094 「巨人ゴーレム」 "Der Golem, wie er in die Welt kam" (1920年 独) パウル・ヴェゲナー、カール・ベーゼ




 以前、グスタフ・マイリンクの「ゴーレム」についてお話ししたときに、Hoffmann君が言っておりましたが、ヴェーゲナーの「ゴーレム」は3本作られていて、1915年の一作目「ゴーレム」"Der Golem"はfilmが現存していない。二作目はちょっとコミカルな「ゴーレムと踊り子」"Der Golem und die Tanzerin"(1917年)でこれもfilmは残っていないらしい。いま、一般的に観ることができるのは、今回取り上げる三作目の、原点に還った「巨人ゴーレム」"Der Golem, wie er in die Welt kam"(1920年)です。

 邦題は「巨人ゴーレム」。タイトルロールの怪物ゴーレムを演じたパウル・ヴェゲナーがカール・ベーゼとともに共同監督。撮影は後に渡米し、ユニバーサル・ホラーで活躍したカール・フロイントです。


パウル・ヴェゲナーはちょっとモンゴリアン系顔貌で、「プラーグの大学生」よりも、「ゴーレム」の方が似合いますね。

 ヴェゲナーは1915年版の制作時にはいろいろ妥協した点が多かったため、その出来に不満を持っていたところ、「プラーグの大学生」の撮影中に、プラハで語り継がれていたゴーレム伝説を聞いて、それをそのまま描こうと考えた・・・と言われているんですが、これは疑問です。なぜなら、不満を持っていたのが1915年版、パウル・ヴェゲナー主演の「プラーグの大学生」は1913年公開ですから、時制が合いませんよね。


今回観たKINO VIDEOのDVDのレストア版は、画質にかなりの改善が見られます。サイレント時代のfilmの染色処理については、以前、ここでHoffmann君がお話ししておりますので、ご参照下さい。

 あらすじは―

 中世のプラハ。ユダヤ人ゲットーで長老のラビ・レーフは星占いにより、まもなく町にふりかかる災難を予知する。

 その予知は不幸にも現実のものとなり、皇帝がゲットーからユダヤ人を追放することに決める。

 ラビ・レーフは民衆を守るため、巨大な泥人形ゴーレムを作り、生命を吹き込む。ラビ・レーフはゴーレムを宮廷に連れていったところ、ゴーレムの力を目の当たりにした皇帝は考えを改め、命令を取り消す。


驚いた表情はいかにもサイレント時代の大げさなものですが、このような巧みな画面構成は現代では失われてしまった感覚でしょう。

 しかし、ラビの助手がゴーレムを悪用したため、ゴーレムが暴走する。

 ゴーレムは町外れで純真無垢な幼い少女と出会う。ゴーレムは暴れることをやめ、少女を抱きあげる。少女は邪心なく、ゴーレムの胸にあったダビデの星を抜き取る。その瞬間、ゴーレムは元の泥人形に戻ってしまう。


要注目のシーンです。

 この映画は、「カリガリ博士」(1920年 独)とともに、ドイツ表現主義映画の代表作です。また、皆様も既にご承知でしょう、後の「フランケンシュタイン」(1931年 米)、我が国の「大魔神」(1966年 大映)に大きな影響を及ぼしたとも言われています。たしかに、人の手により生み出されたが故に善悪の価値判断基準を持たず、しかし無垢な精神を持っており、ここでは子供の無邪気さによってその行為を止められるというのは、ユニバーサルの「フランケンシュタイン」での、怪物が子供を池に放り込んでしまう行動とは表と裏。もうひとつ、私が注目したいのは、最後のほうで幼い少女がゴーレムにリンゴ(?)を差し出す場面です。ビクトル・エリセの「ミツバチのささやき」(1973年 西)で、アナが脱走兵に出会ったときにリンゴを差し出す場面は、ここからの引用ではないかと思います。


「ミツバチのささやき」"El espiritu de la colmena"(1973年 西)から―

 とはいえ、ゴーレム完成以後となると、あとは最小限のドラマ要素しかありません。ルドルフ二世の宮廷の大混乱、ゲットーの世界終末的恐慌(パニック)や、メシア待望の集会などはなかなか映像的にも堪能できるもので、言うまでもなくラストシーンの少女を抱き上げて死んで行くゴーレムの姿も印象的です。もちろん、ユダヤ人弾圧に抵抗するための古代ユダヤ律法の信仰能力による人造人間という意味合いは重要だし、最後は民衆が土偶に戻ったゴーレムのまわりに集まってユダヤ教徒の勝利を祝うのもわかります。しかし、逆説的な言い方になりますが、あまりにゴーレムの存在感が大きすぎる。なので、ゴーレムだけに目を奪われてしまうので、映画のテーマを忘れてしまうんですよ。

 それでも胸元のペンタグラム(五芒星)がパワーの源にして弱点というの設定はその後さまざまな形で模倣されてゆくことになり、後世の影響が大きなものがあります。


ドイツ表現主義映画、ロベルト・ヴィーネの「カリガリ博士」”Das Kabinett des Dr.Caligali”(1919年 独)を思い起こさせます。

 ニューヨークのユダヤ系移民地区では、移民一世がイディッシュ語しか理解できないので、イデッシュ語字幕版の特別上映が行われて、これはひじょうに歓迎されたそうです。その意味ではやはり民族的な意義も認められるのですが、民話的な素朴さとドイツ表現主義の主張の強さがどうもアンマッチな気もします。

