゾルデ」の全曲盤を残さなかったジェス・トーマスとの共演が貴重。既発売ディスクはなし。

 ジェス・トーマスについて、ニルソンは「彼の大きな気品ある声は、オーケストラの大波を楽々と突き抜けた」「誠実な仕事仲間で、いい友達だった」と言っています。ルート・ヘッセ、オットー・ヴィーナー、マルッティ・タルヴェラ、もちろんカール・ベームもすばらしく、じっさいこのときの公演は新聞に、フルトヴェングラー以来これほど完璧な演奏を聴いたことがないと書かれたそうです。そして記事はニルソンについて、「・・・必要に応じ柔らかく魂を込めた弱音の声とあわせて、深みのあるニュアンスづけがあり、完璧な出来映えだった。オーケストラの理想的な響きとニルソンの歌いぶりとその透明感のある声―二度と再び聴けるとはほとんど思えないような夢の公演だ」と称賛したそうです。



Disc18-20
ワーグナー:「ワルキューレ」全曲
ジョン・ヴィッカーズ(ジークムント)
レジーヌ・クレスパン(ジークリンデ)
ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ)
テオ・アダム(ヴォータン)
マルッティ・タルヴェラ(フンディング)、
ジョセフィン・ヴィージー(フリッカ)、他
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団
録音:1969年3月1日、メトロポリタン歌劇場でのlive録音
音源:メトロポリタン歌劇場アーカイヴ(モノラル)

 1969年3月、メトロポリタン歌劇場におけるカラヤンとニルソンの数少ない共演の貴重な記録。ザルツブルク・イースター音楽祭での「ニーベルングの指環」のメトロポリタン歌劇場への引っ越し公演第1弾となった「ワルキューレ」の再演時のlive録音(同時期に「ラインの黄金」も上演)。カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるDGへのセッション録音ではブリュンヒルデを歌っていたクレスパンがジークリンデにまわり、ヴィッカーズとヴィージーはDG盤と同じ配役。ヴォータンはテオ・アダム。CD初期に劣悪な音で伊Nuova Eraから発売されたことがあるが、メトロポリタン歌劇場正規アーカイヴ音源からは初のディスク化とのこと。なおニルソンは前年の2月にも同じメトで行われた「ワルキューレ」でも歌っており、予定されていたカラヤンが体調不良で出演できずクロブチャールが代役で指揮しており、その録音もSony ClassicalでCD化されている。

 1969年ではなく、1967年のカラヤン演出「ワルキューレ」の舞台リハーサルでのエピソード―照明を落とした暗闇のような舞台だったので、ニルソンは鉱山労働者のヘッドランプ付きのヘルメット(ワルキューレの翼付き)をかぶって登場した・・・とはよく引用されるエピソード。しかしニルソンの自伝によれば、カラヤン演出のプレミエは1968年。このヘルメットはニルソンが用意したものではなく、ニルソンの楽屋の化粧台に何者かが置いていったものであるとのこと。カラヤンもこのヘルメットのことを小耳に挟んで、ニルソンに誰からもらったのかと訊ねた。ニルソンは「真っ正直に」、「わかりません、でも上層部がそれに一枚かんでいると私はにらんでいます」とこたえると、カラヤンはブツブツいいながら消えたそうです。


写真が残っています(笑)いまさらですが、お茶目な方です。


Disc21-22
ベートーヴェン:「フィデリオ」全曲
ビルギット・ニルソン(レオノーレ)
ルドヴィク・シュピース(フロレスタン)
テオ・アダム(ドン・ピッツァロ)
フランツ・クラス(ロッコ)
ジークフリート・フォーゲル(ドン・フェルナンド)
ヘレン・ドナート(マルツェリーネ)
ゲルハルト・ウンガー(ヤキーノ)
レナード・バーンスタイン指揮 ローマRAI交響楽団、同合唱団
録音:1970年3月17日、ローマRAIでのlive録音
音源:RAIイタリア放送協会(mono)

 1970年3月、ベートーヴェンの生誕200年を記念してのローマでの演奏会形式の上演のlive録音。かつて伊HUNTからCDが発売されていたが、今回RAIの正規音源から初めてディスク化されたものとのこと。シュピース、ドナート、アダム、クラス、フォーゲルなどドイツ勢を中心とした充実のキャスティングは、この時期RAIが定期的に開催していた演奏会形式のオペラ上演シリーズの一環。ニルソンのレオノーレは、マゼール指揮の1964年のセッション収録(デッカ)があり、ほかにもライヴ盤が複数入手可能。

