142 「肉体と死と悪魔 ロマンティック・アゴニー」(クラテール叢書1) マリオ・プラーツ 倉智恒夫・草野重行・土田知則・南條竹則訳 国書刊行会 ドイツ・ロマン派関係の本。ドイツ・ロマン主義といえば文学が中心とはいえ、広く芸術から思想全般での変革の運動ですから、ここでは文学者による小説や詩ではなく、この運動に関する論考を取り上げてみます。 先日取り上げたマルセル・ブリオンの「シューマンとロマン主義の時代」(喜多尾道冬・須磨一彦訳、国際文化出版社)もそのひとつでしたね。これはドイツ・ロマン主義を、ギリシア、ローマに範をとったフランス古典主義に対する新しい世代の文明批判ととらえたものといっていいでしょう。そのほか、手許にあるものを思いつくまま挙げてみると、ブリオンと同じくフランス発で― 「ロマン的魂と夢 ドイツ・ロマン主義とフランス詩についての試論」(アルベール・ベガン著作集第1巻) アルベール・ベガン 小浜俊郎・後藤信幸共訳 国文社 これは戦前に書かれたものながら、いまなお価値を失わない、ロマン主義に対する総合的展望を示すもの。最初に読むのにはこれがもっともふさわしいかも知れない。 「夢の象徴学」(ドイツ・ロマン派叢書) G・H・シューベルト 深田甫訳 青銅社 ゴットヒルフ・ハインリヒ・シューベルトはシュトルム・ウント・ドランクの文学者や若き日のゲーテに影響を与えた人。医者であり、放浪者であり、自然科学者にして地方の小新聞の編集者、さらに悲劇と叙情詩の作家であるという、まるで生きたロマン主義のような人物です。語っていることはあたかもノヴァーリスあたりの先取りのようで、夢と言語と魂を結びつけるもの。無意識まであと一歩。この本については、上記アルベール・ベガンの著作でも一章が割かれています。 「浪漫主義の世界観と芸術観」 オスカル・ヴァルツェル 飯田安訳 牧神社 戦前、昭和10年に第一書房から出ていた本の再刊。訳語など、やや古いかなという印象があるものの、読みづらいほどではなく、初期ドイツ・ロマン主義の入門書としては一読の価値あり。 「ロマン主義の精神」 H・G・シェンク 生松敬三・塚本明子訳 みすず書房 上記オスカル・ヴァルツェルが初期ロマン主義なら、こちらは中期以降の精神史を背景とする叙述になっている。とくに、ロマン主義がもたらしたニヒリズムと(キリスト教)信仰の問題にページが割かれている。これはもちろんニーチェも無視できないながら、著者がロマン主義を「内的分裂」ととらえているため。 「ドイツ・ロマン派」 H・ハイネ 山﨑章甫訳 未来社 基本図書。原著の表題は「ロマン派」。書かれたのが1831年12月から1833年1月にかけてであることを念頭に。序文によればもともとフランス語で書かれた・・・とあるが、じっさいは最初ドイツ語で書かれて、その後フランス語に翻訳して雑誌に掲載されたもの。佐藤春夫ではありませんが、作家と批評家の統一を体現するほとんど最後の人物たるハイネの面目躍如たるものがある。ゲーテに対して否定的なれど、示唆に富む指摘あり。 「ドイツ・ロマン派論考」(ドイツ・ロマン派全集第10巻) 薗田宗人・深見茂編 国書刊行会 国書刊行会の「ドイツ・ロマン派全集」は主要作家を個別に取り上げているんですが、第9巻「無限への憧憬」が同時代の思想的批評的著作が集められており、この第10巻は20世紀の批評家たちによる評論集になっています。収録されているのはリカルダ・フーフ、F・シュトリヒ、G・ルカーチにマルクーゼ、アドルノといったフランクフルト学派、それにトーマス・マンと多彩。フリッツ・シュトリヒの「ヨーロッパ的運動』としてのロマン主義」はヨーロッパ諸国における諸民族がその民族精神を守りつつロマン主義と対立し、また発展させたこと、そのなかでのドイツの独自性を示している。この精神運動のすべてをロマン主義という大風呂敷で一括りにすることの難しさを思い知らされつつも、シュトリヒの論述は鮮やかにして明快。 「肉体と死と悪魔 ロマンティック・アゴニー」(クラテール叢書1) マリオ・プラーツ 倉智恒夫・草野重行・土田知則・南條竹則訳 国書刊行会 ご多分に漏れず、Oxfors University Pressの"The Romantic Agony"、Translated by Angus Davidson、Second Edition(1951)はかなり以前から持っていたんですが、なにしろ本文・引用ともに英語だけではないので、翻訳が出たのはありがたかったですね。これはルネサンス期以降のヨーロッパ文学におけるロマン主義的傾向を、メドゥーサ、サタン、宿命の女などといったテーマ別に論じたもの・・・というより、無数の作品への言及と引用で埋め尽くされた「読みもの」。