 俳優・女優はサイレント時代ですから大げさな演技を見せていますが、人形としてあまり大仰な演技をしなかった(できなかった)パウル・ヴェゲナーの名優ぶりと、それ以上に、無垢で無心な幼い少女が印象に残る映画です。


集まってきた娘たちのなかに、カメラを意識して何度かカメラ目線になってしまう娘さんがいるのも微笑ましい(画質がいいので分かってしまいます・笑)それにしても、いいエンディングです。


 ゴーレム"Golem"について

 さて、ここでゴーレムについておさらいしつつ、あらためて考察してみましょう。

 ポーランドのユダヤ人たちはある種の祈祷を唱え、何日もの断食を続けた後、粘土または膠の人間を作る。そしてその像に向かって奇蹟示現のシェムハムフォラス(神の名)を唱えると、像は生命を帯びる。像は話すことは出来ないが、人間が話したり命じたりすることはかなりの程度理解できる。ポーランドのユダヤ人はこれをゴーレムと名付けてありとあらゆる家事労働を行わせるための給仕人に当てている。ただしゴーレムは家から外に出てはならない。ゴー-レムの額には"emeth"(真理)の文字が書かれているが、日に日に成長して家族の誰よりも大きくなるするとユダヤ人たちはゴーレムを恐れて最初の文字を消し取る。すると"meth"(彼ハ死セリ)となって、再び粘土に戻る。かつてゴーレムの背丈が延びて文字に手が届かなくなったとき、この下僕に靴を脱がせてくれと命じて、ゴーレムがかがんだところで文字を消した男がいたが、粘土の塊がどっとばかりにそのユダヤ人の身体の上に崩れ落ちてきて、彼を押しつぶしてしまったことがある・・・。

 ヤーコプ・グリムが採取した例では、ゴーレムの生死を司る聖名の封印の文字は"emeth"でなくほかの文字の場合もあり、また場所も額以外に胸とか口の上というものもあります。

 また、この映画でゴーレムを制作するのはロェーヴ師とされていますが、ゴーレム創造の記録は十数例あるとされており、ロェーヴ師はその一例。そのロェーヴ師の創造したゴーレムは13年生きながらえて、没1593年5月10日とされています。この日付こそ、16世紀東欧におけるユダヤ人迫害の歴史を語っているものであり、映画で描かれているとおり、ゴーレム伝説におけるその出現は、メシア待望と無関係ではないのです。

じっさい、ロェーヴ師のゴーレムは下僕となって働くばかりでなく、護符のおかげで姿が見えなくなるため、スパイとして活躍、味方の政治的暗殺や儀式殺人の嫌疑を適時自分の身に引き被って敵方の告訴を無効にするのに役立ったとされています。そうしてユダヤ人迫害が下火になったところで用を終える時を迎えたというわけです。

 その後のことはいろいろな説があるのですが、土塊となったゴーレムはアルトノイ教会堂に安置されているという言い伝えがあったのは、再び生命を吹き込まれる時を待っているということではないでしょうか。つまり、終末論的メシア待望の気運が高まれば、ゴーレムは蘇生される、という希望です。

 アルトノイ教会堂に関しては、マイリンクの小説からさらに数年後、ここに潜入して伝説の粘土塊の有無を確認したジャーナリストがいました。そのレポートによると、アルトノイ教会堂にはゴーレムは存在せず、屋根裏部屋から運び出されて、市郊外に埋葬されたと推定されるています。

 そもそもゴーレム"golem"の語源はヘブライ語の「無形」「未定形」、さらには胎児を指すことばです。胎児のように五体未完成の状態ということですね。話すことができないとか、次第に成長する・・・という特徴を思い出して下さい。胎児がそのまんま巨大化していくのですよ。命じられたことには従っていたものが、まるで聞き分けのない子供のように反抗する時期が来る。幼い少女には共感的。ポーランド・・・。なんだか、「ブリキの太鼓」のオスカルを思い出しますね。

 それはともかく、時代を下ると神秘思想も錬金術のような物質との相関関係から抽象的思弁へと舵を取っていくことになります。折しも、テクノクラシーが物質操作技術を誇るようになった時期です。すると、ゴーレムのような粘土とか泥とかいった不浄のものは排除されて、肉体を失ったゴーレム示現は人間の内面を投影した見神体験的なものに変貌していきます。つまり霊的存在。そのひとつがドッペルゲンガーであり、そう考えると、同じくパウル・ヴェゲナー主演の映画「プラーグの大学生」"Der Student von Prag"(1913年 独)もまた、ゴーレム伝説の延長線上にあるものと見ることもできるわけです。


(おまけ)



 これはfilmが失われてしまった1914年の第一作の、撮影中の貴重なスナップ。中央右の女性がヒロインのリューダ・サルモノーヴァバLyda Salmonova。左の壁に立てかけてあるゴーレムは撮影用のダミー人形です。


(おまけ その2)



 KINO VIDEOのDVD特典映像に、「巨人ゴーレム」"Le Golem"(1936年 捷・仏)のダイジェストが収録されていました。監督はジュリアン・デュヴィヴィエ。ダイジェストを観た限りでは、あまり歴史的に評価されていないのも納得できます。ゴーレムがゴーレムらしく見えないのは、パウル・ヴェゲナーのゴーレムが刷り込まれてしまっているためでしょうか(「フランケンシュタイン」の怪物なら、ボリス・カーロフが刷り込まれているように)。その点を差し引いても、1936年にもなると1920年版のような様式感が失われてしまっているために、現代の映画を観るのと同じような目で観てしまうということはありますね。やはり、ドイツ表現主義の印象は強烈なんですよ。


(Klingsol)




参考文献

 とくにありません。