 輸入元情報では、これがバーンスタインとニルソン唯一の共演記録であるとされていますが、オペラでは確かにこれが唯一であるものの、コンサートではヨーロッパでもアメリカでも何回か共演しているようです。ニルソンによれば、バーンスタインは「人が声をどのくらい出していられるか、彼は決してわかっていなかったと思う」「バーンスタインは何人かの歌手を『育て上げた』と言い張った、たとえばマリア・カラスやクリスタ・ルートヴィヒとか」「バーンスタインは、歌手の友人でもあり、保護者であると思われたかったのだ」とのこと。いかにもバーンスタインらしいですね。



Disc23-24
R.シュトラウス:「エレクトラ」全曲
ビルギット・ニルソン(エレクトラ)
レオニー・リザネク(クリソテミス)
ジーン・マデイラ(クリテムネストラ)
ロバート・ナギー(エギスト)
トーマス・ステュアート(オレスト)、他
カール・ベーム指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団、同合唱団
録音:1971年2月27日、メトロポリタン歌劇場でのlive録音
音源:メトロポリタン歌劇場アーカイヴ(mono)


 1971年メトロポリタン歌劇場公演の記録。妹のクリソテミス役で長年の名コンビ、レオニー・リザネクが共演。クリテムネストラはマデイラ(翌年亡くなったマデイラの最後の舞台)。ニルソンはエレクトラを1970年代を通じて歌い続け、1980年2月のレヴァイン指揮のメト公演は、ニルソンがメトでオペラ全曲を歌った最後の公演となり、映像収録されて発売済み。

 同じベームの指揮による「エレクトラ」でも、Disc13-14はウィーン国立歌劇場、こちらはメトロポリタン歌劇場。もちろん、ベームの指揮になにも問題はないのですが、ニルソンが「歌手に寄り添ってくれる素晴らしい指揮者で、膨大なレパートリーを持ち、堅実な実力を備えていた」とするベリスラフ・クロブチャールの指揮による録音が残っていて欲しかったですね。いや、じつは私が生で接したニルソンの「エレクトラ」の公演を振っていたのがクロブチャールだったんですよ。1968年、カラヤンの代役で振った「ワルキューレ」はいまひとつの出来なのが残念です(SONY Classical 88697 85208 2、こちらで取り上げています)。



Disc25-27
ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」全曲
ビルギット・ニルソン(イゾルデ)
ジョン・ヴィッカーズ(トリスタン)
ルート・ヘッセ(ブランゲーネ)
ヴァルター・ベリー(クルヴェナール)
ベングト・ルントグレン(マルケ王)
スタン・ウンルー(メロート)
ホルスト・R・ラウベンタール(牧童、若い水夫)
ハラルド・プレーグルヘフ(舵手)、他
カール・ベーム指揮 フランス国立放送管弦楽団、ニュー・フィルハーモニア合唱団
録音:1973年7月7日、オランジュ古代劇場でのlive録音
音源:inaフランス国立視聴覚研究所(stereo)

 古代ローマの劇場遺跡で毎年行われる野外音楽祭のlive録音。LP時代からHREレーベルの海賊盤で知られていた有名な音源で、仏rudolph productionsのCDもあり、映像収録もされており、LDやDVDで発売済み。演出はニコラウス・レーンホフ。今回はina所蔵のオリジナル音源から新たにディスク化されたものとのこと。

 ムカシ、この録音の海外盤LPについて、あまりの音質の悪さに「余程の物好でもない限り、この種のレコードを買うばかもいないと思われる」と評したひとがいましたが、私はこれまでLP、CD、LD、DVDと全部買ってきた「物好きなばか」であります(笑)しかし、野外ですから限界はあるものの、今回のina音源でかなり聴きやすい音になりましたね。DVDで観る限り、舞台装置も演出もあってないようなもの。歌手はやはりニルソンがさすがの貫禄ですばらしい。ヴィッカースの声はとくに美しくもないし、内面の苦悩を感じさせるほどの知性派でもありません。



Disc28-30
R.シュトラウス:「影のない女」全曲
ジェイムズ・キング(皇帝)
イングリート・ビョーナー(皇后)
アストリッド・ヴァルナイ(乳母)
カール・クリスティアン・コーン(伝令使/霊界の伝令)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バラク)
ビルギット・ニルソン(バラクの妻)、他
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団
録音:1976年9月29日、バイエルン国立歌劇場でのlive録音
音源:バイエルン国立歌劇場アーカイヴ(stereo)

 1976年9月、伝説的なバイエルン国立歌劇場での公演のライヴ。ニルソンとフィッシャー=ディースカウの唯一の「影のない女」共演で、LP時代から会場録音と思われる劣悪な音質で流通していた演奏。今回初めてバイエルン国立歌劇場のアーカイヴ録音から正規にディスク化されたものとのこと。ニルソンは1970年代に「影のない女」を各地で歌っており、1977年のウィーン国立歌劇場でのベーム指揮のライヴがDGからCD化されていた。ベーム盤でも皇帝を歌ったキングのほか、1960~70年代にバイエルン国立歌劇場を中心に活躍しながら残された録音が少ない名ソプラノ、イングリート・ビョーナーの皇后が貴重な記録。また、往年の名ソプラノ、ヴァルナイが乳母を歌っている。

