145 「悪魔の恋」 ジャック・カゾット 渡辺一夫・平岡昇訳 国書刊行会 ジャック・カゾットといえばフランス近代の幻想文学の先駆者・・・というのが一般的な認識でしょう。先日Hoffmannさんが取り上げたマルセル・シュネデールの「フランス幻想文学史」では幻視者であるとされ、幻想文学とは異なった位置付けをされていましたが、本日はそのジャック・カゾットの「悪魔の恋」です。 Jacques Cazotte ジャック・カゾットは1719年生まれ。「太陽王」ルイ14世が亡くなったその4年後です。すなわち成年に達していないルイ15世の摂政の時代。摂政フィリップ・ドルレアンが高等法院を復活させて貴族による顧問会を創設するなどして、ルイ14世が押し進めた王を中心とする絶対主権を弱め、ところがかえって貴族の力も弱めてしまうという、政治体制の弱体化を招いていた頃。もっともルイ15世も享楽家で有名ですからね、20年以上にわたって王の寵愛を受けたポンパドゥール夫人の浪費や、人事・軍事への口出しは有名ですよね。もちろんそんな体制を支えていたのは民衆に課せられた重税。既に旧体制(アンシャン・レジーム)の解体がはじまりつつあったわけです。 ジュズイット派の学校を出たカゾットは、21歳頃パリでいまの海軍省にあたる役所に就職。この頃から詩やシャンソンを作り、サロンなどに出入りしていたようです。1747年にはヴァン諸島の監督官としてマルチュニック島に赴任、ここの一等裁判官の娘と結婚しています。カゾットはフランスの植民地政策や、植民地におけるイギリスとの政争に際して、なかなかの腕を振るっていたようで、実務家としての才覚もあった模様です。とはいえ、休暇を取ればパリに戻って詩やシャンソンの自著を刊行、バラッド風のロマネスクものもありました。 1759年には兄の死によって遺産を譲り受け、勇退して、妻を伴ってフランス本土へ戻ります。このとき、特筆しておくべきは、引っ越しに際して家財をすべて売却したのはいいものの、その代金およそ5万エキュをジュズイット派の神父に使い込まれてしまったことです。投機に手を出して「溶かして」しまった、だから返済できない、と言うのが教会側からの通告。ひどいなあ。 フランスは1740年から1748年にかけてオーストリア継承戦争を戦い、1756年から1763年までは七年戦争。おかげで財政は逼迫、植民地の大半を失うという状況でした。そんな時期に帰国したカゾットですが、1763年には「オリヴィエ、デ・デッス侯爵の比類なき武勲」という騎士物語を発表しています。これは古い寓話をベースに、喜劇的要素と妖精物語をミックスしたような物語で、当時結構読まれたらしい。これで自信を付けたものかどうか、次に執筆されたのが「悪魔の恋」です。 カゾットの代表作である「悪魔の恋」は1772年の発表。 ナポリ王親衛隊付大尉アルヴァーレは悪魔ベェルゼビュートを呼び出す。それははじめ駱駝の姿で現れて「何の用だ」と言うが、アルヴァーレは恐怖に打ち勝って、次にスパニエル犬の姿で現れさせ、さらにビョンデットという小姓として友人たちを歓待させる。やがて夜になると悪魔は美しい女性ビョンデッタに変身して、アルヴァーレのもとを去ろうとしない。やがてアルヴァーレは相手を悪魔と知りつつビョンデッタと結ばれ、故郷に帰るとすべてを聞いた母の計らいでサラマンカから学者が呼ばれ・・・。 小姓ビョンデットがビョンデッタになるというあたりに、両性具有のテーマが垣間見られるものの、結局のところ、扱われているのは倫理や神学の問題であって、アルヴァーレは悪の誘惑から神の恩寵に浴することになる、その過程を描いている・・・というのはマルセル・シュネデールの見解。そのとおり。しかしカゾットが隠秘学を大系的に理解して執筆に役立てたことも事実。その証拠に、「悪魔の恋」の出版後、カゾットを秘法に通じた者と判断した見知らぬ男が訪ねてきて、その目的が、結社や隠秘学の秘密をいたずらに明らかにしたことに関して忠告に来たものだった、なんてこともあったそうです。 やはり「悪魔の恋」がフランス幻想文学の嚆矢であることも認めざるを得ないでしょう。ここから、後のロマン主義にも、リアリズムにも、象徴主義にもつながってゆく途がある。象徴ではないけれど寓意(アレゴリー)の物語でもある。空想的な物語でありながら、魔性のものとの恋の駆け引きを心理的リアリズムで描き、現実と超自然の境界を踏み越えてしまっている。