サドやボードレールはもとより、マルセル・ジョオブ、ペトリュス・ボレルと、教科書的な文学史では無視されてしまいそうな作家たちも紹介・分析されて、ドストエフスキーとフランスの俗悪な好色文学が同じ俎上に並べられるという離れ業も。同じ「読みもの」としても、モンタギュー・サマーズMontague Summersよりは余程読みやすい。取り上げられる範囲はプレ・ロマン主義から19世紀末(さらに20世紀初頭)のデカダンスまで。その百科全書。最初に読んだときは、これ、ロマン派か? なんて思ってしまったんですが、思潮は連続するもの。ロマン主義という思想的精神運動はそれだけ大きなものであり、現代にも受け継がれていると考えれば納得です。 Mario Praz 要約などできるようなものではありませんが、私なりにまとめてしまうと― 恐怖とかグロテスクというのは、もともと存在しなかったわけではなくて、隠されていたもの。それを白日の下にさらしたのがロマン主義。といってもそれは写実主義ではない、魂の領域にまで迫ろうとする試みです。じつはシェイクスピアやタッソーにだって恐怖は描かれていた。それがある種の知的なポーズに過ぎなかったところ、ロマン主義においては感性のひとつのあり方として認められたわけです。そうして幻想に、リアルな実体を与えた・・・。 これは、たとえばイギリスあたりのゴシック・ロマンスの手法が、ここで手法という以上のものになったと言い換えてもいいでしょう。感性そのものだから、ロマン主義の作品には精神分析的なアプローチが行い得るんですよ。もう、無意識の領域に足を踏み入れているんです。死も、グロテスクも、身近なものとして存在している、それがロマン主義の腐敗・頽廃愛好となり、やがて象徴主義に至るのです。 なお、原註も読むこと。索引は大いに活用すべし。 (Hoffmann) 引用文献・参考文献 「「ロマン的魂と夢 ドイツ・ロマン主義とフランス詩についての試論」(アルベール・ベガン著作集第1巻) アルベール・ベガン 小浜俊郎・後藤信幸共訳 国文社 「夢の象徴学」(ドイツ・ロマン派叢書) G・H・シューベルト 深田甫訳 青銅社 「浪漫主義の世界観と芸術観」 オスカル・ヴァルツェル 飯田安訳 牧神社 「ロマン主義の精神」 H・G・シェンク 生松敬三・塚本明子訳 みすず書房 「ドイツ・ロマン派」 H・ハイネ 山﨑章甫訳 未来社 「ドイツ・ロマン派論考」(ドイツ・ロマン派全集第10巻) 薗田宗人・深見茂編 国書刊行会 「肉体と死と悪魔 ロマンティック・アゴニー」(クラテール叢書1) マリオ・プラーツ 倉智恒夫・草野重行・土田知則・南條竹則訳 国書刊行会 Diskussion Klingsol:ジャン・パウルなんて20世紀小説を先取りしているようなところがあるし、E・T・A・ホフマンに至っては深層心理分析やシュルレアリスムの対象となる点でその草分けだよね。 Hoffmann:ジャン・パウルやホフマンはまだいいんだよ、文学史上忘れられたことはないんだから。ティークとかノヴァーリスなんて一時は完全に忘れられてしまわないまでも、かなり影が薄くなっていたんじゃないかな。 Parsifal:ノヴァーリスに関しては、アンドレ・ブルトンはもとより、アンドレ・ジイドやジュリアン・グラックの手法に甦ったよね。 Kundry:ティークなどは、どうしても、メルヒェンのひと言で片付けられてしまう傾向がありますね。 Hoffmann:メルヒェンというと、どうも一段低いもののように受け取られちゃう。逆に、シャミッソーなんか「ペーター・シュレミール」しか読まれていない。 Klingsol:国書刊行会の「ドイツ・ロマン派論考」だけどね、個人的にはリカルダ・フーフの「ロマン的医師たち」がよかった。 Kundry:ロマン的意志・・・たち、ですか? Klingsol:「ロマン的医師たち」、ドクターだよ。ロマン主義運動が文学は当然として、自然科学の分野まで及んでいたのはよく知られているところだけど、医学の領域にまで影響していたんだね。 Parsifal:マリオ・プラーツは一応読んだんだけど・・・一日や二日では見て回りきれない博物館みたいな本だね。 Kundry:著者が博識すぎて・・・ある程度の(かなりの程度の?)知識が前提として求められますね。 Klingsol:永井荷風の「珊瑚集」、上田敏の「海潮音」とか、堀口大學の「月下の一群」のような詞華集だと思って読めばいいんだよ(笑) Hoffmann:読まなきゃもったいないくらいの本だからね。はじめから順を追って読まなくてもいい、興味のある項目を読んでいるうちに、いつの間にか全部読んでいた・・・という読み方でかまわないんだ。 |