 この役は、ニルソンがキャリアも終盤になってから増やしたレパートリーです。染め物師の妻と皇后と、いずれも声域に合っていたのでどちらにしようか迷い、レオニー・リザネクの勧めもあって染め物師の妻が適役だと気がついたそうです。はじめに歌ったのが1975年、クロブチャールの指揮でストックホルムで、次はこの1976年、サヴァリッシュの指揮でのミュンヘン公演とのこと。ニルソンは皇后役の歌手としてはリザネクを「極めつきだったと思う」と言っていますが、イングリート・ビョーナーについても、「最良の友人であり、仕事仲間だった」と言っています。この歌手の録音が少ないのは残念です。なにかdisc化されれば、私もまずは聴いてみたい歌手です。アストリッド・ヴァルナイについては、「彼女はまたシュトラウスの《影のない女》で見事な乳母を演じ、私もよく同じオペラで染め物師の妻を歌ったから、バイロイト後もずっと私たちの共演は続いた」と言っています。



Disc31
「ワーグナー・イン・コンサート」

1. 「神々の黄昏」より「ブリュンヒルデの自己犠牲」(第3幕)(スウェーデン語歌唱)
ビルギット・ニルソン(ソプラノ)
スティーグ・リューブラント指揮 ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1953年1月22日、ストックホルム・コンサートホールでのlive録音
音源:スウェーデン放送(mono)

 ニルソンによる「ブリュンヒルデの自己犠牲」の最初期の記録で、スウェーデン語歌唱。

 この頃、ストックホルムで若きニルソンはブリッタ・ヘルツベリィという人気歌手に匹敵する、後継者である、と言われていたのですが、コペンハーゲンに行くといきなりキルステン・フラグスタートの後継者に「祭り上げられてしまった」そうです。コペンハーゲン客演時の新聞批評は次のとおり。「・・・しかし舞台でもっとも強烈な印象を残したのは、ジークリンデを歌ったビルギット・ニルソン。彼女の素晴らしく偉大な黄金のソプラノを聴くと、世界的に一流のワーグナー歌手キルステン・フラグスタートの後継者は誰かと論争する必要はもうないだろう」
 なお、1956年にトリノで演奏会形式の「トリスタンとイゾルデ」に出演して、これがラジオ放送されたとき、ニルソンはフラグスタートから、ニルソンのイゾルデがとても気に入ったとの手紙を受け取ったそうです。


2. 「神々の黄昏」より「ブリュンヒルデの自己犠牲」(第3幕)(ドイツ語歌唱)
ビルギット・ニルソン(ソプラノ)
チャールズ・マッケラス指揮 シドニー交響楽団
録音:1973年9月29日、シドニー・オペラハウスでのオープニング・コンサートのlive録音
音源:オーストラリア放送(stereo)

 2008年にABCレーベルからリリースされていたシドニー歌劇場の開場記念コンサートでのlive録音。映像も現存し、ABCレーベルでDVD化されている。

 さすがマッケラス、なにを振っても間違いない指揮者です・・・が、この時期、ニルソンは深刻なストーカー被害に遭っていました。ストーカーはニューヨーク在住の若い女性ミスNで、ストーカー行為は9年間に及んだそうです。この1973年のオーストラリア演奏旅行でも、終始つきまとわれていたのですね。いや、笑い事ではないのです。ミスNは、1977年にはニルソンに遺書を送りつけてきて、自殺を図るのですが、その遺書には、遺骨をニルソンの農場にまいてくれとあったのですから・・・。


3. 「トリスタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」(ドイツ語歌唱)
ビルギット・ニルソン(ソプラノ)
セルジュ・チェリビダッケ指揮 スウェーデン放送交響楽団
録音:1967年9月8日、ストックホルム・コンサートホールでのlive録音
音源:スウェーデン放送(stereo)

 2016年に日本のWeitblickレーベルからCDで出たものと同じ。チェリビダッケがワーグナーのオペラの一部を歌手と共演しているという点で注目された演奏。

 ニルソンは、チェリビダッケがレコード録音を拒否したことについては語っていますが、共演したことについてはふれていません。翌年、ヴェルディのアリアで再共演しているので(WeitblickのCDに収録あり)、双方にとっても満更悪くない共演相手だったのだろうと思われますが・・・。


Sony Classical 88985392322(31CD)


 限定盤ながら未だ在庫はあるようなので、気になる方はどうぞ―。


Birgit Nilsson


(Hoffmann)


引用文献・参考文献

「ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯」 ビルギット・ニルソン 市原和子訳 春秋社