従来の妖精物語などとはまったく異なる独創性。これが18世紀の啓蒙主義の時代にあらわれたのは、どういうわけか・・・。 この時代のフランスには、古典主義の衰退と啓蒙思想の台頭、偏見のない自由思想家(リベルタン)たちによる、17世紀の宗教への反抗としての物質主義理論と快楽主義があったんですよ。それに輸入モノではありますが、イギリスの影響による経験主義。さらに「感性」の重視。知的能力よりも、情熱や情緒といった感情的能力の優越を標榜する姿勢が芽生えていた。この姿勢がやがて初期ロマン主義を支えることとなった。だからテーマも思想も新しい。もてはやされるその気分は基本的に「憂愁」ですから、恐怖や戦慄を扱う暗黒小説(ロマン・ノワール)もその延長線上に花開いたわけです。 そして、「悪魔の恋」の背後に隠れているのは、聖職者でさえも信仰を失っていたと言われる18世紀の社会的空気です。これが、じつはカゾットと同時代の神秘家・幻想家の、理性中心の哲学に対する反動の流れと無関係ではないのです。つまり、中世以来の呪術やサバトなどの秘儀は連綿として17世紀まで続いており、18世紀に至ると、理性主義をあざ笑うかの如く、いよいよ人々の幻想をかき立てるようになっていた。この流れはヴォルテールがいくら皮肉を飛ばしても無駄でした。スウェーデンボルグとかフリードリヒ・アントン・メスメルなんかが出てきたのもこの時代でしょ。ひと言で言ってしまえば超自然趣味です。この時点でカゾットが神秘論者であったのかといわれれば、これは疑わしい。しかし、やはり時代の空気というか、精神風土からは逃れられない、神なき18世紀を生きた無自覚な神秘論者だったのではないか。啓蒙主義って少数の知識階級の思想であって、民衆の間で信望されていたわけではありませんからね。 忘れてはいけないのは、悪魔を主人公とする小説なんていうものが、そもそも異端であるということです。そのタブーを破っているわけ。先のヴォルテールが破壊的なまでの神学批判、迷信批判をしていることだって、正統的信仰を弱体化させているんですよ。それでも揺るがないのは、前世紀以来の民衆レベルの素朴篤実な信仰です。神秘主義っていうのは、むしろこの素朴な方に根を持っているんです。それが高度に文学的な作品となって結実しているところに、「悪魔の恋」の意義があるのです。 余談ながら、「悪魔の恋」の隠秘学関係の知識に影響を与えたのは、澁澤龍彦によればモオフォコン・ド・ヴィラールの「ガパリース伯爵あるいは隠秘学に関する対話」という本だそうです。これは匿名出版でしたが、なんでも薔薇十字団の秘密の暴露を含んだ書で、当時、ヴィラールの謎の死に薔薇十字団が関係しているとの噂も流れたんだとか。 その後もカゾットは小話(コント)やロマネスクなどに手を染め、年少のシャルル・ノディエからは「事物を幻想の局面から眺める特別な才能を、生まれつき持っていた人」と評されることとなります。 さて、ルイ15世は1774年に没し、20歳で王位に就いたのはルイ16世。1789年にはバスチーユ襲撃と、いよいよ大革命の時代です。ある会食の席で、いずれ革命が起きてその時は哲学が迷信や狂信を駆逐するだろうという話題になったとき、居合わせたカゾットは、革命は必ず起こるだろうが、それは多大かつ陰惨な流血の犠牲を伴うであろうと「預言」したそうです。このエピソードはコリン・ウィルソンなども引いていますが、これはどうも後世の創作らしい。とはいえ、カゾットが当時の秘密結社員や隠秘学者とは異なって、大革命をあまり好意的に待ち受けてはいなかったということはたしかなようです。じっさい、カゾットの息子は王党派に身を投じ、カゾット自身も反革命の地下組織を援助していたらしいのですね。やがて反革命分子として捕らえられ、老齢のため一度は釈放されて逃亡の手はずを整えてくれた友人もいたのですが、カゾットは自分の運命を引き受けて、再び逮捕され、断頭台の露と消えることになりました。 革命の混乱はなおも続きますが、隠秘学、オカルティズムはこの時代にはネルヴァルを魅惑し、その後も脈々と伝え続けられて、19世紀末にはユイスマンスにまで影響を及ぼすことになるわけです。 (Parsifal) 引用文献・参考文献 「悪魔の恋」 ジャック・カゾット 渡辺一夫・平岡昇訳 国書刊行会 「詩的体験」 ロラン・ド・ルネヴィル 中川信吾訳 国文社 Diskussion Parsifal:モオフォコン・ド・ヴィラールの「ガパリース伯爵」では、四大精霊は善良な存在で、人間との交渉によって不死の魂を得ようと望み、人間の方も彼らとの交際によって利益を得ると主張されている。 Hoffmann:ああ、フケーの「ウンディーネ」がこの発想を借用しているんだよね。 Kundry:すると、「悪魔の恋」はそれとは逆ですね。精霊は悪魔の手先ないしは変身であるという主張を取り入れているんですから。 Hoffmann:ネルヴァルが「幻視者たち」でカゾットを取り上げているんだけど、ことさらにカゾットを神秘家として扱っている気味もある。 Parsifal:いまの話に出て来た、「悪魔の恋」の出版後に訪ねてきた男だけど、カゾットがいかなる結社にも属しておらず、読書と想像力だけでこの小説を書いたことを知ると、秘密結社「エリュ・コーエン」に加入するよう勧めてきた。じっさい、1780年頃の「エリュ・コーエン」の名簿にカゾットらしき人物の名前があるそうだ。 Klingsol:どうもカゾットが神秘思想に傾倒したのは晩年のことのようだね。 Kundry:「エリュ・コーエン」というのはどんな結社だったのですか? Parsifal:創設者はマルチネ・ド・パスカリという男なんだけど、国籍も不明で謎に包まれている。その教義は、神は自らの流出体である天使に独立した意志を与えたが、ルチフェルを含む一部の天使は神に対抗して創造能力を獲得しようとして堕落したため、物質という牢獄に閉じ込められた。一方で神はアダムという霊的存在を創造して、堕天使を監視させ、矯正させようとしたが、逆にアダムの方が誘惑されて堕落してしまった。そのアダムの子孫である人間は、原初の状態へ回帰しようとする「欲望」を持っている。この回帰は、キリストの助けを借りるか、あるいは天使的存在との交信を果たすことによって達成することができる・・・というものだ。 Hoffmann:どうやら、白魔術みたいだね。 Parsifal:しかし1774年にパスカリが死んで、教団は分裂してしまった。その後は大きくふたつの分派ができて、ひとつがウィレルモ率いる降神術に熱心だったグループ、もうひとつがパスカリの秘書だったサン=マルタン率いる一派。サン=マルタンはパリのサロンに出入りして有名になった。で、1880年代に医師であり、オカルト研究家だったパピュス、本名ジェラール・アンコースが再建したのがマルチニスト会だ。「マルチニスト」という名称はマルチネ・ド・パスカリにちなんだものだね。だから、パスカリの信奉者をマルチニストと呼ぶのも間違いではないけれど、現存するマルチニスト会はサン=マルタンの流れに末にあるんだ。 Kundry:サン=マルタン・・・映画の「ナインスゲート」でテルファー未亡人の旧姓がサン=マルタンでしたが、きっとここからとられたんですね。 Parsifal:カゾットは晩年に至って神智論にのめり込んだようなんだけど、それはこの「悪魔の恋」におけるような審美的なものではなくて、宗教的かつ政治的な信念に結びついていたようだね。 Klignsol:もともと同時代の啓蒙思想家には反感を抱いていたから、下地はあったわけだ。でも、その堕落と再生の理論は多分にキリスト教的だよ。フランス革命にも好意的ではない。絶対的王権を支持していたのは・・・有能な役人だったから当然かも知れないけど。 Parsifal:マルチニストの中には革命支持派もいて、教団とは袂を分かっている。対してカゾットは、どうも神智論に殉じてしまったようにも思えるね。 Klingsol:「悪魔の恋」はそこまで至るより前の著作だからね。良くも悪くもディレッタント的なところがある。逆説的になるけど、だからこそ、やっぱりカゾットはフランス幻想文学の先駆者と言えるんだよ。 Hoffmann:アルベール・ベガンがバルザックのことを、フランス自然主義の父であるよりも、むしろ神秘主義の先駆けじゃないかと言っている。それでフランスでもバルザックの評価が変わったんだけど、そのまた先祖にカゾットがいたわけだ。 Kundry:神秘主義というもの全般に関して、なにか参考になる本はありませんか? Hoffmann:ロラン・ド・ルネヴィルの「詩的体験」(中川信吾訳 国文社)がある。これはあまり読む人もいないかも知れないけど、基本図書だよ。 |